それゆえに 阿羅漢に聞き 憂い捨て 帰らぬ人と 悲しみを去れ<590>

○少年少女のためのスッタニパータ<590>
・・・
混乱して
よくわからなくなったら、
お釈迦様の教えを
よく聞くことです。


第3 大きな章 8.矢経(葥経:せんきょう)17.

○日本テーラワーダ仏教協会「日常読誦経典」訳
590.
それゆえ、覚者に学び、
悲嘆を克服する。
逝った死者を見て、
「この人は、もはや得られない」と[知る]。


○中村元先生訳
590
だから(尊敬されるべき人)の教えを聞いて、
人が死んで亡くなったのを見ては、
「かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ」とさとって、
嘆き悲しみを去れ。


○正田大観先生訳
596.(590) 
それゆえに、阿羅漢(人格完成者)の〔教えを〕聞いて、
嘆き悲しみ〔の思い〕を取り除くがよい。
命を終えた亡者を見て、
「この者は、わたしには〔何も〕できない」と。(17)


○パーリ語原文
595.
タスマー   アラハトー       ストゥワー
Tasmā     arahato         sutvā,
それ故に   阿羅漢の(教えを)  聞いて 

ウィネッヤ    パリデーウィタン
vineyya      paridevitaṃ;
調御すべき   悲しみを

ペータン    カーラカタン   ディスワー
Petaṃ      kālaṅkataṃ    disvā,
死んだ     死者を       見て

ネーソー     ラバー   マヤー    イティ
ne・so       labbhā    mayā      iti.
ない・彼は    得られ   私によって と(知る)


○一口メモ
阿羅漢とは、全ての煩悩を滅して、最高の悟りに達した方を言います。ここでの阿羅漢は世尊を指していると思います。すなわち、自分の息子をなくした信者の悲しみを取り除くために、この「矢経」で述べて来た世尊の教えをよく聞いて、嘆き悲しむ心を抑えないと述べているのです。

死んだ人に対して、「再び生きよ」などとは言えないし、自分では何もできないのだと自覚しなさいと述べているのです。そのように自覚することが、悲しみを取り除くために、まず必要なことなのです。


それゆえに 阿羅漢に聞き 憂い捨て 帰らぬ人と 悲しみを去れ<590>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎雨安居中のゴータミー精舎では火曜日の夜の自主瞑想の始めに「初法輪経」を唱えることにしました。興味がある方は是非参加してください。心が穏やかになり、「眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明らかになり、光が生じる」気がします。(初転法輪経の言葉)


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2014年09月04日 07:42
vineyya 、
離れるというような意味と、
リードするというような意味を持つ
動詞なのですね。
皆様、翻訳にさぞ苦労されたのでは。

では、悲しみを vineyya するとは?
考えてみます。
こころざし
2016年08月10日 05:48
ブッダの教えの通りに実践すれば、道は開けると実感しています。自分の認識から思考を回し、そして自ら混沌とした状態を作っているように思いますので、その流れを断ち、真理的に生きれるようになりたいです。