欲求と 貪り捨てて 眼(め)ある人は この世の地獄 超え渡るべき<706>

○少年少女のためのスッタニパータ<706>
・・・
今ある服を離さずに
あの服この服
欲しいと思う心が地獄です。
これらを捨てて、地獄を出なさい。


第3 大きな章 11.ナーラカ経 28.

○中村元先生訳
706
凡夫は欲望と貪りと
執著しているが、
眼(まなこ)ある人はそれを捨てて道を歩め。
この(世の)地獄を超えよ。


○正田大観先生訳
712.(706) 
そこにおいて、〔迷える〕凡夫が執着するところの、
しかして、〔悪しき〕欲求を捨棄して、さらには、貪欲〔の思い〕を〔捨棄して〕、
眼ある者は、〔法の道を〕実践するように。
この地獄を超えるように。(28)


○パーリ語原文
711.
ヒトゥワー    イッチャンチャ      ローバンチャ
‘‘Hitvā       icchañ・ca        lobhañ・ca,
捨てて      欲求を・と        貪欲を・と

ヤッタ    サットー   プトゥッジャノー
yattha    satto      puthujjano;
ところの  執着する   凡夫が

チャックマー   パティパッジェッヤ
Cakkhumā     paṭipajjeyya,
眼がある人は  実践するように

タレッヤ    ナラカン    イマン
tareyya     narakaṃ    imaṃ.
渡るがよい  地獄を     この



○一口メモ
欲望(欲求)と貪欲とありますが、その意味の違いは、まだ得てない対象を欲しがることと、手に入れた対象を貪るという所にあります。そのような欲求と貪欲に凡夫は執着するのです。

眼ある人とは、ここではナーラカさんに言っているのですが、「聖者の行」を実践しようとする人は、欲求や貪欲に執着しないようにと述べられています。「眼ある人」は普通覚った人を指す場合が多いのですが、ここではまだ覚ってなく、その志のある人です。

注釈書には、欲求と貪欲の対象を衣服や生活必需品をさしていると説明されています。そのように考えると分かりやすいと思います。新しい衣服を欲しがって、買い求めた衣服に執着して、たれにも貸さないし、触らせもしないというような態度です。これは生活の清浄を失うことになるのです。

この(世の)地獄とは、中村先生の訳には(世の)と説明が入っていますから、分かりますが、生活必需品を欲しがり、貪る態度をこの世の地獄と言っています。そして欲求と貪欲を捨てることが、この世の地獄を超えることなのです。


欲求と 貪り捨てて 眼(め)ある人は この世の地獄 超え渡るべき<706>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎緊急連絡:12月14日(日)9:30~17:00 関西「法話会&僧房落慶・お荘厳お披露目」法要が開催され、それに私(ワンギーサ)が参加しますので、13日(土)及び14日(日)のゴータミー精舎における夜の瞑想会は中止します。尚、朝の瞑想会は代理人により通常通り行います。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

カエルくん
2014年12月13日 06:07
先生、皆様、おはようございます。

少欲知足を心掛けて、自分の持ち物をだいぶ減らしたのですが、今度は空いたスペースを埋めるために、新しい物が欲しくなり、ネットで検索している自分がいます。
「欲しい」という気持ちを手放し、持ち物の少ない暮らしを楽しみたいと思います。

持っている物が少ないと、やはり身軽です。
管理に煩わされることが少なく、心が軽くなるのを感じます。
あすか
2014年12月13日 07:26
物をほしがる気持ちも困りものです。
持ち物への愛着は更に厄介です。
これらがどんなに苦しいかよく観察し、
どんどん執着を減らしていきたいものです。
りんご
2014年12月13日 09:20
物自体が、地獄ではなく、それに執着する心(気持ち・態度)が、この世を地獄にしてしまうのだなと理解しました。

きっと、物は変化してしまうので、執着していると、悲しくなったり、つらくなったり心で感じてしまうのでしょう。
MK
2014年12月13日 13:22
生活必需品を集めたいと思う気持ちを、この世の地獄と形容されるとは。
今日、職場のおばあさんにこの偈の話をしたら、変わってるねぇと仰っていました。やりたくても出来ないとも仰っいました。
仏教の話に慣れると、この世の地獄という表現にも違和感なく、なるほどと楽しく感じますが、やっぱり一般の人々には受け入れ難い、変わった考えなのだなと思いました。
てくてく
2014年12月13日 14:49
こんににちは。
MKさんの職場のおばあさんのお話は、とても面白いと思いました。
自分は、このお話を読んで、「おばあさんも自分も同じだ~」と思いました。「自分は仏教を学んでいるから」という気持ちを持つなら、それはおばあさんの物への気持ちと同じだと思うからです。仏教を学んでも何も得ないで行きたいです。

生きとし生けるものは幸せでありますように
SRKWブッダ
2014年12月13日 22:44
正しく説かれた理法(ことわり)を、正しく理解する人は少ない。

正しく理解したならば、その正しく理解した人が安らぎ(=ニルヴァーナ)に大きく近づく。これは、一つの真理である。
こころざし
2016年09月13日 06:25
生きていくために必要な物は買いたいと思います。ですが冷静に自分を見ると、その買いたいという動機は、自分の見栄え的なものだったりします。また一つで良いのにもっと・・となる欲も感じます。溜め込むのではなく捨てれるような、欲を持たない様な視点・生き方をしたいです。