期待せず 後悔せずに 目前に のめり込まず 諸見に迷わず<851>

○少年少女のためのスッタニパータ<851>
・・・
未来のことも
今のあなたが考えていること。
過去の記憶も、
今あなたが思っていること。
すべて今しかありません。


第3 八つの詩句の章 10.死前経 4.

○毎田周一先生訳
851.
未来のことを期待せず
過ぎ去ったことを思い出して悲しまず
感覚に触れるものを一定の距離を置いて見
又自分の考えで人生の生き方を決めようともしない


○中村元先生訳
851
未来を願い求めることなく、
過去を思い出して憂えることもない。
[現在]感官で触れる諸々の対象について遠ざかり離れることを観じ、
諸々の偏見に誘われることがない。


○正田大観先生訳
858.(851) 
未来について執着なき者は、
過去を憂いません。
諸々の接触(触:感覚・経験)について遠離を見る者は、
しかして、諸々の見解について導かれません。(4)


○パーリ語原文
857.(851)
ニラーサッティ    アンーガテー
‘‘Nirāsatti       anāgate,
執着がない      未来に

アティタン    ナーヌソーチャティ
atītaṃ      nānusocati;
過去に     憂えない

ウィウェーカダッサィー    パッセース
Vivekadassī           phassesu,
遠離を見る           触において

ディッティース   チャ    ナ    ニーヤティ
diṭṭhīsu        ca     na     nīyati.
諸見解において  また   ない   導かれない


○一口メモ
未来・現在・過去に対する聖者の態度はこの経の始めの偈849偈で述べられましたが、再度今回も述べられます。それだけ大切な事柄なのです。仏教の時間論では過去・未来はなく、あるのは現在のみです。しかし、覚っていない凡夫は人生とは過去・現在・未来で構成されていると考えています。ですから、凡夫は存在しない未来に対して期待し、心配します。しかし、聖者は未来がないことは分かっていますから、それに期待も心配もしない、それに執着しないのです。

過ぎ去ってもう存在しない、有るとすれば観念の世界、記憶の中にあるのです。ですから過去を過度に懐かしむことはなく、後悔することはないのです。ですから聖者は過去を憂えるということがないのです。

では現在についてはどうでしょうか。現在は今の事柄であるとはいえ、無常ですから絶えず変化しています。今経験したこともすぐ変化します。ですから今の経験にも執着せずに、冷静に対応するのです。それが「[現在]感官で触れる諸々の対象について遠ざかり離れることを観じ」ということです。

更に、未来・現在・過去に対する正しい態度で接している聖者は、諸々の誤った見解に惑わせることがないと述べられています。

ちなみに、梵網経(長部経典第1)の中で、ブッダは世の中の邪見を62に分類して述べています。それは過去に関する説18種と未来に関する説44種で、すべて過去と未来に関するものなのですね。要するに過去と未来に関する説は邪見になるということです。もちろん聖者はそのような邪見に惑うことはないのです。


期待せず 後悔せずに 目前に のめり込まず 諸見に迷わず<851>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ライターの森竹ひろこさんのブログ「コマメディアー史上最弱の仏弟子コマメー」で「[報告]正田正観先生の現代語訳「小部経典」が発売!記念祝賀会の報告」という記事が掲載されています。
http://blog.goo.ne.jp/komamenet/e/488d72d3512f675ea970219bdcaac28a
その中でこのブログで引用させて頂いている正田先生の御姿や私(ワンギーサ)の写真も掲載されています。是非上記ブログを訪問して下さい。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

2015年04月12日 04:50
はい。

「怠け」こそ病巣です。
りんご
2015年04月12日 05:32
過去も未来も観念(概念)として頭の中に、あるだけなのだなと感じました。それに気づかないと、実在しているように感じてしまう。誰かが言っていたかもしれませんが、過去も未来も映画のスクリーンに写し出されている現象としてあるだけで、実在とは違うなと感じました。スクリーンにミカンが写っていても、実際は食べれない。
kempsford
2015年04月12日 12:35
こんにちは。
今回の偈では、最後の一文についての、三先生方の差異がとても印象深かったです。
「自分の考えで人生の生き方を決めようともしない」・「諸々の偏見に誘われることがない」・「諸々の見解について導かれません」。
「思考」のもたらす弊害について、今まで繰り返し説法を受けてきました。その重要性を、今回改めて認識することができました。
ご指導ありがとうございました。
身の丈修行者
2015年04月13日 07:23
過去を元に考えてしまうと、その過去の事から喜んだり悲しんだりします。
未来の事を思うと、その未来が自分の期待通りになるように・・と負荷に感じたりします。
共通しているのは、思考・妄想状態になっている事かなと思います。
今感じている事をサティして今で完了させ、思考・妄想に繋げていかないように実況中継の実践をして参りたいです。
こころざし
2016年10月25日 22:13
過去の事を思考して引っ張らず+未来の道の事を想像・妄想して考えないようにすると、物凄く軽くなり、生き易くなり、今に集中できると感じています。自分的には前述の状況はまるで、ながら状態となり、今が疎かになるように思います。過去や未来に引っ張られず「今」に生きれるようにしたいです。
満月
2016年11月13日 01:17
妄想はいつの間にか起こり、いつの間にかそれに囚われている自分がに気付きます。気付いた瞬間はもう既に過去の記憶になっていますが、なるべくその記憶を引きずらないようにしたいです。
意識(気付き)の方向を妄想から今(事実)に切り替えると快や不快の感覚だけがあるのが分かります。その感覚を増長したり拒否したりすることなくただ感じていると、それもいつの間にかなくなっていきます。これが今は絶えず変化していることなのかなと思います。