欲望を 回避する人  執着を 乗り越えられる  蛇頭のように<768>

○少年少女のためのスッタニパータ<768>
・・・
自分の欲望に執着する人は
自己心的です。
他人はどうでもよくなります。
そのような人は嫌われます。


第3 八つの詩句の章 1.欲望経 3.

○中村元先生訳
768
足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、
よく気をつけて
諸々の欲望を回避する人は、
この世で執著をのり超える。


○正田大観先生訳
775.(768) 
足で蛇の頭を〔避ける〕ように、
彼が、諸々の欲望〔の対象〕を遍く避けるなら、
彼は、世における、この執着を超克する
――〔常に〕気づきある者として。(3)


○パーリ語原文
774.(768)
ヨー     カーメー    パリワッジェーティ
Yo      kāme      parivajjeti,
ところの  欲望を     避ける

サッパッセーワ   パダー    スィロー
sappasseva      padā      siro;
蛇の・ように     足で      頭を

ソー   イマン    ウィサッティカン    ローケー
So     imaṃ     visattikaṃ       loke,
彼は   この     執着を         世間における

サトー       サマティワッタティ
sato         samativattati.
念ある者として  乗り越える



○一口メモ
前回述べたように、欲望そのものが悪いわけではない、欲望に執着することが問題なのです。執着することで苦しみが生じるからです。しかし、執着を乗り越えることは難しいので、その前に欲望に注意するのです。欲望をコントロールすれば、執着を乗り越えられるというわけです。

この偈では、欲望を蛇の頭で喩えています。欲望を足で踏むと蛇は大きな口(執着)を開けて噛みつく(苦しみ)のです。蛇に噛みつかれないようにするためには、蛇の頭(欲望)を踏まないようにすればよいのです。

ここで、欲望に関して、注意すべきすべきことを述べます。一つは欲望には限界がないということです。ダンマパダ186番には「たとえ貨幣の雨をふらすとも、欲望は満足されることはない。」と述べられています。例えば100万円欲しと思った人も、100万円できても満足せず、今度は200万円欲しいと思います。その欲望は決して満足しないのです。満足しない人はいつも不幸なのです。

もう一つの重要な問題点があります。欲望は自己中心的なものです。欲望にとらわれている人は他人の欲望には眼が向かないのです。自分の欲望を満たすためには、他人の欲望はどうでもよいのです。その顕著な例は泥棒です。泥棒は自分の欲望のために、他人の欲望を踏みにじり他人のものを奪うのです。また他の例では、自分が知りたいと思うことがあれば、他人のプライバシーを犯してまでも知りたがります。これらの行為が相手をどのように悲しませているかに気づかないのです。ですから欲望に執着する人は他人に慈悲の心を持つことが出来ないのです。このような人は周りの人々から嫌われ、快適な生活はできなくなり、悩み苦しむということになります。

欲望を回避するためには、「よく気をつけて」(〔常に〕気づきある者として)が必要です。パーリ語ではsato ですが、念(気づき、サティ)が必要であるということです。つまり自分の心に欲望が現れたことに気づくことです。欲望が小さいうち気づけばコントロールしやすいのです。

欲望を 回避する人  執着を 乗り越えられる  蛇頭のように<768>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎1月23日(金)18:30~21:00、ゴータミー精舎にて、スマナサーラ長老による「パーリ経典解説」がありますから、夜の自主瞑想会はお休みします。しかし、皆さん上記「パーリ経典解説」に参加してください。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

2015年01月20日 05:06
当時のインドでは蛇が至るところにいて、ちょっと油断すると蛇の頭を踏みそうになったのでしょうね。

毒蛇に噛まれて死ぬことも日常茶飯事だった。

なので常に注意してないと、常に気づきがないと、蛇の頭を踏んでしまう危険がある。

常に気づきがなく、蛇を見た時だけ(欲望が生じた時だけ)注意するようでは、「遅すぎる」「手遅れ」になるということだと思いました。

身の丈修行者
2015年01月20日 07:57
ワンギーサ長老・皆様おはようございます。

ワンギーサ長老解説の所の>「欲望を蛇の頭で喩えています。欲望を足で踏むと蛇は大きな口(執着)を開けて噛みつく(苦しみ)のです。蛇に噛みつかれないようにするためには、蛇の頭(欲望)を踏まないようにすればよいのです」とても分かりやすいなと思いました。

職場に自分中心で生きていて摩擦を起こし発火し、そして自分から(人のせいにして)去っていく方がいます。既に何個も職場を転々としているようです。

その人を見て「平等」が出来てないなと思いました。自分はOKだけど自分以外の人が同じ事をするのはダメ・・を平気で実行します。

そして自分に問題がある、との自覚は持てない様子です。

もう一歩踏み込んでなぜそんな状態になるのか、欲望との兼ね合いは?等考えてみました。自分なりに思った事は「私は(職場で)らくに働きたい」でした。それをもとに考えると不可思議なその方の行動がすべて説明着きます。

欲望に囚われず(人がどうこう・・ではなく)軽く・楽に生きれるように精進したいなと思います。

ワンギーサ長老・皆様の本日が素晴らしい一日となりますように。
カエルくん
2015年01月20日 07:58
おはようございます。
友人から聞いた話ですが「人は皆、あと2割収入が多いといいなと思うものらしい」ということです。
年収100万円の人も、1000万円の人も、1億円の人も、等しく「あと2割収入が多ければ、希望通りの暮らしができるのに」と(笑)。

「欲望にはきりがない。早めに気づいて、コントロールを」という言葉を忘れずに、欲望を手放す努力を続けます。
りんご
2015年01月20日 08:42
欲望に囚われていると、
欲望に囚われた思いは
自分のためだと勘違いし、
行動してしまう。
結果は、反対で自分のため
にはならない。
何度も仏教を勉強すると
出会うパターンだなと感じます。

対応は気づく(自覚)を続けること
だと理解しました。
教えはある。あとは、やるか、
やらないか。
てくてく
2015年01月20日 11:32
こんにちは。
てくてくでございます。

今日の偈は、音のない背筋が凍るような例えで、ものすごく恐ろしいと思いました。

てくてくの周りには、自然に蛇が生息しているので、それなりの道を静かに道を歩けば蛇に出会います。ところで、蛇はとても警戒する生き物で、相手に自分を見られたと察した瞬間に、ソロソロと音を立てず逃げてしまいます。蛇は、自分を見ない相手にしか近づけず、咬めないと思います。
自然に生息する蛇は、このようですから、蛇の頭を踏もうと思ったら、よっぽど人は蛇を見ないのだと思いました。それは、蛇の大群で埋まった道を、それとは知らないで笑いながら歩くようだと思いました。

生きとし生けるものは幸せでありますように。
a
2015年01月20日 21:07
こんばんは。
美味しいものが食べたい、と思いゆっくり味わう。
いつまでも味を追いかけても、満足は得られません。だから、また欲しくなります。
そして得られないと苦痛となります。
制御いたします。



こころざし
2016年09月26日 19:24
以前、その方の欲的なものに使われてウンザリした時の事を思い出しました。本文にありますように、その方は自分の欲しか見えてない状態でした。ですが、振り返って自分を見た時に、その人の事を笑えないなと実感致しました。
慈悲の実践をして、自分の欲しか見えないという事がないようにしたいです。