人々の 結果は意図と 異なって 死んで行く よく見るように<588>

○少年少女のためのスッタニパータ<588>
・・・
事実に反することを
考えれば、
必ず間違う。


第3 大きな章 8.矢経(葥経:せんきょう)15.

○日本テーラワーダ仏教協会「日常読誦経典」訳
588.
どのように思い願っても、
起こることはその逆です。
(死なないように思っても、
必ず死は訪れる。)
無常というのはそういうこと。
世間の有様を観てごらん。


○中村元先生訳
588
ひとびとがいろいろと考えてみても、
結果は意図とは異なったものとなる。
壊れて消え去るのは、このとおりである。
世の成りゆくさまを見よ。


○正田大観先生訳
594.(588) 
まさに、あれやこれや思い考えるとして、
〔現実の〕それは、〔常に〕その〔思い〕とは他のものと成る。
見よ――世〔の人々〕の行く末を。
このような、変じ異なる状態がある〔だけのこと〕。(15)


○パーリ語原文
593.
イェーナ      イェーナ     ヒ      マンニャンティ
Yena        yena        hi     maññanti,
あれによって   これによって  実に    思う

タトー     タン     ホーティ     アンニャーター
tato       taṃ     hoti       aññathā;
それよりは  それは   ある       異なって

エーターディソー    ウィナーバーウォー
Etādiso          vinābhāvo,
このような        変異が

パッサ    ローカッサ    パリヤーヤン
passa     lokassa      pariyāyaṃ.
見よ      世間の     成り行きを


○一口メモ
今日の偈の一行目、二行目「ひとびとがいろいろと考えてみても、結果は意図とは異なったものとなる。」は日本テーラワーダ仏教協会「日常読誦経典」訳では、((死なないように思っても、必ず死は訪れる。)と解説してあります。

あまり適当な例ではありませんが、今年の甲子園高校野球で私が応援するチームは全て負けました。決勝戦の三重高校と大阪桐蔭高校戦でも三重高校が負けました。なぜかなと考えると、私は弱そうなチームをいつも応援するからです。あれこれ考える時、必ず勝つ「死」を考えれば、結果は意図と同じ結果になるはずです。つまり、人間はあれこれ考えても、死なないことを考えているのですね。これは真実と異なることを考えるからこのようになるのです。「壊れて消え去るのは、このとおりである。世の成りゆくさまを見よ。」これが真実なのです。


人々の 結果は意図と 異なって 死んで行く よく見るように<588>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎雨安居中のゴータミー精舎では火曜日の夜の自主瞑想の始めに「初法輪経」を唱えることにしました。興味がある方は是非参加してください。心が穏やかになり、「眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明らかになり、光が生じる」気がします。(初転法輪経の言葉)


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2014年09月02日 07:24
全て思いどおりになんてならない。
当然と言えば当然です。

どこかで自分ぐらいは思いのままに、
と思いこもうとしてはいないでしょうか。

この大きな勘違いを手放せたら
さぞかし毎日が平安でしょうに。
SRKWブッダ
2014年09月02日 08:58
この世のことがらは、何一つ思い通りにはならない。しかしながら、世人は、自らの楽しみをこの思い通りにならないことの上に作り上げている。すなわち、思い通りにならないことを何とかする──何とか出来ると思い込んでいるわけだが──のが楽しいと言うのである。そうして、人生を空しく過ごす。

さて、この何一つ思い通りにはならないという世の性質は、覚りの道を歩むことについても同様である。人は、覚ろうと思って覚れるわけではない。修行が、自分では良い線を行っていると思い込んでいるが、実は1mmたりとも覚り(=解脱)には近づいていない。それが世人(衆生)の現実の有り様である。すなわち、覚りの道だから特別というわけではない。

ところが、何一つ思い通りにはならない世にありながら、人は覚ることが出来得る。それを説くのが仏教である。いとも聡明な人が、闇雲というわけではなく、明知によってこの一なる道を見い出し、歩んで、ついにこの円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)に到達するのである。

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こころざし
2016年08月09日 08:06
自分は何時か死ぬのだ、という事を無視するような生き方や、無常を考えない様な思考は、必ず破たんする流れを見るように思います。落ち着いて日常を見ると、良く分かった人ほど自分が死んだ後の事業等、困らない様に手を打っているような状況を思う時があります(ワンマンでその社長が死んだら誰も何も分からない、みたいな状況の反対でしょうか)
事実である真理を理解し受けれて、そして智慧を持って生きたいです。