持物が 何もなくとも 悲しまず あくせくせぬ人 寂静者なり<861>

○少年少女のためのスッタニパータ<861>
・・・
死ぬ前に解脱するためには
死前経の14偈を学べばよい。
そして、あくせくしないこと。


第3 八つの詩句の章 10.死前経 14.

○毎田周一先生訳
861.
彼はこの世に自分の持物が何もないが
ないからといって別に悲しみはしない
又色々な事をとりあげて それにあくせくすることもない
――こういう人をこそ平安な人という」


○中村元先生訳
861
かれは世間において<わがもの>という所有がない。
また無所有を嘆くこともない。
かれは[欲望に促されて]、諸々の事物に赴くこともない。
かれは実に<平安なる者>と呼ばれる。」


○正田大観先生訳
868.(861) 
世において、彼に、自らのもの〔という思い〕が存在しないなら、
しかして、〔彼は〕所有するものがないので、〔もはや、何ものにも〕憂い悲しまず、
さらには、諸々の法(見解)にたいし赴かず、
彼は、まさに、『寂静者』と呼ばれます」〔と〕。ということで――(14)


○パーリ語原文
867.
ヤッサ     ローケー    サカン      ナッティ
‘‘Yassa     loke       sakaṃ      natthi,
彼に      世において  自分のものが 存在しない

アサター       チャ      ナ     ソーチャティ
asatā          ca       na     socati;
所有しないことに  しかし    ない   悲しま(ない) 

ダンメース    チャ     ナ    ガッチャティ
Dhammesu    ca      na    gacchati,
物事において  また     ない  行か(ない)

サ    ウェー    サントーティ    ウッチャティーティ
sa     ve       santoti       vuccatī’’ti.
彼は   実に     寂静者と     呼ばれると


○一口メモ
この世において自分のものをすべて失ったと言い、悲しむ人はそのように言っても彼は自分の身体は自分のものだと思っているのです。しかし、この世において自分のものが何もなくとも悲しまない人は、自分自身も自分のものではないという事実が解っている人なのです。

何度も引用しましたダンマパダ62番では次のように述べられています。
「『私には子がある。私には財がある。』と思って愚か者は悩む。しかし既に自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。」と。

更に言えば、仏教は無我を説き、物を所有する個人すらないことを説いています。どうしてこの世において自分のものがないことに嘆くことがあるでしょうか。

三行目の直訳は「諸々の法において行かない」ですが、中村先生が「欲望に促されて」捕捉して訳されていますように、「かれは[欲望に促されて]、諸々の事物に赴くこともない。」であり、毎田先生訳のように「それにあくせくすることもない」ということです。まさに、それは寂静者(平安なる者)と呼ばれる人なのです。

この偈を持って、「死前経」を終わります。この偈の復習のために、それぞれの偈の記事のタイトルである短歌を列挙します。

どのように 見と戒ある人が 寂静者と 言われるのかを 説いて下さい<848>
聖者とは 渇愛離れ  過去未来 今のことにも 執着しない<849>
聖者とは 怒らず怖れず 自惚れず 悔いることなく 言葉を慎む<850>
期待せず 後悔せずに 目前に のめり込まず 諸見に迷わず<851>
物事に 執着しないで 正直で 貪らずに 物惜しみせず<852>
快楽に 耽ることなく 穏やかで 弁舌さわやか 離欲思わず<853>
学びから 利得なくとも 怒らない 渇愛ないから 対立しない<854>
平静で 常に念ある 聖者らは 等・勝・劣を 思うことない<855>
物事を よく知ったから 依存せず 生死をともに 願うことないく856>
諸々の 欲望すべて 超えた人 静かな人と 我は呼ぶなり<857>
子供らも 家畜もおらず 土地もない 得たり捨てたり したものもない<858>
世の人と 沙門・バラモンが 言うことを 気にしないから 動揺しない<859>
聖者らは 貪り離れ ケチでなく 勝・等・劣を言わないで 妄想しない<860>
持物が 何もなくとも 悲しまず あくせくせぬ人 寂静者なり<861>

以上をまとめると、この経は寂静者(平安なる者)と呼ばれる聖者の在り方、生き方を示しています。聖者は死ぬ前に、渇愛を離れ、どんなことにもこだわらず、執着しないで、どんな主張にも関わりをもたず、怒らず、怖れず、偽りを言わず、羨まず、物惜しみせず、高慢にならず、争わず、貪らず、中傷せず、口を慎んで、無所有の生き方をすると述べられました。また、時間に関する妄想をせず、他人と比較して自分を勝れているとか、等しいとか、劣っていると思わないことが繰り返し説かれました。この経を繰り返し学べば、解脱するためにの心の準備ができます。

明日からは新たに「闘争と論争の経」が始まります。この経はまさに覚り(解脱)の真髄が書かれている経であると思います。


持物が 何もなくとも 悲しまず あくせくせぬ人 寂静者なり<861>



○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎特別連絡:4月29日(水)から5月6日(水)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎ライターの森竹ひろこさんのブログ「コマメディアー史上最弱の仏弟子コマメー」で「[報告]正田正観先生の現代語訳「小部経典」が発売!記念祝賀会の報告」という記事が掲載されています。
http://blog.goo.ne.jp/komamenet/e/488d72d3512f675ea970219bdcaac28a
その中でこのブログで引用させて頂いている正田先生の御姿や私(ワンギーサ)の写真も掲載されています。是非上記ブログを訪問して下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年04月22日 04:15
おはようございます。
ダンマパダの教えを引用して頂くと、ブッダの教えがいかに一貫されているかを改めて痛感できます。ありがとうございます。
明日からの新しい経典「闘争と論争の経」を学ぶのが楽しみです。先生、よろしくお願い致します。
2015年04月22日 04:27
聖者の生き方をまとめて頂き有難うございます。

逆に聖者でない生き方とは、『「私」を前提に「(確固たる)私こそ偉い、尊いのだ!』というモットーで生きることだと思いました。

私こそ偉い、尊いと思うから、自己主張したり、怒っり、他と比較したり、、、つまり日々あくせくと闘いの生き方をしなければなりません。

しかしそれでは「不安」な生活しか出来ないことだけは明白です。
身の丈修行者
2015年04月22日 05:35
おはようございます。
欲しいもの・・を手に入れる事が出来た時、喜びを得ます。
ですが、喜んでしまう時点で既に錯覚なのかもしれないですね。
また「あくせくしない」は心に響きました。色々な事がある日常のなかで、それを意識して参りたいです。
聖者の心意気、模範とさせて頂きます。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
みき
2015年04月22日 06:24
おはようございます
この世において自分のものが何もなくとも悲しまない人は、自分自身も自分のものではないという事実が解っている人なのです。
なかなか理解は難しいです。世の中には自己啓発本
がうられています。それも、この世に対する執着から生まれた本なのかもしれません。

仏陀の努力とはやめる「しない」努力だと思います。
殺生しない。嘘を言わないなど。無駄な努力?はしないよりはましですが、仏陀の努力に精進してみたいと思います。
りんご
2015年04月22日 06:46
855の「平静で、常に念あり」を出来るだけ実行していきたいと感じました。
こころざし
2016年10月28日 09:36
本文の「解脱するためにの心の準備」とても大切に感じました。何処まで自分が出来ているかと思いますと、恥ずかしく感じ反省致します。その言葉一つ一つが実践出来てますと言い切れるように、注意しなくても出来る域まで行きるように精進したいです。
満月
2016年11月16日 00:44
「自分自身が自分のものではない」が分かるようになりたいです。妄想(過去・未来)から抜け出るよう気付きの実践をしてゆきたいと思います。