諸々の 欲望すべて 超えた人 静かな人と 我は呼ぶなり<857>

○少年少女のためのスッタニパータ<857>
・・・
欲のある人は
欲の思いに駆り立てられる。
欲のない人の
心は落ち着き、静かになる。


第3 八つの詩句の章 10.死前経 10.

○毎田周一先生訳
857.
色々の欲望を悉く顧みないでゆく人
こういう人を平安な人と私はいう
彼を縛るものは何もなく
彼は既に彼は執著をこえてしまっている


○中村元先生訳
857
諸々の欲望を顧慮することのない人、
──かれこそ<平安なる者>である、とわたしは説く。
かれには締めの結び目は存在しない。
かれはすでに執著を渡り了えた。


○正田大観先生訳
864.(857) 
〔わたしは〕彼を、諸々の欲望〔の対象〕について期待なき者を、
『寂静者』と説きます。
彼に、諸々の拘束は見い出されません。
彼は、執着〔の思い〕を超えたのです。(10)


○パーリ語原文
863.
タン      ブルーミ    ウパサントーティ
‘‘Taṃ     brūmi      upasantoti,
その人を   私は呼ぶ   寂静なる人と

カーメース    アナペッキナン
kāmesu      anapekkhinaṃ;
欲望を      期待しない人を

ガンター   タッサ    ナ     ウィッジャンティ
Ganthā     tassa    na     vijjanti,
束縛は    彼に    ない    見出せ(ない)  

アタリー    ソー    ウィサッティカン
atarī      so      visattikaṃ.
超えた    彼は    執着を



○一口メモ
この「死前経」の始めの偈で「どのような人が『平安なる者(寂静者)』と言われるのか?」という問いがありました。その後、このブログの解説ではそのような人を「聖者」という言葉で説明してきましたが、今回の857偈において、ブッダの言葉で「かれこそ「平安なる者(寂静者)という」と述べられます。

平安なる者(寂静者)は「色々の欲望を悉く顧みないでゆく人」(「諸々の欲望を顧慮することのない人」或は「諸々の欲望〔の対象〕について期待なき者」です。

人々の関心の第一は自分の欲望ですが、それに関心がない、期待しないということはどういうことでしょうか。実はここに、欲を乗り越えるメカニズムがあると私は考えています。通常自分の欲は捨てられません。しかし、自分の欲を超える関心が自分の心に起きた時、それは因縁により起こります。その時私達は自分の欲への関心がなくなります。その時私達は自分の欲を乗り越えます。その時心から欲がなくなるのです。このようにして、欲を顧みず、期待しない人は、欲のない人になり、欲のない状態を経験します。

欲望がなければ心を駆り立てるものがありません。私達の心はこの駆り立てるものによって平安あることはできません、また静かな状態ではいられないのです。しかし、心を駆り立てるものがなければ、平安で静かになります。そのため、欲望のない人は平安の者(寂静者)というのでしょう。

そのような人には束縛(拘束するもの)はないのです。そして彼には執着の思いがなくなるのです。このような人は再生する結び目がありませんから、彼はもう輪廻転生はしないのです。


諸々の 欲望すべて 超えた人 静かな人と 我は呼ぶなり<857>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎特別連絡:4月29日(水)から5月6日(水)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎ライターの森竹ひろこさんのブログ「コマメディアー史上最弱の仏弟子コマメー」で「[報告]正田正観先生の現代語訳「小部経典」が発売!記念祝賀会の報告」という記事が掲載されています。
http://blog.goo.ne.jp/komamenet/e/488d72d3512f675ea970219bdcaac28a
その中でこのブログで引用させて頂いている正田先生の御姿や私(ワンギーサ)の写真も掲載されています。是非上記ブログを訪問して下さい。


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この記事へのコメント

2015年04月18日 04:30
存在欲=生存欲に関心がなくなる。とは全くわかりません。

身近なことでは食事の際に、普通にガツガツ食べるのと、ゆっくり気づきながら食べる時の落差の大きさには驚きます。

一体何故にそこまでガツガツしたいのか?と疑問に思うことがあります。

確実に言えるのは、放逸でガツガツ食べる時は心に落ち着きがない。ということです。
身の丈修行者
2015年04月18日 06:25
おはようございます。
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「自分の欲を超える関心が・・起きた時・・欲への関心がなくなり・・欲を乗り越え・・欲がなくなる・・」心に響きます。
私事ですが、素適な女性を見るとそちらに意識がいく自分がいました。自分の心をみると「僕の子供が産めるかな」と呟いていました(※私の現実は家庭・子供があり、既に青春は終わってます)
そんな状況が修行の邪魔をした事もあります。性欲や子孫を残したい本能?に囚われたように感じました。
(女性を)見た、で止まり思考・妄想を引っ張らないように実践するようにしました。上記のように繋がる機会が減り、生きやすくなりました。
何より思考・妄想が減ると、疲れない自分を感じています。
欲のない人を目指したいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も幸いでありますように。
108
2015年04月18日 08:26

自らの心を顧みるに、少々の落ち着きがあっても、寂静とまではいきません。そこまで行けるかわかりませんが、引き続き善行為を行い、最高の善果を得られる条件を整えてゆきたいと思いました。
kempsford
2015年04月18日 10:42
おはようございます。
「自分の欲を超える関心が自分の心に起きた時」「その時私達は自分の欲への関心がなくなります」。ワンギーサ先生のこの説明がなかったら、今回の偈を自分のものとして消化することはできませんでした。いつもながら、的確で、慈愛に満ちた丁寧なご指導に、深く感謝いたします。ありがとうございました。
こころざし
2016年10月27日 20:51
忙しいと、欲が生じ難い状態になると経験しています。ですが、現状の私では、暇になればすぐに欲が出る状況になってしまいます。そのような状態を超えた、心を駆り立てるものがない状態になれるように、欲に影響され束縛されない様になれるように努めたいです。