欲深く 流れのままに 生きる人 実に真理を 覚ることなし<764>と<765>

○少年少女のためのスッタニパータ<764.765と後の散文>
・・・
真理を覚るのは聖者のみ。
しかし皆さんも、
聖者と同じ人間です。
聖者になったらどうですか。


第3 大きな章 12.二種の観察経 41.42.

○中村元先生訳
764
生存の貪欲にとらわれて、
生存の流れにおし流され、
悪魔の領土に入っている人々には、
この真理は実に覚りがたい。

765
諸々の聖者以外には、
そもそも誰がこの境地を覚り得るのであろうか。
この境地を正しく知ったならば、
煩悩の汚れのない者となって、まどかな平安に入るであろう。


 師(ブッダ)はこのように説かれた。修行僧たちは悦んで師の諸説を歓喜して迎えた。実にこの説明が述べられたときに、六十人の修行僧は執著がなくなって、心が汚れから解脱した。


○正田大観先生訳
771.(764) 
〔迷いの〕生存にたいする貪り〔の思い〕に打ち負かされた者たちによって、
〔迷いの〕生存の流れ(輪廻)に従い行く者たちによって、
悪魔の領域に再生した者たちによって、
この法(真理)が真に正覚されることはない。(42)

772.(765) 
聖者たちより他の、いったい、誰が、
〔その〕境処を正覚するにふさわしいというのだろう
――〔まさに〕その境処を正しく了知して、
煩悩なき者たちは、完全なる涅槃に到達する」と。(43)


 世尊は、この〔言葉〕を言いました。わが意を得た、それらの比丘たちは、世尊が語ったことを喜びました。ということで――さらには、また、この説明が話されているとき、六十ばかりの比丘たちですが、〔何ものも〕執取せずして、〔彼らの〕心は、諸々の煩悩から解き放たれました。ということで――


○パーリ語原文
770.(764)
バワラーガパレーテーヒ
‘‘Bhava・rāga・paretehi,
生存の・貪欲・捕われた人々によって

バワソーターヌサーリビ
bhava・sotānusāribhi;
生存の・流れに・従った人々によって

マーラデッヤーヌパンネーヒ
Māra・dheyyānupannehi,
悪魔の領域に入った人々によって

ナーヤン    ダンモー     スサンブドー
nāyaṃ      dhammo     susambudho.
ない・この   真理は      よく覚ることは


771.(765)
コー    ヌ     アンニャトゥラマリイェーヒ
‘‘Ko    nu     aññatra・m・ariyehi,
誰が   一体    他に・聖者によって

パダン    サンブッドゥマラハティ
padaṃ sambuddhum・arahati;
境地を・よく覚るに・値するか

ヤン   パダン    サンマダンニャーヤ
Yaṃ    padaṃ    samma・d・aññāya,
この   境地を    正しく・覚った

パリニッバンティ   アナーサワーティ
parinibbanti       anāsavā’’ti.
涅槃に入る      汚れのない人々は・と


765偈の後の散文のパーリ語原文は省略します。


○一口メモ
今回の二つの偈は、第16番目のテーマである「苦と楽」の終わりの二つの偈であると同時に、この「二種の観察経」の終わりの二つの偈でもあります。

ですから、これらの偈で述べられている「真理」は「凡夫が楽と言うものを聖者が苦と見、凡夫が苦と言うものを聖者は楽と見る」という真理とも取れますし、「二種の観察経」全体で述べられた真理、すなわち二種の観察によって、心の解脱あるいは智慧の解脱できるという真理と指すこともできます。

764偈では、この真理は生存に執着し、欲望のままに生きていいる人々、悪魔の領域にいる人々には理解できないと述べています。ここで悪魔の領域とは輪廻の世界を意味しています。

765偈では、この真理を覚れるものは、覚れる境地にいるものと述べているのですが、それは聖者であり、この境地を正しく知って、欲や怒りや無智などの煩悩を克服した方なのです。聖者だけがこの真理を覚り、まどかな平安(涅槃)に入るだろうと述べています。

