偏見が 無知な人には ありますよ 生まれによって バラモンになると<649>

○少年少女のためのスッタニパータ<649>
・・・
昔ワンギーサという
阿羅漢がおられたと言って、
ワンギーサと言う名前をつけても
その人が阿羅漢になるとは言えない。


第3 大きな章 9.ヴァーセッタ経 56.

○中村元先生訳
649
(姓名は、かりに付けられたものにすぎないということを)知らない人々にとっては、
誤った偏見が長い間ひそんでいる。
知らない人々はわれらに告げていう、
『生れによってバラモンなのである』と。


○正田大観先生訳
655.(649) 
無知なる者たちの、
長夜にわたり悪しき習いとなった、悪しき見解があります。
無知なる者たちは、わたしたちに説きます
――『出生によって、婆羅門と成る』〔と〕。(56)


○パーリ語原文
654.
ディーガラッタマヌサイタン
Dīgharattam・anusayitaṃ,
長い間・潜在していた

ディッタイガタマジャーナタン
diṭṭhigatam・ajānataṃ;
執見がある・知らない人たちに

アジャーナンター   ノー    パブルワンンティ
Ajānantā         no      pabruvanti,
知らない人たちは   我々に   言う

ジャーティヤー   ホーティ    ブラーフマノー
jātiyā          hoti       brāhmaṇo.
生まれによって   ある      バラモンで


○一口メモ
知らない人々というのは、中村先生の訳のカッコの中の言葉にあるように、(姓名は、かりに付けられたものにすぎないということを)知らない人々という意味です。姓や名は当たり前のように、生まれると名づけられますので、姓と名の意味を考えることもせず、何のためにつけたかを気づかずに、姓と名をその人自身のように思うようなっているのです。姓名はその人を他の人から区別して、交際のために付けたのです。姓名はその人自身ではないのです。

バラモンに付けられた名を持つ人を、その人がバラモンであるかのような偏見(錯覚)を長い間持ち続けているのです。そのため、姓名はかりに付けられたものにすぎないということを知らない人々は、生まれた時につけられた姓名によって、その人がバラモンであると思うようになったのです。そして、それらの人々は「生まれによってバラモンである」と言うのです。


偏見が 無知な人には ありますよ 生まれによって バラモンになると<649>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2014年10月19日 15:53
名による思い込み、
「バラモン」だけではなさそうです。
こころざし
2016年08月25日 19:00
売れないので名前を変えた・・という話を歌手等から伺ったことがあります。また苗字を買うみたいな流れもあります。そのような名前で・・の視点はずれているように感じます。名前ではなく生き方で勝負?出来る様にしたいです。