無執着 何も持たない 自制者を 時に応じて 供養しなさい<490>

○少年少女のためのスッタニパータ<490>
・・・
何も持たずに生まれて来て、
何も持たずに死ねるから、
何も持たなくても大丈夫。


第3 大きな章 5.マーガ経 4.

○中村元先生訳
490
実に執著することなく世間を歩み、
無一物で、自己を制した<全き人>がいる。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。


○正田大観先生訳
495.(490) 
〔世尊は答えた〕
「彼ら、まさに、執着〔の思い〕なく世を渡り歩き、
無一物で、全一者たる、自己を制した者たち
――彼らにたいし、〔正しい〕時に、捧げものを献じるがよい。
すなわち、功徳を期す婆羅門として、祭祀をするのであるなら。(4)


○パーリ語原文
494.
イェー      ウェー    アサッター    ウィチャランティ     ローケー
‘‘Ye       ve       asattā       vicaranti         loke
その人が    実に     執着なく     渡り歩き         世を

アキンチャナー    ケーワリノー    ヤタッター
akiñcanā        kevalino       yatattā;
無一物で       独存で       自己を制する(ならば)

カーレーナ    テース     ハビャン   パウェッチェー
Kālena       tesu       habyaṃ    pavecche,
時に応じて    その人達に   供物を    捧げるがよい

ヨー    ブラーフマノー    プンニャペッコー    ヤジェータ
yo     brāhmaṇo       puññapekkho      yajetha.
もし    バラモンが      功徳を望んで     供養するのならば


○一口メモ
今回の偈では、供養にふさわしい人を次の四つの言葉で表現しています。
無執着、無一物、全き人(全一者)、自己を制した者です。

無執着について、執着を理解するために、執着を四種類に分類します。
1.欲に対する執着です。欲しいと思うとどうしても欲しいと思い、あきらめることができない。(五欲に対する執着)
2.見解に対する執着は変わらない魂があるなどという邪見に対する執着です。(自分の見解は正しいと思う執着)
3.戒禁に対する執着は無意味な修行や宗教儀式に対する執着です。(無意味、無駄な習慣に対する執着)
4、我語に対する執着は自分の説に固執することです。(自分がいるという実感に対する執着)

*以上のカッコ内は、昨日のスマナサーラ長老の月例講演会での解説により追加しました。

このことについて下記のブログ記事に述べましたので、参考にして下さい。
気付きを楽しみ、心を守れ 執着捨てて解脱せよ(327)
http://76263383.at.webry.info/200810/article_10.html

無一物(何も持たない)については下記のブログ記事で述べました。
何も持たないわれらはこころから気楽に生きよう(200)
http://76263383.at.webry.info/201004/article_2.html

その時の「子供のためのダンマパダ」では次のように書いてあります。

赤ちゃんは何も持たずに
生まれてきます
喜びさえあれば大丈夫
気楽に生きていけますよ


全き人(全一者)について。
この言葉のパーリ語はkevalinですが、その意味は辞書によりますと、「独存の、純一の、完全の、完全になった人」などの訳語が書かれています。注釈書によりますと、「独存で」とはなすべきことを為し終えたこととなっています。修行の完成者ということだと理解してよいと思います。

自己を制した者とは、心を守っている者、眼耳鼻舌身意から入る刺激によって煩悩が現れないように心を守っている人です。

このような人を供養するならば、大きな功徳があるということです。私たちはこのような人になるように修行すべきなのです。


無執着 何も持たない 自制者を 時に応じて 供養しなさい<490>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
全き人(全一者)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎7月4日(金)から7月8日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

こころざし
2016年07月11日 20:30
無執着で、何も持たない自制者は、心を成長させた、尊敬するべき方になると感じました。
執着があり、何かを持とう・得ようとしている私は心が育っておらず、その愚かさに気が付き、聖者から学び、心を成長させる流れが持てるようになりたいです。