梭(ヒ)のように 真直に行く 人々を 時に応じて 供養しなさい<497>及び<498>

○少年少女のためのスッタニパータ<497.498.>
・・・
真直ぐな人とは
どんな人でしょうか?
素直な人
公正な人
正直な人でしょう。


第3 大きな章 5.マーガ経 11.12.

○中村元先生訳
497
諸々の欲望を捨てて、家なくして歩み、
よくみずから制して、梭のように真直ぐな人々がいる。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

498
欲望を離れ、諸々の感官をよく静かにたもち、
月がラーフの捕われから脱したように(捕われることのない)人々がいる。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。


○正田大観先生訳
503.(497) 
彼ら、諸々の欲望〔の対象〕を捨棄して、家なき者として歩む者たち
――自己が善く自制され、梭(機織の道具・シャトル)のように、真っすぐに〔歩む者たち〕
――彼らにたいし、〔正しい〕時に、捧げものを献じるがよい。
すなわち、功徳を期す婆羅門として、祭祀をするのであるなら。(12)

504.(498) 
彼ら、ラーフ(阿修羅の一類で日蝕や月蝕を引き起こすとされる)の捕捉から解き放たれた月のように、
貪りを離れ、〔感官の〕機能(根)が善く定められた者たち
――彼らにたいし、〔正しい〕時に、捧げものを献じるがよい。
すなわち、功徳を期す婆羅門として、祭祀をするのであるなら。(13)


○パーリ語原文
502.
イェー     カーメー    ヒトゥワー    アガハー    チャランティ
‘‘Ye      kāme      hitvā       agahā      caranti,
彼らは     諸欲を     捨てて      家なくして   行く

スサンニャタッター    タサランワ    ウッジュン
susaññatattā        tasaraṃva    ujjuṃ;
よく自己を抑制して    梭のように   真直ぐに

カーレーナ    テース     バビャン    パウェッチェ
Kālena       tesu      habyaṃ     pavecche,
時に応じ     その人達に  供物を     供養するがよい

ヨー    ブラーフマノー    プンニャペッコー    ヤジェータ
yo     brāhmaṇo       puññapekkho      yajetha.
もし    バラモンが      功徳を望んで      祭祀をするのであるなら

503.
イェー     ウィタラーガー    スサマーヒティンドゥリヤー
‘‘Ye      vītarāgā        susamāhitindriyā,
彼らは     欲情を離れ     よく感官を統一して

チャンドーワ    ラーフッガハナー   パムッター
candova       rāhuggahaṇā      pamuttā;
月のように     ラーフの捕捉から   逃れた

カーレーナ    テース     バビャン    パウェッチェ
Kālena       tesu      habyaṃ     pavecche,
時に応じ     その人達に  供物を     供養するがよい

ヨー    ブラーフマノー    プンニャペッコー    ヤジェータ
yo     brāhmaṇo       puññapekkho      yajetha.
もし    バラモンが      功徳を望んで      祭祀をするのであるなら


○一口メモ
今回の二つの偈も前回と同じ形式です。ですから始めの二行を検討してみましょう。

497偈の特徴は、「梭のように真直ぐな人々」です。この表現はスッタニパータ第一蛇の章の12.聖者経にありました。
梭(ヒ)のように 真直ぐに思い 行えば 幸せになり 聖者と言われる<215>
http://76263383.at.webry.info/201309/article_23.html

更に、この表現はスッタニパータ第三大きな章の4.献菓経(スンダカ・バーラドヴァージャ経)にもあります。 
欲を捨て シャトル(梭)のような 真直ぐな 聖者に捧げよ 功徳を求めて<464>
http://76263383.at.webry.info/201405/article_22.html

梭(ヒ)とは辞書によると次の通りです。「織機の付属用具の一。横糸とする糸を巻いた管を、舟形の胴部の空所に収めたもの。端から糸を引き出しながら縦糸の間を左右にくぐらせる。シャトル。」

織物は縦糸に梭によって横糸を「真直ぐに」くぐらせて織るのです。ですから梭は「真直ぐ」の象徴なのです。諸々の欲望を捨てて、家も捨て、公正に真直ぐに行く人々、それらの人々が供物を受けるのにふさわしい人なのです。

498偈の「月がラーフの捕われから脱したように(捕われることのない)人々がいる。(中村先生訳)」は、献菓経(スンダカ・バーラドヴァージャ経)にも同様の表現がありました。
「ラーフの捕捉」とは、月蝕や日蝕のことを言います。ラーフはインド神話の鬼神の名前で、このラーフが月や太陽を呑み込むので月蝕や日蝕が起こると言われています。煩悩を脱した人をラーフの捕捉から脱した人と言うのです。ですから、煩悩を捨てた満月のように、明るく輝く人に供物を献上するのが良いと述べているのです。

ラーフから 脱した月の如くに 輝ける 聖者に捧げよ 功徳を求めて<465>
http://76263383.at.webry.info/201405/article_23.html


梭(ヒ)のように 真直に行く 人々を 時に応じて 供養しなさい<497>

ラーフから 脱した月のような 人々に 時に応じて 供養しなさい<498>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎7月4日(金)から7月8日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2014年06月19日 17:25
家庭用の手織機がありましたので
なるほどと合点がいきます。
ラーフの例えも当時の人々なら、
おお!と思うのでしょうね。

いつもながらお釈迦様の
適切な例えには感心します。
今、ここにいらしたら、
どんな例えをなさるかしら。

教えを学びながら
遠い時代、遠い場所の
生活や文化まで
垣間見ることができるなんて。
贅沢ですね。^^
こころざし
2016年07月12日 07:46
真っ直ぐな姿勢があると、揺るがないと思います。私観になりますが、日常の中で悩んでいる方に接すると、今出来る事を真剣にするしかない+それ以上の不安・動揺・上手く行かないと思っている事を繰り返し思考しても心が不安定になるだけ・・との所で、停滞しているような印象を感じる事があります。そして自分を見るとまさに、同様の時があります。
真っ直ぐな姿勢で実践し、そして成長したいです。