バラモンの 名前といえど 単なる名 その人格を 示すものでない<648>

○少年少女のためのスッタニパータ<648>
・・・
名前がどんなに
立派でも
勉強しなければ
賢い人にはなれません。


第3 大きな章 9.ヴァーセッタ経 55.

○中村元先生訳
648
世の中で名とし姓として付けられているものは、
名称にすぎない。
(人の生まれた)その時その時に付けられて、
約束の取り決めによってかりに設けられて伝えられているのである。


○正田大観先生訳
654.(648) 
まさに、これは、世における〔ただの〕呼称であり、
名前や氏姓は、〔そのようなものとして〕想い描かれた〔だけの〕ものです。
慣習(世俗:社会通念)から生まれ来たものであり、
そこかしこにおいて、〔そのように名づけられ〕想い描かれた〔だけの〕ものです。(55)


○パーリ語原文
653.
サマンニャー   ヘーサー       ローカスミン
Samaññā      h’esā          lokasmiṃ,
名称        なぜなら、これは   世間における

ナーマゴッタン   パッカピタン
nāmagottaṃ     pakappitaṃ;
名前・姓       付けられた

サンムッチャー    サムダーガタン
Sammuccā       samudāgataṃ,
習慣によって     生じて

タッタ  タッタ   パカッピタン
tattha  tattha    pakappitaṃ.
そこかしこで     付けられた


○一口メモ
世尊は620偈から昨日の647偈までバラモンを徳の面から説かれました。しかし、生まれによってバラモンであると固執する人々は、バラモンという名称の意味を知らないのです。

この文章の意味が少し分かりにくいかもしれませんので、泥棒の譬えで説明しましょう。Aという人がいました。Aが泥棒をしました。その時Aを泥棒と言います。しかし、Aという人は赤ちゃんの時から泥棒というわけではないのです。つまり、バラモンは泥棒と同じように名称で、阿羅漢のような徳のある人をバラモンと呼ぶのです。ですから、世間でバラモンと呼ばれる人も赤ちゃんの時からバラモンではないのです。

今回の偈を分かりやすく、書き換えれば、「世間でバラモンの名や姓とされているものも、他の名称と同じような名称に過ぎない。世間の習慣や取り決めで名付けられて名付けられただけです。その名前によってバラモンに成るわけではないのです。」ということです。


バラモンの 名前といえど 単なる名 その人格を 示すものでない<648>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

SRKWブッダ
2014年10月18日 09:30
錯覚は、それが錯覚だと頭で分かっても見た目は錯覚したままであり、錯覚現象そのものから脱れることはできない。同様に、これは名ばかりのものであると頭では理解しても、実際には人々(衆生)は名称に心が左右されるものである。

有り体に言えば、覚っても錯覚現象から離れることはできない。錯覚現象は、この形態(rupa)作用よりも根深いものだからである。その一方で、覚れば──心解脱のレベルにおいてさえ──名称に心が左右されることは無くなる。この名称(nama)作用は、少なくとも錯覚現象ほどまでは根深いものでは無いということである。

***
あすか
2014年10月18日 18:16
バラモンの何たるかを学び、
親がバラモンなだけで、
バラモンになれるかというと、
それは違うだろう、
と理解できてきました。
こころざし
2016年08月25日 18:56
その名前があれば・・みたいな変な固定概念?錯覚?はありますように思います。昨今では東大出身でも・・等から通じない面はありますように思いますが、少し前まで学歴が幅を利かせていた時代もあったと記憶しています。
勉強し・精進し・心を成長させて、そして・・の名称で言われるような人になりたいです。