欲するものが 得られないなら その人は 矢に刺された ように苦しむ<767>

○少年少女のためのスッタニパータ<767>
・・・
ブランド品の
バックでなくても
それより使いよく
安いものがたくさんあるよ。


第3 八つの詩句の章 1.欲望経 2.

○中村元先生訳
767
欲望をかなえたいと
望み貪欲の生じた人が、
もしも欲望をはたすことができなくなるならば、
かれは、矢に射られたかのように悩み苦しむ。


○正田大観先生訳
774.(767) 
もし、彼が、〔欲望の対象を〕欲しているとして、
人に、欲〔の思い〕が生じたとして、
それらの欲望〔の対象〕が遍く衰退するなら、
〔彼は〕矢に貫かれた者のように、悩み苦しむ。(2)


○パーリ語原文
773.(767)
タッサ    チェー    カーマヤーナッサ
Tassa    ce       kāmayānassa,
その人の  もし      欲しつつあるのもかかわらず

チャンダジャータッサ    ジャントゥノー
chandajātassa        jantuno;
欲求(貪欲)が生じた   人にとって

テー    カーマー       パリハーヤンティ
Te      kāmā          parihāyanti,
それらの  欲望(の対象)が  失われるならば

サッラウィッドーワ    ルッパティ
sallaviddhova       ruppati.
矢に貫かれたように  (彼は)悩み苦しむ



○一口メモ
今回は昨日と反対のケースで、欲望をかなえたい望んでいる人が、欲望はたすことが出来なくなった場合について述べられています。その場合は欲望を持つ人は、矢に射られたように苦しむというのです。

この場合の経過について、中村先生の訳を注意深く読むと、細かいポイントが訳さています。「欲望をかなえたいと望み」そして「貪欲の生じた人が」ということになっています。この意味は欲望をかなえたいと望んでも、貪欲の生じない人には悩み苦しみは生じないことになります。

欲望と貪欲の違いを考えてみましょう。人間は生きるために必要なものに対して欲望が現れます。しかし、生きるために必要なものは、その時欲しいと望んだものでなくてもよいのです。お腹がすいたから、ご飯が欲しくなっても、ご飯がなくなっても、パンがあれば充分です。しかし、初めに望んでご飯が欲しいと執着する人は欲望が貪欲に変わったのです。その人にとってはご飯がないことは苦しみですが、パンがあればよいと思う人には、ご飯のないことは苦しみになりません。その辺のことにも注意して読んで下さい。

実は、中村先生が「貪欲の生じた人」と訳されたパーリ語chandajātassaのchandaは通常は意欲と訳され、善悪を評価しない言葉として使われます。しかし、場合によっては貪欲と同義に使われると辞書に書かれています。中村先生はあえて貪欲の意味で訳されているのです。

仏教では、欲望が生まれるとすぐに欲望に対する執着が生じ、貪欲に変わりますから、欲望を抑制するように言いますが、欲望の現れるのはある程度やむを得ないのです。しかし、それに対する執着をなくし、貪欲にならないように注意する必要があるのです。


欲するものが 得られないなら その人は 矢に刺された ように苦しむ<767>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎1月23日(金)18:30~21:00、ゴータミー精舎にて、スマナサーラ長老による「パーリ経典解説」がありますから、夜の自主瞑想会はお休みします。しかし、皆さん上記「パーリ経典解説」に参加してください。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

2015年01月19日 05:27
この場合、ご飯の代わりにパンがあってもパンの種類に好き嫌いがあった。

ご飯を食べたくて幸いご飯があっても、ご飯の味が気に入らない。冷たいご飯は嫌だ。パサバサしてる。量が少ない。等々。

つまり、何でも食べられば満足。という以外は様々な形で「貪欲」が生じているのでしょうね。

単なる欲望と「貪欲」の区別は案外と難しいと思います。
りんご
2015年01月19日 07:41
欲望に、執着が加わると、
貪欲に変わる感じですね。

執着という働きが
問題なのだなと感じました。
欲望も放っておくと、貪欲に
変わる。そのプロセスを実際に
自覚できれば。
カエルくん
2015年01月19日 10:44
他の方のブログで、「欲しいという気持ちもまた無常なので、放っておけばなくなる」と書いてあるのを読み、なるほど、と思いました。
放っておく。
いいな、と思いました。
身の丈修行者
2015年01月19日 12:39
本文の内容とやや外れるかもと思いますが、以前自己啓発系に何度か参加する中で思ったことがありました。

・夢や希望の実現をあおって今の状態ではダメだ・・という方に持っていく→心・気持ちを不安定にする
・これをすると良いですよ、と自分のセミナーや開運グッズ・パワースポット等を進める
・これは自分だけではもったいないので家族・友人・知人に勧めましょう、ともっていく

等があり、そのセミナーをしている方が儲かる・その後も人が来て儲かる流れにあえてしているような印象を感じました。

またそれを教わる方も一時は良いのかもしれませんが結局心は何も変わらず・成長せず、同じ事を繰り返すように思います。

何故そうなるのかを心レベルで知る事の出来る仏教は凄いなと思います。
a
2015年01月19日 14:53
欲求が生まれても追いかけないことが
難関です。
追いかけない精進をいたします。
こころざし
2016年09月26日 19:16
欲が出た時、比較的容易に手に入るもので満足するか、自分がこれ!と欲したものをひたすら追求するかの差は格段にあると思います。後者でしたら容易に苦が生じると思います。欲の内容に気が付いて、そして苦を生まない様な対応が出来る様にしたいです。