生存の 要素捨て去った 解脱者を 時に応じて 供養しなさい<499>及び<500>

○少年少女のためのスッタニパータ<499.500.>
・・・
欲はなく、怒ることもない
そのような人がいたのならば
その人のマネをしたらよい。
君は賢くなれるよ。


第3 大きな章 5.マーガ経 13.14.

○中村元先生訳
499
安らぎに帰して、貪欲を離れ、怒ることなく、
この世で(生存の諸要素を)捨て去ってもはや(迷いの生存)に行く道のない人々がいる。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

500
生と死とを捨てて余すところなく、
あらゆる疑惑を超えた人々がいる。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。


○正田大観先生訳
505.(499) 
貪りを離れ、怒りなく、〔心が〕静まった者たち
――この〔世において〕、〔一切を〕捨棄して、彼らに、〔もはや〕赴く所(来世)が存在しないなら
――彼らにたいし、〔正しい〕時に、捧げものを献じるがよい。
すなわち、功徳を期す婆羅門として、祭祀をするのであるなら。(14)

506.(500) 
生と死を残りなく捨棄して、
一切の懐疑を超克した者たち
――彼らにたいし、〔正しい〕時に、捧げものを献じるがよい。
すなわち、功徳を期す婆羅門として、祭祀をするのであるなら。(15)


○パーリ語原文
504.
サミターウィノー    ウィータラーガー    アコーパー
‘‘Samitāvino      vītarāgā          akopā,
平安になって     欲情を離れ        怒りなく

イェーサン    ガティー    ナッティダ    ウィッパハーヤ
yesaṃ       gatī       natthidha    vippahāya;
彼らとって    行くことが   ない・ここに   捨てきって

カーレーナ    テース   バビャン    パウェッチェ
Kālena       tesu     habyaṃ     pavecche,
時に応じ    その人達に  供物を    供養するがよい

ヨー   ブラーフマノー    プンニャペッコー    ヤジェータ
yo     brāhmaṇo       puññapekkho      yajetha.
もし   バラモンが      功徳を望んで      祭祀をするのであるなら


505.
ジャヒトゥワー     ジャーティマラナン    アセーサン
‘‘Jahitvā        jātimaraṇaṃ        asesaṃ,
捨てて         生・死を           残りなく

アタンカティン    サッバムパーティワッター
kathaṃkathiṃ     sabbamupātivattā;
疑念を        すべて越えた人達はいれば

カーレーナ    テース    バビャン    パウェッチェ
Kālena       tesu     habyaṃ     pavecche,
時に応じ    その人達に  供物を     供養するがよい

ヨー   ブラーフマノー    プンニャペッコー    ヤジェータ
yo     brāhmaṇo       puññapekkho      yajetha.
もし   バラモンが      功徳を望んで      祭祀をするのであるなら


○一口メモ
499偈の「貪欲を離れ、怒ることなく」、このように言える人は、悟りの段階で言えば不還果あるいは阿羅漢果を得た方になります。このような人は安らぎに帰していると言えるでしょう。

この偈の二行目の「捨て去って」は何を捨て去るかは書いてありませんが、中村先生は説明してくれています。生存の諸要素としています。生存の諸要素とは五蘊(色受想行識)のことです。

次の「行く道のない人々」はどういうことでしょうか。中村先生は「迷いの生存」に行く道のないと解説していますが、この迷いの生存とは輪廻転生して生きるということです。行く道がないのですから、輪廻転生しないということです。正田先生の訳では、「彼らに、〔もはや〕赴く所(来世)が存在しない」と表現しています。阿羅漢は輪廻から解脱していますからこの通りです。不還果の聖者の場合も死後が梵天に生まれ変わりますが、そのまま解脱しますから、その後の転生はないのです。

500偈の「生と死を捨てて余すところなく」は、渇愛による何としてでも生きていきたいという本能的な欲望がなくなっているということです。生がなければ死がありません。これも499偈と同じように輪廻から解脱していると言うことです。このような人は阿羅漢です。渇愛がなくなり、生死を超越した人には無明の闇はなくなっています。無明がなくなれば、闇の中で光を灯したように明が現れ、あらゆる疑惑が晴れるのです。このような人々に供物を捧げれば、大きな功徳があるのです。


生存の 要素捨て去った 解脱者を 時に応じて 供養しなさい<499>

生と死を 捨てて疑惑を 越えた人 時に応じて 供養しなさい<500>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎7月4日(金)から7月8日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

こころざし
2016年07月13日 05:54
欲や怒りがない方は、日常で見わたしてもなかなかいらっしゃらないと思います。欲や怒りがなければ、余計な事で思考等が回転せず、落ち着いた・余裕を持った生き方が出来るのではと想像致します。そのような方を敬い・お布施をさせて頂いて、そして自分がそのような域になれるように精進したいです。