もろもろの 渇愛捨てて 出家する 渇愛消えた 彼はバラモン<640>

○少年少女のためのスッタニパータ<640>
・・・
渇愛って何ですか?
のどがかわいたときに、
水を欲しいと思うような
気持ちです。


第3 大きな章 9.ヴァーセッタ経 47.

○中村元先生訳
640
この世の愛執を断ち切り、
出家して遍歴し、
愛執の生活の尽きた人、
──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。


○正田大観先生訳
646.(640) 
彼が、この〔世において〕、渇愛〔の思い〕を捨棄して、
家なき者として遍歴遊行するなら、
渇愛〔の思い〕と〔迷いの〕生存が完全に滅尽した者であり、
わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(47)


○パーリ語原文
645.
ヨーダ   タンハン  パハントゥワーナ
Yodha    taṇhaṃ   pahantvāna,
この世で  渇愛を   捨てて

アナーガーロー  パリッバジェー
anāgāro       paribbaje;
家なき者として  遍歴する

タンハーバワパリッキーナン
Taṇhābhavaparikkhīṇaṃ ,
渇愛の生存を 滅尽した

タマハン  ブルーミ  ブラーフマナン
tamahaṃ   brūmi   brāhmaṇaṃ.
彼を私は  呼ぶ   バラモンと



○一口メモ
今回の640番(=ダンマパダ416番)の偈は、前の639番(=ダンマパダ415番)の欲望(カーマ)が渇愛(タンハー)に変わっただけです。

欲望は一般用語でも使いますが、仏教用語として使うときは、五感の刺激による欲望(五欲)です。

渇愛は仏教用語です。喉が渇いた人が激しく水を求めるような欲求を言います。渇愛は三種類に分類されます。
1.欲愛(カーマ・タンハー):五欲に対する渇愛(物や楽しみを求める欲求)
2.有愛(バワ・タンハー):生存に対する渇愛(なんとしてでも生きていたいという欲求)
3.無有愛(ヴィバワ・タンハー):非生存に対する渇愛(死んですべてを終わらせたいという欲求)

仏教で渇愛という言葉が使われる主な文脈は2つあります。

1.四聖諦:ブッダが悟られた四つの聖なる真理
①苦という聖なる真理 : 生まれは苦です。老いも苦です。死も苦です。愁い・悲しみ・憂い・悩みも苦です。愛さない者たちと会うのは苦です。愛する者たちと会わないのは苦です。求めて得られないのは苦です。身心への執着は苦です。

②苦の生起という聖なる真理 : 再生を起こし、喜び貪りを伴い。ここかしこで歓喜する渇愛です。すなわち欲愛と有愛と無有愛です。(これが三種類の渇愛です。)

③苦の滅尽という聖なる真理 : 渇愛の消滅による完全な滅尽・捨棄・破棄・解脱・無執着です。

④苦の滅尽に至る行道という聖なる真理 : 聖なる八正道、すなわち正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定です。

2.十二因縁の教え
無明に縁って行が生じる。行に縁って識が生じる。
識に縁って名色が生じる。名色に縁って六処が生じる。
六処に縁って触が生じる。触に縁って受が生じる。
受に縁って渇愛が生じる。渇愛に縁って固執が生じる。・・・(ここに渇愛がある。)
固執に縁って有が生じる。有に縁って生が生じる。
生に縁って老、死、憂愁、悲泣、苦しみ、悩み、落ち込みが現れる。
このようにして、このすべての苦蘊の生起がある。
(日本テーラワーダ仏教協会「日常読誦経典」p25より)
 
この渇愛さえなくせば、すべての苦が消滅し、渇愛をなくした人は解脱するのです。解脱した人は阿羅漢であり、バラモンと呼ぶべき人なのです。
(以上2009年10月の記事を一部修正)


もろもろの 渇愛捨てて 出家する 渇愛消えた 彼はバラモン<640>


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
2008年12月
http://76263383.at.webry.info/200812/article_24.html
2009年10月
http://76263383.at.webry.info/200910/article_29.html
2013年3月
http://76263383.at.webry.info/201303/article_15.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎10月11日から10月17日まで熱海に瞑想合宿があり、ワンギーサ比丘はそれに参加しますが、ゴータミー精舎における朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催します。しかし、この期間の夜の自主瞑想会は行いませんので、御注意お願いします。


◎雨安居中のゴータミー精舎では火曜日の夜の自主瞑想の始めに「初法輪経」を唱えることにしました。興味がある方は是非参加してください。心が穏やかになり、「眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明らかになり、光が生じる」気がします。(初転法輪経の言葉)


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2014年10月10日 08:48

欲望と渇愛
刺激により単に生じるのが欲望。
執着や繰り返しを伴ったりする強い欲が渇愛。
といった感じでしょうか。


渇愛など良からぬ心が生じてしまったら、
悪い行為をしないよう注意しながら、
おさまるまで観察するしかないのでしょうか。
noritarou
2014年10月10日 10:17
フロイトが、死へ向かう破壊的なタナトスの欲求と、人間を結合し統一するエロスの欲求との2つを人間の根源的な欲求に分けていたというのもわかりやすいですが、ブッダは3種類に分けていたのですね。
世間は、テレビ、スマホ、アニメキャラなど「無機物」への愛着という「死」への嗜好、渇愛の道をゆきますが、仏道は、「生き物」への慈しみという限りのない徳の道を説いていますね。
ブッダの説かれた教えに帰依します。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
こころざし
2016年08月22日 20:51
のどが渇いた時、猛烈に水を飲みたいとの欲求が出ると思います。そのような渇愛を満たすことを続けていくとその繰り返しになり、生きているのはその為?と思う様な状況になると感じます。必要な事はやもえないとしても、そうでない事まで同様にならないように戒めたいです。