村に入り ののしられても 拝まれても 同じ態度が 聖者の行だ<702>

○少年少女のためのスッタニパータ<702>
・・・
ほめられても
舞い上がらずに、
けなされても
落ち込まないように。


第3 大きな章 11.ナーラカ経 24.

○中村元先生訳
702
村にあっては、罵られても、敬礼されても、
平然とした態度で臨め。
(罵られても)こころに怒らないように注意し、
(敬礼されても)冷静に、高ぶらずにふるまえ。


○正田大観先生訳
708.(702) 
村においては、罵倒され敬拝されたとして、
〔心を〕等分に作り為すように。
意の怒りを守り押さえるように。
寂静にして、傲慢ならずに、〔村を〕歩むように。(24)


○パーリ語原文
707.
サマーナバーガン    クッベータ
‘‘Samānabhāgaṃ     kubbetha,
同じ態度を         取るがよい

ガーメー    アックッタワンディタン
gāme      akkuṭṭha・vanditaṃ;
村において  罵られても・拝まれても

マノーパドーサン   ラッケッケヤ
Manopadosaṃ     rakkheyya,
心の怒りを       守り抑えるように

サントー    アヌンナトー    チャレー
santo      anuṇṇato      care.
静かに     たかぶらずに   行くがよい


○一口メモ
普通、人間はけなされれば怒り、ほめられれば喜びます。これは人間でなくても犬や猫も同じようです。ですからこれはすべての生命に共通の現象でしょう。ところがこの偈で述べられていることは現象の反対のことをするように述べられているのです。

ブッダが「聖者の行」として始めにナーラかさんに教えたことは、この現象と反対のことなのであります。つまり、罵られても(=けなされても)怒らず、敬礼されても(=ほめられても)喜ぶなということです。このどちらにたいして同じ態度を取りなさいと教えているのです。ですからこれは確かに難しいことです。しかし、聖者、覚った人はこのような態度を取るのです。

何故でしょうか? この問題を考える前に、何故生命はほめられれば喜び、けなされれば怒るかについて考えてみる必要があります。それは生命が何かに依存して生きているからです。この依存は保障された時は安心して、喜ぶのです。逆に依存が保障されない時は不安になり、恐怖や怒りが現れるのです。ほめられるということ保障されたと感じ、けなされると保障されてないと感じてしまうからです。

しかし、聖者、覚った人は何ものにも依存しない独立・自立の人なのです。ですから、ほめられることにも、けなされることにも無関心、無頓着なのです。どちらにたいしても同じ態度を取るのです。「聖者の行」を学ぶ人は、始めはこの通り実践できないと思いますが、ほめられて喜び、けなされて怒る自分をよく観察し、それが当たり前だと思わずに、人の評価に依存している自分を自覚するように、ブッダはこのように教えるのです。


この偈はよくよく考察すれば、もっと深い意味がありそうですが、今回はここまでにしておきます。


村に入り ののしられても 拝まれても 同じ態度が 聖者の行だ<702>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。



~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎緊急連絡:12月14日(日)9:30~17:00 関西「法話会&僧房落慶・お荘厳お披露目」法要が開催され、それに私(ワンギーサ)が参加しますので、13日(土)及び14日(日)のゴータミー精舎における夜の瞑想会は中止します。尚、朝の瞑想会は代理人により通常通り行います。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。


この記事へのコメント

あすか
2014年12月09日 06:52
まず初めの教えが、
「まわりの評価に左右されない」
だったのですね。

いかに他に依存しているかを
思い知らされました。
他の人の言葉や態度で
心がどんな風になるか。
まずはしっかり観察、
そして、ふりまわされないで
いられるか練習してみます。
こころざし
2016年09月12日 07:24
私事の変な話をすみません。職場で医師に接する事があります。大体気難しい・・でいらっしゃるので、和むように・明るくなるように諸々の言葉をかけます。上手く行けば機嫌よく診察や指示等を下さいますが、その後ぐったり疲れている事があります。それは持ちあがると盛り下がる心の動きを感じる機会です。心が安定するように努めたいです。