この人生で 重荷下ろして 束縛を 解放した人 彼はバラモン<626>

○少年少女のためのスッタニパータ<626>
・・・
いらないものを
かかえ込み、
重い重いと言う人は
どこかがおかしい。
捨てればいいのに。


第3 大きな章 9.ヴァーセッタ経 33.

○中村元先生訳
626
すでにこの世において
自己の苦しみの滅びたことを知り、
重荷をおろし、とらわれのない人、
──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。


○正田大観先生訳
632.(626) 
彼が、まさしく、この〔世において〕、
自己の苦の滅尽を覚知するなら、
〔生の〕重荷を降ろした者であり、〔世の〕束縛を離れた者であり、
わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(33)


○パーリ語原文
631.
ヨー  ドゥッカッサ  パジャーナーティ
Yo    dukkhassa   pajānāti,
人    苦の     了解する

イデーワ       カヤマッタナー
idheva        khayamattano;
この世の まさに  滅尽 自己の

パンナバーラン   ウィサンユッタン
Pannabhāraṃ    visaṃyuttaṃ,
重荷下した     離縛した人

タマハン  ブルーミ  ブラーフマナン
tamahaṃ   brūmi   brāhmaṇaṃ.
彼を私は  呼ぶ   バラモンを


○一口メモ
人生の重荷とは何でしょうか? まだ小さな小学生もかなり重そうなランドセルを背負って、手にも重そうな袋を持っています。いろいろ勉強させられているのでしょう。実際の荷物の重さの他にも心の重荷を抱えているのでしょう。でもこの頃は楽しい遊びも多いのです。中学生、高校生になると、勉強の悩みの他にも、親との関係、友達との関係での悩み、将来の悩みなど精神的悩みが増えます。これらはすべて人生の重荷なのです。大変な受験勉強を経て、大学生になっても、楽にはなりません。四年生になって、やっと決まった内定が取り消されるという事態も起こります。社会人になれば、学生時代以上に重荷が増えることは書くまでもないでしょう。

 人生の束縛とはなんでしょうか? 子供の頃は、親の期待希望による束縛は大きいのですが、あまり自我が発達してないので、それほど負担に感じないのです。しかし、思春期になると自我が発達して親や学校との期待や規則などとの軋轢が大きくなります。これらは人生の束縛なのです。ですが、大人になるに従って、自分が自分自身に果たしている夢や希望、理想などが自分の束縛になります。また、ダンマパダ345、346番(2008年10月20日のブログに記載)にあるように、財産や家族が束縛なのです。
 http://76263383.at.webry.info/200810/article_20.html

 人生の重荷も束縛も、人間が幸福に生きたい、幸福に生きなければならないという思いから来るのですが、幸福の考え方が間違っているからなのです。幸福とは、良い学校に行き、出世して、お金をもうけ、美味しい食べ物を食べて、立派な家に住むことであると思っているからです。そのために欲望が増大し、また世の中は自分の思うようは行きませんから、自分の思いと反対にますます人生の重荷と束縛を増やし、不幸になるのです。

 不幸の原因は渇愛(欲望)であることを見極め、自分の幸福の考え方を正した人は、人生の重荷を下ろします。また束縛を離れます。人生は楽になり、自由になるのです。その時、自分の苦は滅尽したことを知るのです。そのような人を釈尊はバラモンと呼ぶのです。
(以上2008年12月10日のブログ記事より)


この人生で 重荷下ろして 束縛を 解放した人 彼はバラモン<626>


この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
2008年12月の解説
http://76263383.at.webry.info/200812/article_10.html

2009年10月の解説
http://76263383.at.webry.info/200910/article_15.html

2013年3月の解説
http://76263383.at.webry.info/201303/article_1.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎雨安居中のゴータミー精舎では火曜日の夜の自主瞑想の始めに「初法輪経」を唱えることにしました。興味がある方は是非参加してください。心が穏やかになり、「眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明らかになり、光が生じる」気がします。(初転法輪経の言葉)


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。


この記事へのコメント

あすか
2014年09月26日 17:53
幸せの為にがんばっているのに、
その定義が間違っているが故に、
より苦しくなっていくなんて、
皮肉ですね。

正しい幸福の定義、
頭ではわかったつもりでも、
長年なじんできたものとは
あまりにも違い過ぎるので、
感情が、なかなか受け入れて
くれないようです。

重荷を下ろすのが
いかに幸せか、よく感じてみて、
心から納得できるよう、
日々、努力していきます。
こころざし
2016年08月17日 23:05
何が本当に必要な物で、そして何が不要なものなのか、捨てていいものを抱え込んで執着していないか、はなかなか分からない事の様に思います。長老に教えて頂いた顛倒を思います。
智慧を持って、本当に大切なものが分る様に、そして捨てるべきものに執着しないようにしたいです。