バラモンは 智慧ある賢者 道非道 よく熟知して 涅槃に達する<627>

○少年少女のためのスッタニパータ<627>
・・・
智慧とは何だかわかるかい?
智慧の説明はできないけれど、
智慧ある人は知ってるよ。
誰だい?
一休さん。


第3 大きな章 9.ヴァーセッタ経 34.

○中村元先生訳
627
明らかな智慧が深くて、聡明で、
種々の道に通達し、
最高の目的を達した人、
──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。


○正田大観先生訳
633.(627) 
深遠なる知慧ある者を、思慮ある者を、
道と道ならざるものの熟知者を、
最上の義(目的)を獲得した者を
――わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(34)


○パーリ語原文
632.
ガンビーラパンニャン メダーウィン
Gambhīrapaññaṃ    medhāviṃ,
深遠な智慧ある者を  智慧者を

マッガーマッガッサ  コーウィダン
maggāmaggassa    kovidaṃ;
道と非道を      熟知した人を

ウッタマッタマヌッパッタン
Uttamatthamanuppattaṃ,
最上義に到達した人を

タマハン  ブルーミ  ブラーフマナン
tamahaṃ   brūmi    brāhmaṇaṃ.
彼を私は  呼ぶ    バラモンと


○一口メモ
この詩は、解説しようとする者にとっては恐ろしく難しい詩なのです。「深遠な智慧」と「道と非道」と「最勝義」について説明しなければ解説したことにならないからです。今までも「盲蛇に怖じず」の勢いで、いろいろ難しい言葉を解説しましたが、これにまともぶつかるのは難しいのです。皆様に間違った固定観念を与えて、修行の妨げになるのが一番恐ろしいのです。

そこで、スマナサーラ、藤本晃 著「ブッダの実践心理学 第三巻 心所(心の中身)の分析」の213から217ページの「慧根心所」の項を読んで、「智慧」について学んで欲しいと思いますが、その一部を引用させ頂きます。

「パンニャー(智慧)とは、ありのままにものを見られるということ。我々は自分の主観で、自分の偏見でものごとを見ている。よく知っているつもりだが、本当は眼耳鼻舌身意に入る色声香味触法の情報をありのままに正しく認識しないのです。情報を自分の都合にあわせて捏造するのです。外の情報は何であろうとも、それに関係なく自分の好き勝手に認識するのです。それから、自分が知ったことはそのまま正しいのだと、相当な錯覚も作るのです。パンニャー(智慧)とは、この主観・偏見を破ることで、データを捏造することをやめることで、現われる認識です。そこで初めて、ありのままに観た、ということになるのです。ありのままに観た人が、次の瞬間で解脱に達するのです。と言うわけで、パンニャー(智慧)は心所の中でも唯一の宝物です。」

「道と非道を熟知し」は正しい修行法か、それとも過った修行法かよく知ってという意味です。より具体的に言えば、八正道を実践して、苦集滅道を理解することによってパンニャー(智慧)が生まれることを知り、「神が創造したか否か」とか「絶対的な神がいるか否か」など研究しても智慧が生まれないことを熟知することです。

最勝義は阿羅漢果すなわち涅槃です。ですから、「最勝義に到達した人」は「涅槃に達した人」すなわち、阿羅漢です。(2009年10月の記事により、2008年の記事を修正)


バラモンは 智慧ある賢者 道非道 よく熟知して 涅槃に達する(403)<627>


上記の記事は2013年3月の解説です。そのアドレスは下記の通りです。
http://76263383.at.webry.info/201303/article_2.htm


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎雨安居中のゴータミー精舎では火曜日の夜の自主瞑想の始めに「初法輪経」を唱えることにしました。興味がある方は是非参加してください。心が穏やかになり、「眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明らかになり、光が生じる」気がします。(初転法輪経の言葉)


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

SRKWブッダ
2014年09月27日 10:27
ニルヴァーナはどのように訪れ、体得され、実感される境地なのであるか。釈尊は、それを次のように見事に表現している。

『ニルヴァーナによりニルヴァーナを知り、ニルヴァーナを思惟せず、ニルヴァーナにおいて思惟せず、ニルヴァーナより思惟せず、このニルヴァーナが自分のものとは思惟せず、ニルヴァーナについて喜ばない。(中部経典)』

***
あすか
2014年09月27日 15:10
情報捏造が仕事のような脳。
ありのまま認識するのは
至難の業ですね
こころざし
2016年08月18日 06:02
刺激から認識した事の思考を回転させ、自ら苦しがったり・不安がったり・寂しくなったりする自分がいます。悲しい現実?的な事を思う機会です。
そのような状態から智慧を養い、抜けれるように精進したいです。