王侯の 家来の勇者 強敵に 戦い挑め 戦えぬから<831>

○少年少女のためのスッタニパータ<831>
・・・
何も持っていない人からは
何も盗むことが出来ないように
戦うべきものを持たない人には
どんな人も戦うことが出来ない。


第3 八つの詩句の章 8.パスーラ経 8.

○毎田周一先生訳
831.
たとえば王侯から食禄を得ている勇ましい人が
敵の中に強い相手を求めながら 叫び声をあげて突き進むように
勇ましい人は 敵の居る処へとび込んでよくがよい
そこにはしかし戦わねばならぬことは何もないのである


○中村元先生訳
831
たとえば王に養われてきた勇士が、相手の勇士を求めて、
喚声を挙げて進んでゆくようなものである。
勇士よ。かの(汝にふさわしい、真理に達した人の)いるところに到れ。
相手として戦うべきものは、あらかじめ存在しないのである。


○正田大観先生訳
838.(831) 
たとえば、王の食禄に養われた〔蛮勇の〕勇士が、
敵の勇士を求めながら、雄叫びをあげつつ行くように、
勇士よ、まさしく、彼(敵)のいるところに、そこへと去り行きなさい。
〔ここには〕戦いのための〔縁となる〕、〔まさに〕その、『これ』〔という思い〕(『これこそが、真理である』と主張するための『これ』という思い)は、すでに、もう、存在しないのです。(8)


○パーリ語原文
837.(831)
スーロー    ヤター   ラージャカーダーヤ    プットー
Sūro       yathā    rājakhādāya         puṭṭho,
勇者は     ような   王の食禄で         養わられた

アビガッジャメーティ   パティスーラミッチャン
abhigajjameti        paṭisūramicchaṃ;
雄叫びをあげて      敵の勇者を求めて

イェーネーワ    ソー   テーナ    パレーヒ   スーラ
Yeneva        so     tena      palehi     sūra,
その所に      彼が    いる     行け     勇者よ

プッベーワ   ナッティ    ヤディダン   ユダーヤ
pubbeva     natthi      yadidaṃ     yudhāya.
前に       ない       すなわち    戦うべきもの


○一口メモ
今回の偈は難しいです。論争を好む者、論争を求める者を勇者にたとえて、皮肉を込めて述べているからです。そのことを理解していなければ何を言っているのかわかりません。

中村先生の訳に基づいて解説しましょう。「王に養われてきた勇士」とは、自分の先生とか先輩の意見や業績に依存している論争者という意味です。「相手の勇士」とは「論争の相手」です。「喚声を挙げて進んでゆくようなものである。」とは、論争の相手を探して論争を挑むがよいということですが、その時の論争の相手とは、中村先生がカッコの中で書かれているように、(汝にふさわしい、真理に達した人)なのです。

次に「相手として戦うべきものは、あらかじめ存在しないのである。」とあります。これは真理に達した人は、そのような人はこれが真理だと主張する所がないので、あなたは戦うことが出来ないのだと述べているのです。


王侯の 家来の勇者 強敵に 戦い挑め 戦えぬから<831>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎3月20日(金)から3月24日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサ比丘が熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

2015年03月23日 04:20
すると、相手の論者も、先生とか先輩の意見や業績に依存してる者でないと「同じ土俵」では戦えませんね。

論争は「論敵なしには生きていけない」世界です。

真の論敵たる者が、何にも依存してないつまり同じ土俵にはもはや存在してない者なのである。

こういう意味であるならば、確かに皮肉を述べていると思います。
kempsford
2015年03月23日 04:29
おはようございます。
今回の偈は、ワンギーサ先生の解説がないと、決して理解できませんでした。
ありがとうございました。
2015年03月23日 05:43
そして同じ土俵に真の論敵が存在しないのなら、当然一人相撲になりますが、その場合は「真の敵は己の愚かさ」ということになるかと思います。
りんご
2015年03月23日 06:49
真理に達した人は、あえてこれが、
真理だと主張する必要もない。事実なので、主張する・しないにかかわらず、そうなのだな。と理解しました。
身の丈修行者
2015年03月23日 07:45
おはようございます。
戦ってしまうと、その後は損になる・・を日常で経験しています。
戦わぬ方が色々な意味で特になると思います。
その戦わぬ・・もワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「真理に達した人は・・これが真理だと主張する所がない・・あなたは戦うことが出来ない・・」がとても腑に落ちます。
戦いにならないように自分の心を成長させたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
こころざし
2016年10月17日 09:08
私事ですが、家に隣接する市の緑地帯を、隣のおじさんが草刈りしたり何か植えたりモニュメントを置いたり等々しています。隣家の前だけなら納得に思いますが、我が家の前まで進出してきています。ですがそれは市の緑地帯ですし、そもそも不快に思うこと自体損なのではと思います。戦うべきものを持たないという意味、今の自分に当てはめて、成長出来る様にしたいです。