自己を見て 自我なしと見る 如来こそ 供養の菓子を 受ける価値ある<477>

○少年少女のためのスッタニパータ477.
・・・
眼を閉じて
自分自身を感じて下さい。
何か変わらない
ものがありますか?


第3 大きな章 4.献菓経(スンダリカ・バーラドヴァージャ経)23.

○中村元先生訳
477
自己によって自己を観じ(それを)認めることなく、
こころが等しくしずまり、身体が真直ぐで、みずから安立し、
動揺することなく、疑惑のない
(全き人)(如来)は、お供えの供物を受けるにふさわしい。


○正田大観先生訳
482.(477) 
彼が、自己のために自己を随観しないなら(自己についてあれこれと妄想しないなら)、
〔心が〕定められた者であり、〔心が〕真っすぐに赴いた者であり、自己を安立した者であり、
彼は、まさに、動揺なく、鬱屈なく、疑いなき者であり、
如来として、献菓〔を受ける〕に値します。(25)


○パーリ語原文
481.
ヨー    アッタノー     アッターナン   ナーヌパッサティ
‘‘Yo     attano       attānaṃ      nānupassati,
彼が    自我のために  自我を       観察しないならば    

サマーヒトー    ウッジュガトー    ティタットー
samāhito      ujjugato        ṭhitatto;
心が統一して   真直ぐに行き     安定して

サ    ウェー    アネージョー    アキロー    アカンコー
Sa    ve       anejo         akhilo      akaṅkho,
彼は  まさに    不動にして      頑迷でなく   疑念のない

タターガトー    アラハティ    プーララーサン
tathāgato      arahati      pūraḷāsaṃ.
如来は        値する      献菓に


○一口メモ
一行目のパーリ語からの直訳「彼が自我のために自我を観察しないならば」を中村先生は「自己によって自己を観じ(それを)認めることなく」と訳されています。一方正田先生は「彼が、自己のために自己を随観しないなら」と訳され、「(自己についてあれこれと妄想しないなら)」と解説されています。

違いはありますが、どちらかが正しいか断定はできません。しかし、私は中村訳を取ります。スッタニパータの第一章の「蛇経」の第5偈の趣旨と同じことを言っているのかなと考えています。次のブログ記事で述べました。
存在に 実はないと知る 修行者は この世あの世を ともに捨て去る<5>
http://76263383.at.webry.info/201304/article_5.html

すなわち、自己(自我)はないのですから、自己を観察しても、五蘊(色受想行識)は感じますが、その実体たる自己(自我)はないことが解るのです。

次は「こころが等しくしずまり」と「〔心が〕定められた者であり」は違いがありません。

しかし、また次は「身体が真直ぐで」と「〔心が〕真っすぐに赴いた者であり」は身体と心の違いがあります。私は身体は真直ぐでなくともよく、大切なのは心が真直ぐなことだと思いますが、それぞれ言い分があるのでしょう。

その他は両先生と大きな違いはありません。


自己を見て 自我なしと見る 如来こそ 供養の菓子を 受ける価値ある<477>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎5月30日(金)から6月5日(木)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが関西ウェーサーカ祭及び熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。

この記事へのコメント

こころざし
2016年07月07日 07:16
目を閉じて自分を観察しますと、すぐに妄想が回転し始めるのを感じます。何かを感じた・又はある記憶から、その後の諸々が泡のように発生します。それを止めると、表現するような言葉がないような「ない」状態になるなと思いました。自我のからくりを少し感じる様な機会でした。自我の錯覚に振り回されない様にしたいです。