聖者らは 貪り離れ ケチでなく 勝・等・劣を言わないで 妄想しない<860>

○少年少女のためのスッタニパータ<860>
・・・
人間はほんらい平等・対等です。
それなのに勝れているとか
等しいとか劣っていると言うのは
事実に反する妄想です。


第3 八つの詩句の章 10.死前経 13.

○毎田周一先生訳
860.
静かな人は貪らず 利己心がなく
自分が勝れているとも
また等しいとも 劣っているともいわないで
時の流れに流されず 却って時を超えている


○中村元先生訳
860
聖者は貪りを離れ、慳(ものおし)みすることなく、
『自分は勝れたものである』とも『自分は等しいものである』とも
『自分は劣ったものである』とも論ずることがない。
かれは分別を受けることのないものであって、妄想分別におもむかない。


○正田大観先生訳
867.(860) 
貪求〔の思い〕を離れ、物惜しみ〔の思い〕なく、
牟尼は、増長している者たちのなかで〔論を〕説きません。
等しい者たちのなかで〔論を説き〕ません。卑下している者たちのなかで〔論を説き〕ません。〔概念化した〕時間(劫:間時間の型枠・分別妄想・輪廻的あり方)なき者は、〔概念化した〕時間に至りません(輪廻しない・妄想しない)。(13)



○パーリ語原文
866.(860)
ウィータゲードー     アマッチャリー
‘‘Vītagedho        amaccharī,
貪りを離れ        物惜しみせず

ナ   ウッセース    ワダテー    ムニ
na   ussesu       vadate      muni;
ない 勝れている    言わ(ない)  聖者は

ナ    サメース    ナ    オメース
Na    samesu     na    omesu,
ない  等しい     ない   劣っている

カッパン     ネーティ   アカッピヨー
kappaṃ      neti      akappiyo.
分別を      しない    分別しない人は


○一口メモ
貪りを離れることと慳(物惜しみ)がないことは、この死前経の五偈目(852偈)でも述べられました。これらは聖者にとって繰り返し述べられるべき重要な徳目なのです。毎田先生は「慳(物惜しみ)」がない」ことを「利己心がなく」と訳されました。852偈では「人のために尽くし」と訳されています。もの惜しみの意味を深く考えてのことだと思います。

また次の二行目、三行目の「自分が勝れているとも また等しいとも 劣っているともいわないで」についてはこの「死前経」の八偈目(855偈)でも述べられました。これらの境地は有身見(自分がいると言う感覚)のない聖者にとっては当然のことでしょう。すなわち、聖者は勝れているとか等しいとか劣っていることは単なる妄想であると実感しているのです。

四行目は、三人の先生方の訳は表現がかなり異なります。これは既に問題したことがあるkappaの意味の取り方がいろいろあるからです。kappaはスッタニパータの373偈、517偈に出てきました。517偈の「一口メモ」でその意味を次のように列挙しました。

kappaの意味を列挙してみましょう。
① 時、時間、劫(コウ)、長時、周期的な時間の長さを言う→輪廻の一時期をいうことがある
② 教令、法則
③ 分別、妄想、はからい、想念、概念
④ カッパ樹、如意樹

毎田先生はkappaの意味を「時間」と取って、「時の流れに流されず 却って時を超えている」と意訳されました。

中村先生は「分別、妄想」と取って、「かれは分別を受けることのないものであって、妄想分別におもむかない。」と訳されました。

正田先生は「時間」と取って「〔概念化した〕時間(劫:間時間の型枠・分別妄想・輪廻的あり方)なき者は、〔概念化した〕時間に至りません(輪廻しない・妄想しない)。」と訳され、カッコで説明されています。

851偈の「一口メモ」で述べましたように、仏教の時間論では過去・未来はなく、有るのは現在(今)のみです。今しかないのですから、時間はないとも言えるのです。無時間です。ですから、時間に関する概念や思考はすべて妄想であるのです。その意味では時間=妄想と言っていいのです。

そのような考え方に立てば、時間で訳しても、妄想(分別)訳しても同じことになります。毎田先生の四行目の意訳を解説します。「時の流れに流されず 却って時を超えている」とは「妄想の流れに流されず、かえって妄想を超えている」となります。


聖者らは 貪り離れ ケチでなく 勝・等・劣を言わないで 妄想しない<860>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎特別連絡:4月29日(水)から5月6日(水)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎ライターの森竹ひろこさんのブログ「コマメディアー史上最弱の仏弟子コマメー」で「[報告]正田正観先生の現代語訳「小部経典」が発売!記念祝賀会の報告」という記事が掲載されています。
http://blog.goo.ne.jp/komamenet/e/488d72d3512f675ea970219bdcaac28a
その中でこのブログで引用させて頂いている正田先生の御姿や私(ワンギーサ)の写真も掲載されています。是非上記ブログを訪問して下さい。


◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。


この記事へのコメント

kempsford
2015年04月21日 04:14
おはようございます。
先生が「kappaの意味を列挙」して下さったおかげで、三先生の訳文の相違点を明確に理解でき、すっきり致しました。
ご指導ありがとうございます。
2015年04月21日 04:32
時間と輪廻の関係を考慮された正田先生の翻訳がわかりやすいです。

さて、輪廻の否定として「宇宙に起点があったのだから輪廻説はおかしい」という見解があります。

しかし、時間が実在してることを前提として、宇宙に起点があるということになるので、時間の実在をまずは立証しなければなりません。

時間が実在しないのであれば、「宇宙に起点があった。故に輪廻説はおかしい」という論は成り立ちません。

「時間が実在する」という見解から様々な妄想概念が生まれてきます。
身の丈修行者
2015年04月21日 06:32
おはようございます。
職場でも家庭でも「勝・等・劣」の面でしきりたい(勝になりたい)と生きる方や、それを苦に思い戦う方がいます。
(※それが(精神)病的なものとすると、相手の症状に合わせるしかないと言われます。本人が自覚出来ない限り改善は不能のようです)
自分が勝っているとか・劣っている扱いをされている等と自覚してしまうと、優越感や怒り等々妄想が膨らみ、時間・労力を悪戯に無駄にするような状況になりかねないと思います。
心のシステムを知り・時間も自分の感じている事から認識した錯覚と解かり、今を念を入れて心の動揺を(少)なくして生きたいと思います。
実況中継の実践を精進したいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も幸いでありますように。

りんご
2015年04月21日 06:52
過去も未来も、事実ではなく妄想。
というのは、凄く力のある事実だと感じました。
SRKWブッダ
2015年04月21日 08:54
子供がよくないことをすると、親は躾けるであろう。このとき、親は自分の全身全霊を以って躾を行う。過去の経験すべてに照らし、現在の自分の100%の意見にしたがい、また未来の自分に恥じることがないと確信される躾を行う。このとき、親は、親であることを妄想することなく直心にを以って子供に対峠する。親子の関係は絶対である。

〈道の人〉は、一切のことがらについて妄想分別することなく、ことに臨んでは衆生に真摯に対峠する。〈道の人〉は、妄想分別の埒外にあり、自分を他の人とひき比べて、すぐれているとも、劣っているとも、まして等しいとも考えない。そして、その語るところは対機の理法となる。〈道の人〉と衆生とは、決定的に違っている。

***
こころざし
2016年10月28日 09:32
以前出身学校等で勝手に自分を卑下?するような時がありました。そのようなもので比較する見方が普通にあったと思います。学びを頂いて現在は、自分の心次第と思うようになりました。余計なことを考えず、比較せず、そして心が成長するように毎日を務めて参りたいです。