戒律を きびしく守る その人は 思い上がったり 卑下したりする<792>

○少年少女のためのスッタニパータ<792>
・・・
決まりは守れば
よいということではありません。
決まりのある理由をわきまえて、
誰も困らせないことが大切です。


第3 八つの詩句の章 4.清浄八詩句経 5.

○毎田周一先生訳
792.
自ら戒律をきびしく守る人は
自分だけの思いに捉われて思い上ったり卑下したりする
しかし賢い人は深い智慧によって真理を悟り
広やかな明るい心で 思い上りもせずまた卑下もしない


○中村元先生訳
792
みずから誓戒をたもつ人は、
思いに耽って、種々多様なことをしようとする。
しかし智慧ゆたかな人は、ヴェーダ(実践的認識)によって知り、
真理を理解して、種々多様なことをしようとしない。


○正田大観先生訳
799.(792) 
人は、自ら〔自分勝手に〕、諸々の掟を受持して、
〔自分勝手な〕表象(想:概念・心象)に執着し、〔迷いのままに〕高下に赴く。
しかしながら、知ある者は、諸々の知によって法(真理)を行知して、
広き知慧ある者となり、高下に赴かない。(5)


○パーリ語原文
798.(792)
サヤン    サマーダーヤ    ワターニ    ジャントゥ
Sayaṃ     samādāya      vatāni      jantu,
自ら      引き受けて     戒律を     人は

ウッチャーワチャン    ガッチャティ   サンニャサットー
uccāvacaṃ         gacchati      saññasatto;
高低に           赴く         想に執着し

ウィドゥワー   チャ    ウェーデーヒ    サメーッチャ    ダンマン
Vidvā        ca      vedehi        samecca      dhammaṃ,
智者は      しかし    聖智によって   悟り         真理を

ナ    ウッチャーワカン    ガッチャティ   ブーリパンニョー
na    uccāvacaṃ        gacchati      bhūripañño.
ない  高低に          赴か(ない)    広い智慧の人は


○一口メモ
今回は戒律によっても、清められないということです。戒律をきびしく守る人は、往々にして戒律を守ることに執着しています。その時戒律を守る意義を理解されていないのです。戒律を守ることは、慈悲の実践なのです。生命を殺さないことも、与えられてないものを取らないのも、不倫など邪な行為をしないのも、嘘をつかないのも、相手の生命を慈しむ行為なのです。相手や自分の自由を束縛するものではありません。そこを忘れて、戒律を守ることだけに意義を求めることになっている人がいるのです。そのような人は、戒律を守っているからと言って自分を誇り、守らない人を見下すのです。このようなことは清められてとは言わないのです。

ブッダの弟子にデーヴァダッタというブッダの従兄弟がいました。彼は僧団(サンガ)の戒律をきびしくするようにブッダに提案しましたが、受け入れもらえず、何人かの比丘とサンガを分裂させようとします。それでブッダを怨み、殺そうとまでします。そのため、地獄落ちることになりました。戒律はきびしくすれば善いというものではないのです。もちろん、それで清められるものではないのです。

この偈のパーリ語に即して訳を調べますと、uccāvacaṃ gacchati〈高低に行く〉の訳を、毎田先生は「思い上ったり卑下したりする」としています。中村先生は「種々多様なことをしようとする」、正田先生は「〔迷いのままに〕高下に赴く」としています。

ちなみに、ダンマパダ83番に次の用例があります。
na   uccāvacaṃ   paṇḍitā     dassayanti.
ない  高低を    賢者達は    見せ
83.楽に触れても苦に触れても賢者は変化を示すことなし
http://76263383.at.webry.info/201001/article_5.html

「高低に行く」を毎田先生のように「思い上ったり卑下したりする」と訳するのは難しいかもしれませんが、意味は分かりやすいと思います。

もう一つパーリ語saññasatto(想に執着し)は正田先生の「〔自分勝手な〕表象(想:概念・心象)に執着し、」が正確で分かりやすいと思います。

この偈の結論は、戒律を守ることにも執着せずに、聖智に真理を悟った人は広い智慧があるので、思い上ったり卑下したりすることはなく、どんな場合でも冷静落ち着いるといということです。このような人を清められた人というのです。


戒律を きびしく守る その人は 思い上がったり 卑下したりする<792>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎2月10日(火)から2月16日(月)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサ比丘が熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

2015年02月12日 04:20
私の経験では、戒を守ることの「当然度」が増せば、人に自慢する気持ちも減ります。

人に自慢して認められたい気持ちの裏には「戒を守る」に疑問や不満があるのです。つまり納得してない。

極端な例かもしれませんが、「私は毎日歯を磨いてます」と人に自慢する人はあまりいないんじゃないかと思います。
身の丈修行者
2015年02月12日 07:22
おはようございます。
私事の経験談から記載させて頂きます。
○自分はこんなに(例:戒を守って)凄いんだよ・・
○あなたはその程度しか(例:戒を守って)ないの?
みたいに、自分のPRをしたり・相手に「まだまだだね」と優越感?を出したりする方に接した事があります。
そしてその方は、勉強歴の長い方だったりして?に思った記憶があります。
ワンギーサ長老の分かりやすい「思い上ったり卑下したりすることはなく、どんな場合でも冷静で落ち着いている・・」姿勢で慈悲の実践をして参りたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
カエルくん
2015年02月12日 07:42
おしゃべりなので、正語を守るのが至難の技です。

あと、もともと飲める性質なので、不飲酒戒も守るのが大変です。
自分からお酒を飲みたいとは思いませんが、人にすすめられたときに、断るのが難しいです。断って、場の空気を壊すのが嫌だからです。
私が飲めるのを知っていて、好意ですすめてくれるお酒を断れず、年末は兄弟についでもらったビールを飲んでしまいました。
断れないことが分かっているので、職場の飲み会は参加自体を断ることが多いです。
付き合いの悪い人として、認知してもらえたら楽だなと思うのですが、もともと付き合いの良い性格だったので、これも難しいかもしれません。
確かに、お酒を飲まない、という戒律に固執して、私は苦しみを増やしている気がします。
でも飲まずにいると、夜、落ち着いた気持ちで過ごせるので、自分のために不飲酒戒は守りたい。
知恵を使って、良い方法を考えます。
りんご
2015年02月12日 08:19
戒律を守ることは、慈悲の実践をすることなんだと理解しました。
沢山ある戒律も慈悲につながっいる
のだなと感じました。
こころざし
2016年10月04日 21:38
私事ですが、はるか昔の高校の時、優秀な人が行く進学校は校則が少なく・緩く、テストの点が取れなくても・・の高校は規則が厳しいと伺った事があります。前者は考えて、そんな事はしないから・・との説明に納得した記憶があります。
戒律を守ればよいの姿勢ではなく、その戒律の意味を踏まえて守れるようにしたいです。