苦しみは 動揺の縁で 発生す 動揺なくせば 苦しみ消える<750>及び<751>

○少年少女のためのスッタニパータ<750前の散文と750.751.>
・・・
心に感情が現れると
心は動揺する。
心が動揺すると
心は苦しむことになる。


第3 大きな章 12.二種の観察経 27前の散文と27.28.

○中村元先生訳
 「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだけかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか? 『およそ苦しみが生ずるのは、すべて動揺に縁って起るのである。』というのが、一つの観察[法]である。『しかしながら諸々の動揺が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。──すなわち現世における<さとり>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」──

 師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。

750
およそ苦しみが起るのは、
すべて動揺を縁として起る。
諸々の動揺が消滅するならば、
もはや苦しみの生ずることもない。

751
「苦しみは動揺の縁から起る」と、
この禍いを知って、
それ故に修行僧は(妄執の)動揺を捨て去って、
諸々の潜在的形成力を制止して、
無動揺・無執著で、
よく気をつけて、遍歴すべきである。


○正田大観先生訳
 (12)「『他の教相によってもまた……略……。では、どのように、〔他の教相によってもまた、正しく、二なることの随観は〕存在するのでしょうか。『それが何であれ、苦しみが発生するなら、一切は、動揺〔の思い〕という縁から〔発生する〕』ということで、これが、一つの随観となります。『まさしく、しかるに、動揺〔の思い〕の残りなき離貪と止滅あることから、苦しみの発生は存在しない』ということで、これが、第二の随観となります。〔比丘たちよ、〕このように、正しく……略……。しかして、他にも、〔世の〕教師たる方は、こう言いました。

756.(750) 
「それが何であれ、苦しみが発生するなら、
一切は、動揺〔の思い〕という縁から〔発生する〕。
諸々の動揺〔の思い〕の止滅あることによって、
苦しみの発生は存在しない。(27)

757.(751) 
『苦しみは、動揺という縁から〔発生する〕』〔と〕、
この危険を知って、
それゆえに、まさに、〔心の〕動揺を放棄して、
諸々の形成〔作用〕(行:生の輪廻を施設し造作する働き)を破却して、
〔心の〕動揺なく、執取〔の思い〕なく、
〔常に〕気づきある比丘として、遍歴遊行するように」と。(28)


○パーリ語原文

750偈前のパーリ語原文は省略します。


755.(750)
ヤン     キンチ     ドゥッカン    サンボーティ
‘‘Yaṃ    kiñci      dukkhaṃ     sambhoti,
およそ    何であれ   苦が       発生しても

サッバン    インジタパッチャヤー
sabbaṃ     iñjitapaccayā;
すべて     動揺の縁にして

インジターナン   ニローデーナ
Iñjitānaṃ       nirodhena,
動揺の        消滅によって        

ナッティ   ドゥッカッサ    サンバウォー
natthi     dukkhassa     sambhavo.
ない     苦の        発生は


756.(751)
エータマーディーナワン    ニャトゥワー
‘‘Etamādīnavaṃ         ñatvā,
この危険を            知って

ドゥッカン   インジタパッチャヤー
dukkhaṃ    iñjitapaccayā;
苦は      動揺を縁にして

タスマー    ヒ    エージャン    ウォッサッジャ
Tasmā     hi     ejaṃ       vossajja,
それ故に   実に   動揺を      捨てて

サンカーレー   ウパルンディヤ
saṅkhāre      uparundhiya;
諸行を       抑止する

アネージョー   アヌパーダーノー
Anejo        anupādāno,
動揺のない    執着のない

サトー      ビック     パリッバジェーティ
sato        bhikkhu    paribbaje’’ti.
気づきのある  比丘は    遍歴するがよい・と


○一口メモ
今回のテーマは動揺です。動揺だけではよく分かりませんから、中村先生は(妄執の)動揺と説明しています。また正田先生は(心の)動揺と説明しています。注釈書には「渇愛・自意識(慢)・執見・業・煩悩に動揺した」と説明してあります。ここで動揺とは心の動揺と考えればよいでしょう。

心の動揺を縁にして苦しみが生まれることは理解しやすいのではないかと思います。心が動揺している時はどんなときでしょうか?不安な時はそのものズバリ、心が不安定な時で動揺しているのです。怒っている時、イライラしている時も心は動揺しています。怖いと思っている時も心はビクビクと動揺しているのです。何かを期待している時も心はソワソワと動揺しています。また嬉しい時も心はウキウキと動揺しているのです。

心がネガティブな状態な時のみならず、心がポジティブの状態の時でも、心が動揺すると苦しみに繋がるのです。例えば、嬉しくて心がウキウキしていても、その状態がいつまでも続くわけではありません。いつの間にかウキウキ状態はなくなり、退屈になったり、悲しくなったりします。それは苦なのです。祭りのあとの寂しさのようなものです。

このように考えて行くと、心に感情が現れた時には、心は動揺していることが分かります。動揺を縁として苦が発生するということは、感情を縁として苦が発生すると考えてもよいのです。ですから、「感情的に成らずに、冷静になれ」と言うのです。感情は潜在形成作用に含まれます。そのために751偈で「諸々の潜在的形成力を制止して」と述べているのです。

心が動揺を縁として苦が発生するのですから、苦を免れるためにはなるべく心を動揺させずに静かにさせるのがよいのです。完全に心の動揺をなくした状態は涅槃だと言われています。最後は一切の苦をなくすために、一切の動揺をなくし、完全に静かな涅槃を目指しましょう。


苦しみは 動揺の縁で 発生す 動揺なくせば 苦しみ消える<750>

動揺を 捨て行を滅して 無執着 気づきを保ち 遍歴すべき<751>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2015年01月11日 07:24
ワクワク等ならよいではないか、
以前はそう思っていました。

丁寧に心と体を観察してみると、
それらもまた負担なのがわかります。

今はまだ感情の波の苦しさを観察し、
しっかり感じている段階です。

体感し、納得し、
感情の波は苦しいからと、
穏やかでいることを
心から自然にい選べるよう、
毎日、練習します。

今日も生きとし生けるものが
幸せでありますように。
りんご
2015年01月11日 07:38
動揺=感情と理解しました。

動揺しているのと、動揺を自覚している
のは、違う状態。
自覚して(気付いて)すごしたいものです。
身の丈修行者
2015年01月11日 09:23
以前、自己啓発系の学びで「心の浮き沈みは不安定になる。喜びすぎず悲しみ過ぎない」と習いましたが、その理由は分からないでいました。

その理由がこちらで分かるので、凄いな・もっと学びたいなと思っています。

心が動揺しないように人里離れた所に行く・・のではなく、日常の中でいかに心を動揺させないか、気づき・サティまでとし→思考→妄想に発展させないかを精進させたいです。
カエルくん
2015年01月11日 09:47
仏教に出会う前、激しい喜びは苦しみと紙一重では?と思ったことがありますが…。
感情の波そのものが、苦しみを生み出すのですね。
今日一日を、穏やかな気持ちで過ごせますように。
こころざし
2016年09月23日 19:37
落ち着かない時、なにか感情的な時、怒る時等、全て心を観るとその落ち着かなさを感じます。感動した時や喜々とした時も同様です。そんな心の揺れが心の感情がから発生している事は、教えて頂けなければ絶対気づけない印象を感じます。冥想実践を通じ、その心の状況に気が付いて、そして苦が生じない状態になれるようにしたいです。