道の人 多くのことを 語らずば 聖者の行に 適うと知らるる<723>

○少年少女のためのスッタニパータ<723>
・・・
バカな人と見られないためには
黙っていればよい。
しかし、それだけで
賢い人にはなれません。


第3 大きな章 11.ナーラカ経 45.

○中村元先生訳
723
しかしみずから知って己れを制し、
みずから知っているのに多くのことを語らないならば、
かれは聖者として聖者の行にかなう。
かれは聖者として聖者の行を体得した。」


○正田大観先生訳
729.(723) 
しかして、彼が、〔あるがままに〕知る者として、自己を制した者であるなら――
〔あるがままに〕知る者として、多くを語らないなら――
彼は、牟尼であり、寂黙〔の道〕に値する――
彼は、牟尼であり、寂黙〔の道〕に到達したのだ」〔と〕。ということで――(45)


○パーリ語原文
728.
ヨー     チャ    ジャーナン   サンヤタットー
Yo       ca     jānaṃ       saṃyatatto,
者ならば  しかし   知って      自ら制御する

ジャーナン    ナ    バフ    バーサティ
jānaṃ       na    bahu    bhāsati;
知って      ない   多く    語ら(ない)


サ    ムニー    モーナマラハティ
Sa     munī     monam・arahati,
彼は   聖者     聖者の位に値する

サ   ムニー     モーナマッジャガーティ
sa    munī      monam・ajjhagā’’ti.
彼は  聖者      聖者の位に達した・と


○一口メモ
今回の723偈をよく読むと、前回の722偈と内容が逆のです。前回は<道の人>は多くを語ると書いてありましたが、今回は「みずから知っているのに多くのことを語らないならば、かれは聖者として聖者の行にかなう。」となっています。この矛盾をどのように考えたらよいでしょうか?

ダンマパダ268番には、「ただ沈黙しているからとて、愚かに迷い無智なる人が聖者なのではない。」と述べられています。のブログ記事のアドレスは次の通りです。
268 沈黙で 聖者になると 言えないよ 愚昧であり 無智ならば
http://76263383.at.webry.info/201211/article_4.html

たまたま拝見したSRKWブッダ様のこの偈の訳を御紹介しましょう。
723.
しかし(あいてのためを慮って)みずから知って己れを制し、
みずから知っているのに多くのことを口に語らないならば、
かれ<道の人>は聖者として聖者の行ないに適っている。 
それゆえに、かれは聖者として聖者の行を体得(完成)した真の聖者であると知られるのである。」
 (注:聖なる沈黙と名づく)

この訳では(あいてのためを慮って)と補って訳されていますから、上記の矛盾が解決できます。聖者が黙っているのは必要があって黙っているということです。ただ、黙っているという訳ではないのです。必要がある時は聖者は大いに語るのです。SRKWブッダ様ありがとうございました。

今回の723偈を持って、「ナーラカ経」が終わります。明日からは「二つの観察経」です。ご期待下さい。


道の人 多くのことを 語らずば 聖者の行に 適うと知らるる<723>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎12月29日(月)から1月4日(日)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサ比丘が熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2014年12月29日 07:23
必要に応じて。
当たり前のようでいて
実は大変難しい。
カエルくん
2014年12月29日 09:46
人は口の中に斧を持って生まれてくる、という例えがありましたね。
私は言葉がきついので、日々反省することばかりです。
発した言葉は取り戻せないので。
あいてを慮って、優しい言葉を使えますように。
必要に応じて、沈黙を守れる人になれますように。
りんご
2014年12月29日 10:31
どんな時に話す必要があるのか、
その判断が大切で、中々難しいと
感じました。
こころざし
2016年09月19日 19:10
黙っていれば失言からボロが出る様な自体は防げますが、何かしらの助言・アドバイス的な意見が欲しい時に、無力な存在になるように思います。智慧のある方でしたら適切な助言をして下さるように思います。
また、黙っていない人はえてして「自分は知っているよ!」の自分PRをする為に発言する事があるようにも思います。そのような見栄的なものではなく、必要な発言は出来る様にしたいです。