しかし、聖者のない人々凡夫は覚れないと突き放しているわけではありません。聖者も人間、凡夫も人間です。聖者が出来たことを凡夫が出来ないはずはありません。凡夫は聖者のような境地に立てばよいのです。そのことを皆さん述べておきたいと思います。


最後に今回で「二種の観察経」が終わりますので、この経で述べられた16テーマを復習してみましょう。
1.四聖諦(苦集滅道)
2.生存の素因(生存の基礎)・・・ここでは渇愛としました。
3.無明
4.潜在的形成力(行)
5.識別作用(識)
6.接触(触)
7.感受(受)
8.妄執(渇愛)
9.執着
10.起動(勉励)・・・頑張ること
11.食料(食)
12.動揺
13.従属(依存)
14.物質的領域と非物質的領域(色界と無色界)
15.真理と虚妄(虚偽)
16.楽と苦

以上です。


欲深く 流れのままに 生きる人 実に真理を 覚ることなし<764>

この境地 聖者ほかに 覚れるか 聖者は覚り 涅槃に入る<765>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎1月23日(金)18:30~21:00、ゴータミー精舎にて、スマナサーラ長老による「パーリ経典解説」がありますから、夜の自主瞑想会はお休みします。しかし、皆さん上記「パーリ経典解説」に参加してください。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

りんご
2015年01月17日 08:01
16の側面の、いづれかでも、
上手く観察できれば、きっと
良い結果がでるのでしょうね。

聖者の方々も、もとは、ふつうの
人間。勇気づけられます。
てくてく
2015年01月17日 10:55
こんにちは。
てくてくでございます。

正しく説かれたことばを正しく聞くこと。
ここが人の分かれ目だと思いました。

正しいことばを正しく聞ける人は、迷いのなかにあっても、決して迷わないだろうと思いました。それは、例えば、迷子になったときに交番で正しい道を聞いて、聞いた通りに歩けば、目的地に着けるようにです。一方で、道を聞いて、着いた気になって、だいたいこんな感じでしょうと、聞いた通りに歩かずに、分かったような道を行けば、また迷子になるようにです。

生きとし生けるものは幸せでありますように。
2015年01月17日 11:17
覚りの智慧でもって了知できる「真理」は、覚ってない凡夫には理解できない。

従って、凡夫がその「真理」を了知するためには、覚ることが必要なんだと思いました。
カエルくん
2015年01月17日 12:05
悪魔の領土を脱出するのは難しいことですが…。
飲み会のお誘いや、不必要に高価な服、バッグ、旅行などを勧められると、「おお。マーラが目の前に現れた。分かりやすいなあ」と思います。
せめて、この分かりやすいマーラの誘惑は退けたいと思います。
身の丈修行者
2015年01月17日 12:16
私事ですが、昨日友人に会い「ヨーガの聖者に学んだ凄い○○さん。その方の生き方を目指して学んでます」との話を聞きました。同じ「聖者」がついても言われる事が違うようです。

どなた様を良いと思うかは、人それぞれだなと実感しました。

自分の時間を使ってそんな状況になった訳ですが、もう同じ機会は不要だと思いました。

自分にとって何が大事なのか、そしてどのように自分の限られた時間を使うか→より精進に繋がるように変えたいと決める機会になりました。

ワンギーサ長老・素適な皆様より学ばせて頂きます。どうぞよろしくお願い致します。

今日も幸いでありますように。
こころざし
2016年09月25日 08:11
はい、今の人間であるうちに少しでも心を成長させて、そして聖者の生き方に近づける様になりたいと思っています。
先日妻と話をして、剣道とか茶道とか、○○道とつくものは心の成長させるようなノリがあるとの話になりました。作法とか今こことかの話の中で、自我を減らすというニュアンスを感じました。幸い私はこちらで学ばせて頂いていますので、自分なりに何が大事かを把握しているつもりです。
日々の精進、今日もやって参りたいです。