生きものの 死と再生を すべて知り 涅槃に達した 彼はバラモン<643>

○少年少女のためのスッタニパータ<643>
・・・
虫が死んでいるのか、生きているか、
調べる時はどうするの?
突っついてみる。
動いたら、生きている。
動かなければ、死んでいるよ。


第3 大きな章 9.ヴァーセッタ経 50.

○中村元先生訳
643
生きとし生ける者の生死をすべて知り、
執著なく、幸せな人、覚った人、
──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。


○正田大観先生訳
649.(643) 
彼が、有情(生類)たちの死滅を、
さらには、再生を、全てにわたり知ったなら、
〔一切に〕執着なき者であり、善き至達者たる覚者であり、
わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(50)


○パーリ語原文
648.
チュティン ヨー  ウェーディ サッターナン
Cutiṃ    yo    vedi     sattānaṃ,
死を    人は  知った   生きものの

ウパパッティンチャ  サッバソー
upapattiñca       sabbaso;
再生を と       すべてを

アサッタン  スガタン   ブッダン
Asattaṃ    sugataṃ   buddhaṃ,
執着のない 善行の    悟った人を

タマハン  ブルーミ  ブラーフマナン
tamahaṃ   brūmi   brāhmaṇaṃ.
彼を私は  呼ぶ   バラモンと


○一口メモ
「生きものの死と再生をすべて知」れば、「生命とは何か」が分かるでしょう。「生命とは何か」を知れば、「如何に生きるべきか」理解できるようになるでしょう。ですから、「生命とは何か」を知るとは悟るために必要なことです。

私事になりますが、私は60歳で出家する以前は薬剤師をしていました。その前、若いころは生物学の研究をしていました。その目的は「生命とは何か」を知ることでした。また、その目的は「如何に生きるべきか」を知るためでした。しかし、生物学の研究は、生命に関する知識を増やすことはできますが、「生命とは何か」の答えを得ることはできないと思うようになりました。

それはなぜかを簡単に言えば、自然科学では生命現象を説明する研究はしますが、「生命とは何か?」という問題の立て方をしないからです。例えば、細胞分裂のメカニズムは研究しますが、「なぜ細胞分裂をするのか?」という研究はしないのです。それは神の意図であると思ってかのように、そのような問題の立て方は否定されているからです。

私が求めていた答えは仏教にありました。「生命とは何か?」 生命とは心があることなのでした。そのため、仏教では心の研究をするのです。冥想は心を観察して、研究するためです。心のすべてを知った人は、生命の死と再生のすべてを知った人であり、心のすべてを知った人には無明がなくなります。無明のない人はすべて執着がなくなります。悟った人なのです。彼は阿羅漢であり、最高の人間であるバラモンというべき人なのです。


生きものの 死と再生を すべて知り 涅槃に達した 彼はバラモン<643>


この偈(スッタニパータ643=ダンマパダ419)の解説は次の記事を参考にしてください。
2008年12月
http://76263383.at.webry.info/200812/article_27.html

2009年10月
http://76263383.at.webry.info/200910/article_32.html

2013年3月
http://76263383.at.webry.info/201303/article_18.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎10月11日から10月17日まで熱海に瞑想合宿があり、ワンギーサ比丘はそれに参加しますが、ゴータミー精舎における朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催します。しかし、この期間の夜の自主瞑想会は行いませんので、御注意お願いします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

SRKWブッダ
2014年10月13日 10:05
生きとし生ける者の生死をすべて知り:

昨日までよく鳴っていたラジオが、今日はうんともすんとも言わない。そんなとき、先ずは電池を新しいものに交換してみるであろう。それでも鳴らなければ、本体を揺すってみる。カラカラと音でもすればともかく、中から何一つ意味のある音がしないならば、これは簡単には──具体的には、外れた部品を付け直したり、はんだ付けをやり直したりする程度のことでは──対応できないような深い部分で故障してしまったと分かるであろう。もちろん、電池を交換しただけでまた鳴り始めたとするならば、そのラジオは別に故障してはいなかったのだと分かる。

同様に、完全に覚った人(=慧解脱者)は、有情の行為・振る舞い・言動を見て、彼が再生の因を滅しているかどうかを知る。彼が静かであり、衆生ならば動揺するような事態に遭遇しても動揺する色を見せず、その他さまざまな局面において人を超えた境地に達していると見たならば、彼がすでに情欲を超え、あるいはまたこの形態(rupa)をすでに滅していると分かるのである。逆に、衆生たる有情に過ぎない者のことも一瞥してそうだと分かるのは、もちろんのことである。それはたとえば、大人が幼児を見て、幼児だと知るようなものである。

***
あすか
2014年10月13日 11:24
科学と仏道がますます近づいてる。
そんな気がするけれど、
色々見えてきただけかも。
こころざし
2016年08月23日 07:15
動いていれば生きていると分かり、動いていないとそれが判別出来ない印象を持っています。そして生きていると可愛く感じますが、死んでいると怖い存在になり見えない所に追いやったりします。金魚すくいで取ってきた金魚も同様の状態になっています。
そのような自分を観察し真理を知って、そして無知を無くして参りたいです。