遠離こそ 学ぶべきだよ この道が 涅槃のそばに 君を導く<822>
○少年少女のためのスッタニパータ<822>
・・・
勉強の最後のところは
孤独な作業です。
考えることも憶えることも
一人で行うことだから。
第3 八つの詩句の章 7.ティッサ・メッティヤ経 9.
○毎田周一先生訳
唯一人ということをどうしても学ばねばならない
これが最も気高いことである
しかしこれだけでこの上もないところへ行きついたと思ってはならない
彼はそこで涅槃に近づいたといえるだけである
○中村元先生訳
822
(俗事から)離れて独り居ることを学べ。
これは諸々の聖者にとって最上のことがらである。
(しかし)これだけで『自分が最上の者だ』と考えてはならない。
──かれは安らぎに近づいているのだが。
○正田大観先生訳
829.(822)
遠離こそを学ぶように。
これは、聖者たちにとって、最上のもの。それによって、
〔自己を〕『最勝である』〔と独善的に〕思いなさないなら、
彼は、まさに、涅槃の現前にあります。(9)
○パーリ語原文
828.
ウィウェーカンニェーワ スィッケータ
‘‘Vivekaññeva sikkhetha,
遠離こそ 学ぶがよい
エータダリヤーナムッタマン
etadariyānamuttamaṃ;
これが聖者達の最高のもの
ナ テーナ セーットー マンニェータ
Na tena seṭṭho maññetha,
な それによって 最高の者と 思う(な)
サ ウェー ニッバーナサンティケー
sa ve nibbānasantike.
彼は 実に 涅槃の近くに(いる)
○一口メモ
性欲に負けないためには、「独りでいる修行を堅くまもれ」と説かれましたが、「独りいる修行」は単に性欲に負けないということに留まらず、「聖者にとって最上のことがらである」とこの偈で述べられています。何故ならば、独りで行う修行は涅槃に導くものだからです。独りで行う修行とはヴィパッサナー瞑想だと考えれば分かりやすいと思います。
しかしこの偈の後半には、「しかしこれだけでこの上もないところへ行きついたと思ってはならない。彼はそこで涅槃に近づいたといえるだけである。」と述べられています。つまり、それだけでは涅槃に至らないと注意しています。その具体的な内容は書かれていませんが、解脱するための因縁が必要なのです。それなしには解脱出来ないと述べられているのだと思います。
表現が難しいのですが、修行すれば解脱できるという訳ではなさそうです。もちろん修行しなければ解脱出来ないことは確かでしょうが。このように書くと混乱する方もおられるでしょうから、あえて書けば功徳を積むことが必要なのだと思います。
遠離こそ 学ぶべきだよ この道が 涅槃のそばに 君を導く<822>
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎3月20日(金)から3月24日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサ比丘が熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。
◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。
◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。
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勉強の最後のところは
孤独な作業です。
考えることも憶えることも
一人で行うことだから。
第3 八つの詩句の章 7.ティッサ・メッティヤ経 9.
○毎田周一先生訳
唯一人ということをどうしても学ばねばならない
これが最も気高いことである
しかしこれだけでこの上もないところへ行きついたと思ってはならない
彼はそこで涅槃に近づいたといえるだけである
○中村元先生訳
822
(俗事から)離れて独り居ることを学べ。
これは諸々の聖者にとって最上のことがらである。
(しかし)これだけで『自分が最上の者だ』と考えてはならない。
──かれは安らぎに近づいているのだが。
○正田大観先生訳
829.(822)
遠離こそを学ぶように。
これは、聖者たちにとって、最上のもの。それによって、
〔自己を〕『最勝である』〔と独善的に〕思いなさないなら、
彼は、まさに、涅槃の現前にあります。(9)
○パーリ語原文
828.
ウィウェーカンニェーワ スィッケータ
‘‘Vivekaññeva sikkhetha,
遠離こそ 学ぶがよい
エータダリヤーナムッタマン
etadariyānamuttamaṃ;
これが聖者達の最高のもの
ナ テーナ セーットー マンニェータ
Na tena seṭṭho maññetha,
な それによって 最高の者と 思う(な)
サ ウェー ニッバーナサンティケー
sa ve nibbānasantike.
彼は 実に 涅槃の近くに(いる)
○一口メモ
性欲に負けないためには、「独りでいる修行を堅くまもれ」と説かれましたが、「独りいる修行」は単に性欲に負けないということに留まらず、「聖者にとって最上のことがらである」とこの偈で述べられています。何故ならば、独りで行う修行は涅槃に導くものだからです。独りで行う修行とはヴィパッサナー瞑想だと考えれば分かりやすいと思います。
しかしこの偈の後半には、「しかしこれだけでこの上もないところへ行きついたと思ってはならない。彼はそこで涅槃に近づいたといえるだけである。」と述べられています。つまり、それだけでは涅槃に至らないと注意しています。その具体的な内容は書かれていませんが、解脱するための因縁が必要なのです。それなしには解脱出来ないと述べられているのだと思います。
表現が難しいのですが、修行すれば解脱できるという訳ではなさそうです。もちろん修行しなければ解脱出来ないことは確かでしょうが。このように書くと混乱する方もおられるでしょうから、あえて書けば功徳を積むことが必要なのだと思います。
遠離こそ 学ぶべきだよ この道が 涅槃のそばに 君を導く<822>
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎3月20日(金)から3月24日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサ比丘が熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。
◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。
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この記事へのコメント
それを絶つために不浄観があります。つまり肉体に価値があるという見解を破壊するためだと思います。
肉体至上主義、、、しかしだからといって肉体を痛めつけ苦しめる「苦行」では意味がありません。勿論、肉体的快楽を求めるのも意味がありません。
それら両極を離れた第三の道、即ち「中道」=八正道の実践こそが重要なのでしょう。
しかしながら、筏のように最後はすべてを手放せねばならない。
というようにイメージしてます。
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説「修行すれば解脱できる・・訳ではなさそう・・功徳を積むことが必要なのだと・・」を拝見して思った事がありました。
ヴィパッサナー冥想をして今ここをサティする事が(智慧で)出来れば、接する方の様子・気持ちが分かり、共感や必要なアドバイス等が出来ます、これは慈しみ・功徳を積む事になります、との様にワンギーサ長老にご指導を頂戴した記憶があります(目の覚める思い・・でした)
そして欲求に執着することなく遠離を学び、慈しみの実践をしながら・・涅槃へと繋がって行くかなと思います。
精進して参りたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
「お釈迦様のころの弟子の方々は、お釈迦様から教えを受けたのちは、森の中などで一人で修業を積み、解脱に至ったのです。」これは以前先生からうかがいました。また実際に経典(長部・中部…春秋社)を読むと、それを示す記述がたくさんあることを発見しました。
命がけで修業なさっていた比丘の皆様に頭が下がります。私は、甘いですね。いけません。
***
https://noritsu.seesaa.net/article/201503article_14.html