世の中は 行為によって 成り立って 行為によって 束縛される<654>

○少年少女のためのスッタニパータ<654>
・・・
人間の行為とは
身体の動きと
話すことと
考えること。


第3 大きな章 9.ヴァーセッタ経 61.

○中村元先生訳
654
世の中は行為によって成り立ち、
人々は行為によって成り立つ。
生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている。
--進み行く車が轄に結ばれているように。


○正田大観先生訳
660.(654) 
行為によって、世は転起します。
行為によって、人々は転起します。
行為の結縛ある有情たちは、
進み行く車の、諸々の楔(車軸に車輪を固定する部品)のようなものです。(61)


○パーリ語原文
659.
カンムナー     ワッタティ    ローコー
Kammunā      vattati      loko,
行為によって   成り行く    世の中は

カンムナー    ワッタティ   パジャー
kammunā      vattati      pajā;
行為によって   成り行く    人々は

カンマニバンダナー    サッター
Kammanibandhanā     sattā,
行為に束縛されている  衆生は

ラタッサーニーワ        ヤーヤトー
rathassāṇīva           yāyato.
車の車軸のくさびのように  進み行く


○一口メモ
世の中は何によって成り立っているのかと問われると、その回答は難しいと思います。
世の中にはいろいろなものがあり、いろいろなことがあるからです。
あなたはどのように考えるでしょうか?
私は、まず世の中を構成するものを考えるでしょう。
世の中を構成するものは何でしょうか?それは人々です。

その人々は何によって成り立っているのでしょうか?
人々は行為によって成り立っているのです。
行為なしには人々は存在できません。行為と言えば、身口意の行為です。人間は身体を動かし、話しをし、考えながら生きているのです。

そのように考えると、世の中も行為によって成り立っていると考えていいのでしょう。

衆生とは生きとし生けるものですから、人間以外の全ての生命を含みますが、人間以外の生命も、人間に準じて考えればいいでしょう。

人間は、身口意の行為によって生きているのですから、それらの行為に結びついているのです。それらから離れることはできません。ですから、人間にそれらの行為に拘束されているのです。ブッダはそのような人間たちの行為を、進んでいる車に車輪を結びつけている部品にたとえているのです。譬えの意味が分かりにくいかもしれませんが、その部品がなければ、車が成り立たないように、人々も世間も成り立たないのです。その部品があるから人々も世間が成り立っています。

この偈は、明日に述べる偈の伏線です。優れた行為によって優れた結果を生むことを示すためのものです。


世の中は 行為によって 成り立って 行為によって 束縛される<654>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎11月1日(土)から11月2日(日)は八王子市の正山寺のカティナ衣法要が開催されます。この法要は11月1日の夕方から始まり、夜を徹して読経をし、2日朝と昼の食事のお布施などが行われます。私ワンギーサはこの法要に参加しますから、11月2日のゴータミー精舎での朝の瞑想会は行いません。


◎11月3日(月)はゴータミー精舎でのカティナ衣法要が行われます。この日は朝の瞑想会は行いますが、カティナ衣法要に伴う行事の終了時間が確定しませんので、夜の瞑想会は中止します。
しかし、皆さんカティナ衣法要に奮って参加してください。この法要に参加する人には大きな功徳があると言われています



◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

SRKWブッダ
2014年10月23日 08:26
ここで衆生は車輪に譬えられている。回転する車輪は、同じことを繰り返す輪廻のイメージである。ところで、なぜ車輪は車軸から外れないのであろうか? それは、それが絶対に外れないように軸の端にしっかりと轄が打ち込まれているからである。この轄を抜き去るのは容易ではない。何となれば、車輪から見て、まさか轄があるゆえに車輪は軸から外れないのだとは思いもよらないからである。車輪を外すよすがは、車輪とは違うところに存在している。同様に、苦の輪廻を終わらせるために抜くべきもの(=苦の体)も、一切世間の中には存在せず、思いもよらないところに存在しているのである。

***
あすか
2014年10月23日 12:59
そもそも世間が何なのかすら、
よくわかっていない事に気がつきました。
こころざし
2016年08月26日 21:07
日常を観察し、世の中が行為で回っている様子を感じました。例えばお金儲けも行為になるかと思います。また利権を守ったり・それに反対運動をするのも同様の、行為になるでしょうか。
自分の行為に気がついて、そしてそれが仏教的になるように努めたいです。