人は皆 欲を貪り 死ぬときは どうなるだろうか 嘆き悲しむ<774>

○少年少女のためのスッタニパータ<774>
・・・
もの惜しみの性格は
人には嫌われ
その人の将来は
非常に危険だと思うべきだ。


第3 八つの詩句の章 2.洞窟八詩句経 3.

○中村元先生訳
774
かれらは欲望を貪り、熱中し、溺れて、
吝嗇で、不正になずんでいるが、
(死時には)苦しみにおそわれて悲嘆する、
──「ここで死んでから、われわれはどうなるのだろうか」と。


○正田大観先生訳
781.(774) 
諸々の欲望〔の対象〕について、貪り求め、追い求め、〔心が〕迷乱した者たち
――彼ら、しみったれで、〔世の〕不正に〔思いが〕固着した者たちは、
〔いざ、死の〕苦しみ〔の前〕に連れて行かれたなら、〔うってかわって〕嘆き悲しむ。
「死滅した〔わたしたち〕は、これから、いったい、どう成るのだろう」〔と〕。(3)


○パーリ語原文
780.
カーメース    ギッダー    パスター   パムーレー
Kāmesu      giddhā     pasutā     pamūḷhā,
欲望を      貪り      追いかけ   迷い

アワダーニヤー    テー     ウィサメー   ニウィッター
avadāniyā        te      visame      niviṭṭhā;
ケチで         彼らは   不正に     留まる

ドゥックーパニーター   パリデーワヤンティ
Dukkhūpanītā        paridevayanti,
苦に連れていかれ     嘆き悲しむ

キンスー    バウィッサーマ    イトー   チュターセー
kiṃsū      bhavissāma      ito      cutāse.
一体どう    なるだろうか     ここから  死んで


○一口メモ
今回も欲望を貪る人々について述べています。それらの人々は解脱し難いという以前の問題があります。それは人としての問題です。

これらの人々は、自分の欲望にとらわれていますから、他人のことに関心が向かないのです。他人のことを心配出来ないのです。これらの人々は吝嗇(りんしょく)、すなわち物惜しみの心が強く、自分の持っているものが余っていても、人にはあげませんし、人に使われるのも嫌がります。他人を配慮出来ないので、他人の嫌がることでもしてしまいます。そのため罪を犯すことにもなるのです。それをこの偈では「不正になずんでいる」と書かれています。

罪を犯す人、不正になずんでいる人の行先はよい場所ではないのです。死ぬ前に、「ここで死んでから、われわれはどうなるのだろうか」と嘆き悲しんでももう遅いのです。これはある一部の人々だけではないのです。多くの人間の実情です。ですから、そのことに気づいた人々はこの経の後半のブッダの言葉に耳を傾ける必要があります。


人は皆 欲を貪り 死ぬときは どうなるだろうか 嘆き悲しむ<774>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

りんご
2015年01月25日 04:57
物惜しみしている時は
きっと、その行為が
自分を追い込んでいること
に自覚が無いのだろうと思いました。

自分も、出来るだけそうならない
様に、自覚を保って生活して
いきたいものです。
身の丈修行者
2015年01月25日 08:37
何かに執着していると意識がそっちに行ってしまい、本当に大事なこと気がつけない・・

(欲の)執着を捨てると大事なものに気がつける・・かもしれない機会が生まれる。

何かを選ぶという事は何かを捨てると言う事・・、その話を伺った時、とてもインパクトを感じました。

自分の欲に執着して負の連鎖・・のようになるのでなく、慈しみで、心明るく・クリアになるような生き方を実践したいです。

ワンギーサ長老・皆様、今日も素晴らしい一日となりますように。
カエルくん
2015年01月25日 15:48
物惜みなのかどうか、よく分からないのですが、自分の時間を奪われた、と感じた時に怒りを感じます。静かに自分のペースで過ごしたかったのに、と思うからです。
「自分の時間」というものに執着をしているのかもしれません。
こころざし
2016年09月28日 07:23
私事ですが、以前自分は1円でも得するような何かでなければびた一文出しません、みたいなケチケチ野郎でした。当時高収入と言われる部類でいてそうでした。その頃の自分はまさにギスギスした心の状態でした。
電車でお年寄りは小さいお子様連れの方に椅子を譲ろうとする姿勢で生きる今は、当時を振り返ると随分と心が穏やかだと感じています。少額のお布施もさせて頂いています(余談ですが今は高収入ではありません)。物惜しみで損をするのではない生き方をして参りたいです。