貪瞋痴 捨てた梵行の 達成者を 時に応じて 供養しなさい<493>及び<494>

○少年少女のためのスッタニパータ<493.494.>
・・・
欲と怒りと迷いを
三毒と言います。
心と身体にとって
毒のようなものだからです。


第3 大きな章 5.マーガ経 7.8.

○中村元先生訳
493
貪欲と嫌悪と迷妄とを捨てて、
煩悩の汚れを減しつくし、清らかな行いを修めている人々がいる。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

494
偽りもなく、慢心もなく、貪欲を離れ、
わがものとして執することなく、欲望をもたぬ人々がいる。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。


○正田大観先生訳
498.(493) 
貪り(貪)と、怒り(瞋)と、迷い(痴)を捨棄して、
煩悩が滅尽した、梵行(禁欲清浄行)の完成者たち
――彼らにたいし、〔正しい〕時に、捧げものを献じるがよい。
すなわち、功徳を期す婆羅門として、祭祀をするのであるなら。(7)

499.(494) 
彼らのうちに、〔欺瞞の〕幻想が住みつかず、〔我想の〕思量が〔住みつか〕ない、
煩悩が滅尽した、梵行の完成者たち
――彼らにたいし、〔正しい〕時に、捧げものを献じるがよい。
すなわち、功徳を期す婆羅門として、祭祀をするのであるなら。(8)


○パーリ語原文
497.
ラーガンチャ    ドーサンチャ    パハーヤ    モーハン
‘‘Rāgañca      dosañca       pahāya     mohaṃ,
貪りと        怒りと        捨てて     迷い

キーナーサワー    ウースィタブラフマチャリヤー
khīṇāsavā        vūsitabrahmacariyā;
煩悩を滅した人達   梵行を成し遂げた人達    

カーレーナ    テース    バビャン    パウェッチェ
Kālena       tesu     habyaṃ     pavecche,
時に応じ     その人達に 供物を     供養するがよい

ヨー    ブラーフマノー    プンニャペッコー    ヤジェータ
yo     brāhmaṇo       puññapekkho      yajetha.
もし    バラモンが      功徳を望んで      祭祀をするのであるなら

498. 
イェース     ナ    マーヤー   ワサティ    ナ    マーノー
‘‘Yesu      na    māyā      vasati      na    māno,
その人達に   ない   偽り      住ま      ない   慢心が

キーナーサワー    ウースィタブラフマチャリヤー
khīṇāsavā        vūsitabrahmacariyā;
煩悩を滅した人達   梵行を成し遂げた人達

カーレーナ    テース    バビャン    パウェッチェ
Kālena       tesu     habyaṃ     pavecche,
時に応じ    その人達に  供物を     供養するがよい

ヨー    ブラーフマノー    プンニャペッコー    ヤジェータ
yo     brāhmaṇo       puññapekkho      yajetha.
もし    バラモンが      功徳を望んで      祭祀をするのであるなら


○一口メモ
既に掲載した490.491.492.の偈の後半の二行はすべて同じ言葉です。中村先生訳では次の通りです。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。
今回の493偈、484偈もその通りです。これからしばらくこの形式が続きます。ですから、始めの二行に説明することになります。

そこで、今回の493偈の始めの二行の述べられた煩悩は、貪りと怒りと迷妄です。これは三毒あるいは貪瞋痴(トンジンチ)と言われ、何十回も説明しましたから、ここでは省略します。必要な方はブログ内検索で調べて下さい。

次は「煩悩を滅した人達」とは、煩悩をなくした人達ですが、貪瞋痴を捨てた人達はこのような人達になります。「梵行か完成した人達」は淫欲、性的な関係を持たないという修行を成し遂げた人達です。これは若い修行者にとっては難しい課題なので特に書かれているのでしょう。

494偈の始めの一行では、māyā(欺瞞、偽り)、māno(慢心)、これらの煩悩を捨てた人達となっていますから、この説明をします。 
māyā(欺瞞、偽り)は、作った悪の隠蔽を特相とし、その隠匿を作用とし、その閉鎖を現状とするものと説明されていますが、自分の悪事を隠すことだと理解すればよいでしょう。
māno(慢心)については、昨日の十結の一つとして説明しました。自分と他人と比べること。自分が他人より優れていると思う増上慢、自分が他人と同等と思う同等慢、自分が他人より劣ると思う卑下慢などがあります。この慢心は阿羅漢になるまでなくならない煩悩ですから根深いものなのです。しかし、この慢のために苦しんでいる人は多いのです。

493偈と494偈の二行目の、中村先生訳と正田先生訳は異なります。これはパーリ語原文が異なるのです。今回掲載したパーリ語原文は正田先生と同じように、493偈と494偈の二行目は同じことになっていますので、中村先生訳の二行目については今回は説明しません。


貪瞋痴 捨てた梵行の 達成者を 時に応じて 供養しなさい<493>

欺瞞なく 慢心もない 梵行者を 時に応じて 供養しなさい<494>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎7月4日(金)から7月8日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2014年06月17日 13:21
文章として読むと、
「māyāはよくないな 」
「mānoがあるから苦しいのか」
と、わかったような気になります。

ところがいざ自分の心を観察すると、
自分の非を認めること、ましてや、
それを隠さずあらわにするのに
いかにエネルギーを要することか。

そして、こんなに苦しみながらも
比べることを繰り返す毎日。


運動だって本を読んだだけでは
できるようにはなりません。
心の扱い方も、体と同じように、
繰り返し練習が必要なのでは、と、
焦らず、飽きず、あきらめず、
日々、心のお稽古も続けています。
こころざし
2016年07月12日 07:36
欲や怒りがあると、日常で容易に心が濁る状態になります。特に怒りは、それが怒ると、理性が飛んだ状態になりかねません。欲の方もちょっとした事から早期に走り出しそうになります。また、欺瞞・偽り・慢心を持つと、容易に自分で自分が尊敬出来ない、頂けない状態になる印象があります。気を付けないとそうなってしまうのは、まるで崖の上の細い道を気を付けて歩かないと落ちる・・ような状況を感じます。
毎日の修行でそれらを減らし・無くしていきたいです。