その聖者 托鉢の後 森に行き 木の根元で 瞑想すべし<708>

○少年少女のためのスッタニパータ<708>
・・・
瞑想は何のためにするのかな?
先ず、心を落ち着かせ、
身体、感覚、心を観察し、
未知の自分を知って、さとるため。


第3 大きな章 11.ナーラカ経 30.

○中村元先生訳
708
その聖者は托鉢にまわり歩いてから、
林のほとりにおもむき、
樹の根もとにとどまって
座につくべきである。


○正田大観先生訳
714.(708) 
彼は、〔行乞の〕食の行(托鉢行)を歩んで〔そののち〕、
林の外れへと〔歩を〕運ぶように。
木の根元に近しく止住し、
坐所を具した牟尼は――(30)


○パーリ語原文
713.
サ     ピンダチャーラン   チャリトゥワー
‘‘Sa    piṇḍacāraṃ       caritvā,
彼は    托鉢行を        行って

ワナンタマビハーライェー
vanantam・abhihāraye;
林の隅に・足を運ぶように

ウパッティトー   ルッカムーラスミン
Upaṭṭhito       rukkhamūlasmiṃ,
近づいて      木の根元に

アーサヌーパガトー   ムニ
āsanūpagato        muni.
座所につく        聖者は


○一口メモ
ブッダはナーラカさんの問に答え、「聖者の行」について説かれました。村に入ったら、称賛されても、罵らても、舞い上がらず、怒りも持たず、常に落ち着いた態度をとること。また婦女の誘惑にも動揺せずに、淫欲の想いを持たず、衣服に対する欲求を持たず、それらに執着を持たないようにして、その他の日常必需品に対しても、どうように欲求や貪欲に執着をしないように教えました。そしてすべての生き物は自分と同じように殺されたくないのだとしっかり自覚して、他の生き物を殺すことなく、殺させることがないよう注意しました。

しかし、このような教えは自分の行動を自覚していなければできないことなのです。例えば、いつもイライラしている人は、自分が怒っていてもそれを自覚していません。「何故そんなに怒っているの?」と聞いても、「私は怒っていません。」などと答えます。このように自分の心の状態を自覚していることは意外に難しいことなのです。

そこで、ブッダは「聖者の行」を実践するために、自分の心を自覚することを教えています。その方法として瞑想があるのです。この偈は、「聖者の行」を実践する修行者に瞑想を進めています。毎日の修行として村に行き、托鉢をした後には、林や森の片隅の木の下に行き、瞑想をするべきだと述べています。

この偈では瞑想の内容について述べていませんが、自分の心の状態を知ることは重要な課題なのです。しかし、心は観察するのが難しいので、先ず、身体の状態、動きを観察します。身体は目に見えるものですから、比較的観察しやすいのです。次に感覚を観察します。感覚も心より観察しやすいのです。また感覚を感じると必ずそれに伴う心の動きがあるのです。ですから、その心を観察するようにするのです。このようにして瞑想において、身体、感覚、心を観察すると自分に起こるもろもろの現象や法則、真理などが明らかになって来ます。仏教ではこれらの観察する対象を「四念処」と言います。まとめると、四念処は身(身体)、受(感覚)、心、法(現象、真理)です。瞑想については明日も述べることになります。


その聖者 托鉢の後 森に行き 木の根元で 瞑想すべし<708>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2014年12月15日 07:55
心の観察は難しいです。
それでも、感覚とは別に、
何かが生じているな、
くらいはわかるように
なってきました。
りんご
2014年12月15日 08:59
一口メモにあった『村に入ったら、称賛されても・・・中略・・・舞い上がらず、怒りも持たず、常に落ち着いた態度をとること。』ということを行うためには、常に自分の心と体の状態を自覚している(知っている)必要があるのですね。座っている時以外も瞑想(観察)することが大切なのだなと理解しました。難しそうです。
こころざし
2016年09月14日 07:21
日常生活動作の諸々で、冥想が出来ていない事があります。また、その日常の諸々を先にやって、冥想がどうしても後になります。そんな状態でも志を持って、冥想実践を行い、悟りに向かえるようになりたいです。