三明で 寂静にして 不再生 そのような人を 梵・帝釈と知れ<656>及び<あとがき>

○少年少女のためのスッタニパータ<656>
・・・
昔の学生・生徒の三明は
勉強も問題がない。
バイトの問題がない。
彼氏・彼女の問題がない。
今はどうかな?


第3 大きな章 9.ヴァーセッタ経 63.及び<あとがき>

○中村元先生訳
656
三つのヴェーダ(明知)を具え、
心安らかに、再び世に生まれることのない人は、
諸々の識者にとっては、梵天や帝釈[と見なされる]のである。
ヴァーセッタよ。このとおりであると知れ。」

<あとがき>
このように説かれたので、ヴァーセッタ青年とバーラドヴァーシャ青年とは師に向って言った、「すばらしいことです。ゴータマ(ブッダ)さま。すばらしいことです。ゴータマさま。譬えば、倒れた者を起こすように、覆われたものを開くように、方角に迷った者に道を示すように、あるいは『眼ある人々は色やかたちを見るように』といって暗夜に灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで理法を明らかにされました。いまわたくしはゴータマさまと真理と修行僧のつどいに帰依したてまつる。ゴータマさまはわたくしたちを、在俗信者として受けいれてください。わたくしたちは、今日から命の続く限り帰依いたします。」


○正田大観先生訳
662.(656) 
三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)を成就した者が、
〔心が〕寂静となった者が、さらなる〔迷いの〕生存が滅尽した者が
――ヴァーセッタさん、このように知りなさい
――識者たちにとっては、梵〔天〕(ブラフマー神)であり、帝釈〔天〕(インドラ神)なのです」〔と〕。ということで――(63)

<あとがき> このように言われたとき、ヴァーセッタとバーラドヴァージャの〔二者の〕学徒は、世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマよ、すばらしいことです。……略……。貴君ゴータマは、わたしたちを、在俗信者として認めてください。今日以後、命ある限り、帰依所に赴いた者として〔認めてください〕」〔と〕。ということで――


○パーリ語原文
661.
ティーヒ   ウィッジャーヒ    サンパンノー
Tīhi      vijjāhi          sampanno,
三つの    明智を         そなえ

サントー   キーナプナッバワォー
santo      khīṇapunabbhavo;
寂静で    再生の尽きた人

エータン   ワーセッタ     ジャーナーヒ
Evaṃ      vāseṭṭha      jānāhi,
このように  ヴァーセッタよ  知れ

ブラフマー  サッコー    ウィッジャナタンティ
brahmā     sakko      vijānatanti.
梵天      帝釈天     識者たちにとって・と


<あとがき>のパーリ語原文は省略します。


○一口メモ
この「ヴァーセッタ経」はこの偈で終わります。世尊はバラモン青年の「バラモンは生まれによるか、それとも行為によるか」という質問にたいして、人間は生まれながらの差別がないが、行為(業)によって区別あると説かれます。

さらに、バラモンの真のあり方が述べられますが、その結論はこの偈で説かれます。三明をそなえ、寂静にして、輪廻を脱した方と述べられます。そのような方は識者(賢者)にとっては単なるバラモンではなく、梵天や帝釈天のような方だというのです。つまり、そのような方は仏、阿羅漢なのです。

言葉の説明。三明とは、一般的にはバラモンの学習する三つのヴェーダと解されますが、ここでは宿命通、天眼通、漏尽通を意味します。
宿命通とは、自己及び他人の前世ことを知ることができる智慧です
天眼通とは、天人のように肉眼で見えない遠い所や微細なものを見ることができる智慧です。
漏尽通とは、あらゆる煩悩を滅し尽くすことができる智慧です。
以上が通常の解釈です。

しかし、このブログに時々コメントしてくださるSRKWブッダという方のサイトでは三明について下記のように解説されていました。新しい解釈を学ぶことは自分の固定観念に対するこだわりをなくすために必要なことだと思いますので、引用させて頂きました。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou039.htm
覚りの境地に至った時、直ちに次の3つの智(三種の明知)を生じます。
① 漏尽通
自分が、間違いなく覚りの境地に至ったのだということを如実に知ることを漏尽通と言います。 それは例えば、自分が赤色が分かるようになったとき確かにすべての赤色が間違いなく分かることを如実に知るようなものです。
② 宿命通
自分にとっての善知識が誰であったのかを如実に知ることを宿命通と言います。つまり、自分が覚りの境地に至る際に認知した「法の句」が、誰が放ったものであったかということについてはっきりと思いだし、その人とは確かな宿命(因縁)があったのだと後追いで知るのです。
③ 天眼通
自分にとって、目を背けるべき対象がまったく無くなったことを実感することを天眼通と言います。すなわち、人々(衆生)は、好き嫌いの想いがあるゆえにすべての対象物を公平・平等に見ることができずにいますが、覚りの境地に至った人は好き嫌いの想いが消滅するゆえに、すべてのものを公平・平等に、毛嫌いすることなく見つめることができるのです。(以上引用)

<あとがき>は、スッタニパータ第1章7.賤民経やその他の経の<あとがき>と同様のものであります。

あすからは、新しく「コーカーリヤ経」が始まります。これは少し怖い話しです。


三明で 寂静にして 不再生 そのような人を 梵・帝釈と知れ<656>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎11月1日(土)から11月2日(日)は八王子市の正山寺のカティナ衣法要が開催されます。この法要は11月1日の夕方から始まり、夜を徹して読経をし、2日朝と昼の食事のお布施などが行われます。私ワンギーサはこの法要に参加しますから、11月2日のゴータミー精舎での朝の瞑想会は行いません。


◎11月3日(月)はゴータミー精舎でのカティナ衣法要が行われます。この日は朝の瞑想会は行いますが、カティナ衣法要に伴う行事の終了時間が確定しませんので、夜の瞑想会は中止します。
しかし、皆さんカティナ衣法要に奮って参加してください。この法要に参加する人には大きな功徳があると言われています。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2014年10月25日 18:12
現代の日本には残念ながら
お釈迦様はいらっしゃいません。
にもかかわらず
色々な方々のおかげで
教えを学べるのは
大変幸せなことです。
ありがとうございます。

こころざし
2016年08月27日 19:14
本文を拝見し、前世知ったり・肉眼で見えない遠い所や微細なものを見る事が出来たりする(まるで)超能力の様な能力と同レベルで、煩悩を滅し尽くすことが出来る事が述べられているのを拝見し、それが超人的でないと出来ない事・・なのだと感じました。確かに前者2つに比べて煩悩が身近にあるので、それを無くせればよい、と安易に思ってしまうのは自分が(それがどれだけ能力が必要か分かってない)無知だからだと思います。修行をして参りたいです。