聖者とは 渇愛離れ  過去未来 今のことにも 執着しない<849>

○少年少女のためのスッタニパータ<849>
・・・
目的を持って
生まれてきたのならば
死ぬ前に目的を
達成したいものですね。


第3 八つの詩句の章 10.死前経 2.

○毎田周一先生訳
849.
「死なない前に 愛欲を絶って
              と世尊はいわれた
その人は過ぎ去ったことに捉われず
今のことを煩わず 
未来に向かって用意などしない


○中村元先生訳
849
師は答えた
「死ぬよりも前に、妄執を離れ、
過去にこだわることなく、
現在においてもくよくよと思いめぐらすことがないならば、
かれは(未来に関しても)特に思いわずらうことがない。


○正田大観先生訳
856.(849) 
かくのごとく、世尊は〔答えた〕
「〔身体の〕破壊(死)の前に、渇愛〔の思い〕を離れ、
過去の極(過去の記憶)に依存せず、
〔過去と未来の〕中間(現在)において名称されない者
――彼には、〔特別なものとして〕偏重された〔表象や見解〕は存在しません。(2)


○パーリ語原文
855.
ウィータタンホー     プラー    ベーダー
‘‘Vītataṇho        purā     bhedā,
渇愛を離れ        前に     壊れる(死ぬ)

 イティ    バガワー
(iti      bhagavā)
 と      世尊は

プッバマンタマニッシトー
pubbamantamanissito;
過去の極にこだわらず

ウェーマッジェー    ヌパサンケッヨー
Vemajjhe         nupasaṅkheyyo,
現在において      (とやかく)呼ばれない

タッサ    ナッティ   プラッカタン
tassa     natthi     purakkhataṃ.
彼には    ない     心配することがない


○一口メモ
世尊の化身(化仏)の質問に対する第一の答えは、死ぬ前に「愛欲(妄執、渇愛)から離れている。」ということです。仏教の根本的な教えである四聖諦で述べられているように、渇愛は苦の原因です。聖者は一切の苦を滅していますから、苦の原因である渇愛を滅しているのです。そこが聖者について語るとき第一のポイントになるのです。

次のポイントは聖者の時間に対する態度です。聖者は過去、現在、未来に対してどのような態度を取っているか述べられています。過去に対して、正田先生は過去について過去の記憶と解説していますが、聖者は過去或は過去の記憶に対してこだわることがないのです。ですから後悔をすることもなく、思い悩むこともありません。

現在については、初めに述べたように渇愛から離れていますから、執着することがありません。執着していませんから、物事を正しく見て、判断できます。正しく見て、正しく判断できれば、正しく行為できます。正しく行為できれば、その結果は成功します。そうすれば人からとやかく言われることなく、称賛されます。聖者の現在はいつも平安なのです。その周りの人々も幸せになります。

また、未来についてはまだ起きてないことですから、起きてない事柄について心配することはないのです。未来に起きる事象を限りなく予測することが出来ます。しかし、その中の一つが起きるかどうか分かりません。世の中のことはすべて想定外のことが起きる場合の方がむしろ多いのです。それらについていちいち心配するのは無意味です、起きた現象に適切に対応すればよいのです。聖者は悩むことがないから、それらを巧妙に行うことが出来るのです。それは法に従うということで、聖者の方法です。

世尊は聖者について述べるとき、自分の見解を述べるのではなく、事実を述べていますね。今まで学んできた通りを実践しています。


聖者とは 渇愛離れ  過去未来 今のことにも 執着しない<849>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

2015年04月10日 04:35
己の労働に関する「知識や概念」は多いし、それに対する執着も強いです。故に専門性があるのでしょう。
しかしそれは「死にたくない」という欲が根底にあります。

死にたくないから労働してます。

そこでの「知識や概念」、、それらは学習したものすなわち「過去の産物」です。

直面してることが現在のことのようであっても、そうした「知識や概念」に依存してる限り、あくまでも「過去のイメージ」を通して見てます。

そうであるなら、真に「現在」を直視してない。ということだけは言えると思います。
kempsford
2015年04月10日 05:12
おはようございます。
スマナサーラ長老は、時間を「化け物」と説かれます。真理は「今」だけであり、そこには問題がない。本来「時間」などない。
にもかからず人間は「時間」という概念をつくり、「過去・将来」という「化け物」を産んでしまう。そしてそこから「成功・失敗」という概念が現れ、それにとことん囚われてしまい、とてつもない苦しみをつくりだしてしまう。
今回の偈で、スマナサーラ長老のこの教えを深く胸に刻むことができました。ご指導、ありがとうございました。
りんご
2015年04月10日 05:36
未来のことを考えて、気分が悪くなることがあります。まだ実際は起きていないのに、頭(心)で勝手に想像してしまう。
SRKWブッダ
2015年04月10日 12:33
〈道の人〉は、自分が覚った(=解脱した)という事実から、過去について何一つ間違いが無かったと知っている。もし、過去において何か決定的に間違っていたならば覚ってはいないだろうからである。

ゆえに、〈道の人〉は現在の行為についても絶対の自信がある。なぜならば、現在は未来においては過去に当たるが、現在における過去に間違いが無かったということは、未来においての過去(つまり現在)についても間違いが無いと考え、理法(ことわり)についてそのように知っているからである。

覚り(=解脱)以前における間違いは、もしあるならばそれは覚りを損なうものとなるだろう。覚りを損なうような間違いを犯していないならば、修行者は安心して修行に邁進せよ。覚れないのではないかと恐れるよりは、自分はきっと覚ることが出来るのだと考えるべきである。

なお、どんなあやまちを犯せば覚ることができなくなるかを知っていて、決して犯すことがないならば、すでに預流に達していると認められ得る。

***
身の丈修行者
2015年04月13日 07:40
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「現在については・・渇愛から離れていますから、執着することがありません・・物事を正しく見て、判断できます」心に響きました。
現在の事に執着しない・・が出来たら聖者の域かな、と思います。目指したいです。
こころざし
2016年10月24日 22:38
本文の「世尊は・・自分の見解を述べるのではなく、事実を述べていますね」を拝見しハッとしました。私事の内容は次元が違うと恐縮に思いますが、自分が見解で話す時その説得力は乏しいと感じます。実際に体験した事実ですと、その説得力は多少出る様に想像致します。
寿命迄に渇愛から離れる事、是非実体験の事実として言える様になりたいです。
満月
2016年11月13日 00:26
妄執から離れるには、妄想ではなく事実を見ることが必要だと思いました。今だけが事実なんですね。死ぬ前に、日々瞬間々にこのことに気付き不必要な妄想を断てるように努力してゆきたいです。
ワンギーサ長老、そしてコメントの皆様からの気付きを頂き感謝しています。ありがとうございます。