執着の 因縁により 生がある 生まれた者は 死苦があるなり<742前の散文と742.743.>

○少年少女のためのスッタニパータ<742前の散文と742.743.>
・・・
執着があると
なんとしてでも生きたいと思う。
それがあるから
死んでも生まれ変わる。


第3 大きな章 12.二種の観察経 19前の散文と19.20.

○中村元先生訳
 「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだけかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか? 『およそ苦しみが生ずるのは、すべて執著に縁って起るのである。』というのが、一つの観察[法]である。『しかしながら諸々の執著が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。──すなわち現世における<さとり>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」──

 師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。

742
執著に縁って生存が起る。
生存せる者は苦しみを受ける。
生れた者は死ぬ。
これが苦しみの起る原因である。

743
それ故に諸々の賢者は、
執著が消滅するが故に、
正しく知って、生まれの消滅したことを熟知して、
再び迷いの生存にもどることがない。


○正田大観先生訳
 (9)「『他の教相によってもまた……略……。では、どのように、〔他の教相によってもまた、正しく、二なることの随観は〕存在するのでしょうか。『それが何であれ、苦しみが発生するなら、一切は、執取〔の思い〕という縁から〔発生する〕』ということで、これが、一つの随観となります。『まさしく、しかるに、執取〔の思い〕の残りなき離貪と止滅あることから、苦しみの発生は存在しない』ということで、これが、第二の随観となります。〔比丘たちよ、〕このように、正しく……略……。しかして、他にも、〔世の〕教師たる方は、こう言いました。

748.(742) 
「〔迷いの〕生存は、執取〔の思い〕という縁から〔発生する〕。
〔作られたものとして〕有るものは、苦を受ける。
生まれたものには、死が有る。
これは、苦しみの発生である。(19)

749.(743) 
それゆえに、執取〔の思い〕の滅尽あることから、
賢者たちは、正しく了知して、
生の滅尽を証知して、
さらなる〔迷いの〕生存へと赴かない(輪廻的あり方を超越する)」と。(20)


○パーリ語原文

742前の散文のパーリ語原文は省略します。


747.
ウパーダーナパッチャヤー    バウォー
‘‘Upādāna・paccayā         bhavo,
執着の縁によって          生存が(ある)

ブートー       ドゥッカン    ニガッチャティ
bhūto         dukkhaṃ     nigacchati;
生存するものは  苦を       受ける

ジャータッサ      マラナン    ホーティ
Jātassa         maraṇaṃ    hoti,
生まれたものには  死が      ある

エーソー   ドゥカッサ    サンバウォー
eso       dukkhassa    sambhavo.
これが     苦の       発生するところ


748.
タスマー     ウパーダーナッカヤー
‘‘Tasmā     upādānakkhayā,
それ故に    執着の消滅によって

サンマダンニャーヤ   パンディター
sammadaññāya      paṇḍitā;
正しく知って        賢者たちは

ジャーティッカヤン    アビンニャーヤ
Jātikkhayaṃ        abhiññāya,
生の消滅を        熟知して

ナ   ガッチャンティ    プナッバワンティ
na   gacchanti       punabbhava’’nti.
ない 受け          再びの生存を


○一口メモ
十二因縁の教えによれば、渇愛の次は執着(取)です。執着の次は生存(有)です。生存(有)があると、生があるのです。生まれたものは必ず老と死があります。老と死は苦しみです。

執着が業になるのです。これは何としても生きていきたという思いです。この思いは肉体が死んでも残っていて、次の生の因縁になるのです。そして再生するのです。しかし、生まれれば必ず死にます。愚か者は「生まれた者は楽がある」と考えるのですが、「生まれた者は死があり、それは苦を受ける」と742偈で示しています。

『しかしながら諸々の執著が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』と第二の観察で、正しくして、賢者たちは執着を離れ消滅し、再び生存を受けない、輪廻することがないのです。

今回で十二因縁の流れによる二種の観察は終わって、明日からは別のテーマによる二種の観察になります。


執着の 因縁により 生がある 生まれた者は 死苦があるなり<742>

賢者らは 執着の滅 熟知して 迷いの生に 戻ることない<743>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2015年01月08日 07:16
渇愛が生じてしまっても
執着せず、手放す練習。

毎日、課題には事欠きません。

今日も生きとし生けるものが
幸せでありますように。
りんご
2015年01月08日 09:03
今朝は寝たいという気持ちに執着が生じていたような
気がします。

知らず知らずのうちに、まだ寝たいという気持ちになる感じ。やはり、気づいて、執着になる前に対処しないと
執着に飲み込まれますね。
身の丈修行者
2015年01月08日 14:39
「こだわる」のは個性かな?と思う事もありましたが、こだわり過ぎる・・とするともう執着になると学びました。

→安易に陥りがちな自分のパターンにストップをかけたいと実践しています。

「今ここ」をベースにして執着を引っ張らないように生きたいです
カエルくん
2015年01月08日 20:50
執着を手放す習慣は続けていますが、そもそも執着が生まれないようにすることができたら、どれだけ楽だろうか…と思いました。
何かを手放したと思うと、また別の何かを握りしめている。その繰り返しのように思います。
こころざし
2016年09月22日 20:21
何かに執着し続けると、生を終える時もその執着したものが思考の中でかなりの割合を独占し、そして次に回転していくエネルギーになっていく様子を想像致します。例が変ですが、土地や家や何かに執着して亡くなると、そこから動かない(動けない)地縛霊?的なものに似てくるニュアンスを感じます。
何事にも執着しない生き方が出来る度合いを増やせるように修行したいです。