この世では 愛するものと 貪りは 欲に基づき 起こるのですよ<865>

○少年少女のためのスッタニパータ<865>
・・・
欲しいものがない人には
好きなものがありません。
嫌いなものもありません。


第3 八つの詩句の章 11.争いと論争の経 4.

○毎田周一先生訳
865.
「この世に愛があり
世間に拡がる貪りがあるのも欲求ゆえのことである
人が来世に向って希望を抱き それが果たされるのも 
同じく欲求ゆえのことである」


○中村元先生訳
865
「世の中で愛し好むもの
及び世の中にはびこる貪りは、欲望にもとづいて起る。
また人が来世に関していだく
希望と成就とは、それにもとづいて起る。」


○正田大観先生訳
872.(865)
〔世尊は答えた〕
「世における諸々の愛しいものは、因縁として欲〔の思い〕から〔発生しました〕
――さらには、また、彼らが、貪欲〔の思い〕から、世を渡り歩くとして。
諸々の願望と、諸々の目標とは、因縁としてこれ(欲の思い)から〔発生しました〕
――それらが、人の未来のために有るとして」〔と〕。(4)


○パーリ語原文
871.(865)
チャンダーニダーナーニ    ピヤーニ     ローケー
‘‘Chandānidānāni        piyāni       loke,
意欲を因縁としている     愛するものは  世において

イェー    チャーピ    ローバー   ウィチャランティ    ローケー
ye       cāpi       lobhā      vicaranti         loke;
彼らが    又も       貪欲から   渡り歩く         世を

アーサー    チャ    ニッター    チャ    イトーニダーナー
Āsā        ca     niṭṭhā      ca     itonidānā,
願望       と     目標      と     これを因縁としている

イェー    サンパラーヤーヤ   ナラッサ   ホンティ
ye       samparāyāya       narassa    honti’’.
それらは  来世のために      人の      ある


○一口メモ
「愛(愛するもの)は欲望に基づいて起こる」とブッダは答えられました。なんとなく、そのような気もしますが、なるほどそうだと思えない方もおられるかもしれません。愛(愛するもの)は、好きなものですね。これは欲望がなければないのでしょうか? それがはっきりわからないのは、私達にはいつも欲望があるからでしょう。欲望がない状態を知らないからです。欲望がなかった時を経験していれば、その時、愛するもの好きなものがないことがよく分かるはずです。

この偈では述べられていませんが、愛するもの好きなものがあるとき、その反対の愛さないもの嫌いなものも現れることもわかると思います。それもまた欲望があるからですね。

さて、この偈では貪欲も欲望に基づいて起こると述べられています。これは分かりやすいでしょう。貪欲は欲望に対する執着ですから、欲望がないとき貪欲は起こりません。

また、来世に対する希望とその結果も、死後にも安楽な生活をしたいという欲望から起こることは明らかでしょう。


この世では 愛するものと 貪りは 欲に基づき 起こるのですよ<865>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎特別連絡:4月29日(水)から5月6日(水)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎ライターの森竹ひろこさんのブログ「コマメディアー史上最弱の仏弟子コマメー」で「[報告]正田正観先生の現代語訳「小部経典」が発売!記念祝賀会の報告」という記事が掲載されています。
http://blog.goo.ne.jp/komamenet/e/488d72d3512f675ea970219bdcaac28a
その中でこのブログで引用させて頂いている正田先生の御姿や私(ワンギーサ)の写真も掲載されています。是非上記ブログを訪問して下さい。


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この記事へのコメント

りんご
2015年04月26日 04:02
今日の一口メモを読んで、自分が、お布施や瞑想をするとき、来世への欲望が混ざっている気がしました。反対に言うと、来世(未来)への恐れです。そんな気持ちにも意識を向けてみようと思いました。
2015年04月26日 04:32
うまいものを食べようとして食べた場合は必ず「まあうまかった。たいしてうまくなかった」と思います。
つまり「好き嫌い」という判断を自動的にしてます。
食事の時に「生きるために必要なものを摂取する」ことを念頭に置き、かつ「気づき」をきちんと入れた場合は、そこに「好き嫌い」がありません。

欲望がない世界とはわかりません。しかし例えば、美味しいものが食べたいから食べる世界と、必要な食べ物をサティを丁寧に入れて食べる世界とは、相当違うことだけは確かです。
身の丈修行者
2015年04月26日 06:14
おはようございます。
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「欲しいものがない人には好きなものがありません。 嫌いなものもありません。」心に響きます。
欲がなければ、好きも・嫌いも、そして欲しいも生じないように思います。
欲の(少)ない、実況中継の気付きが多い生き方をして参りたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。



kempsford
2015年04月26日 12:56
こんにちは。
誰かを好きになったり、尊敬したりするときは、いつも同時に気を付けなければならないと自分を戒めていることがあります。それは「好きがあれば、嫌いがある。尊敬があれば、軽蔑がある。」ということです。
『愛するもの好きなものがあるとき、その反対の愛さないもの嫌いなものも現れることもわかると思います』。ワンギーサ先生のこの教えを、胸に刻みます。ご指導ありがとうごあいました。
SRKWブッダ
2015年04月26日 13:29
好きが嫌いに転じることも、尊敬が軽蔑に転じることも、別に恐れる必要はない。それよりも怖いのは、好きが高じることであり、尊敬が奉じることに繋がることである。

執着するものがあっても、心構え正しく、執著(我執および愛執)を起こすことがないならば、その執着は覚りの道の糧ともなる。上手にやろうとする者が、結局は道を見失う。あらゆる戒律は上手に振る舞うためにあるのではなく、むしろ自由闊達に自信を持って修行するために存在している。修行者は、恐る恐るではなく、伸び伸びと修行に励め。そうであってこそ、その修行はついに完成を見る。

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こころざし
2016年10月30日 23:01
何かを見て「好き」と思った時、もうその虜になって手に入れようとするような自分に困る事があります。好きまでいたらなければ、そこまでにはなりません。好きの状態を冷静に見ると、盲目に走っている印象も感じます。欲を持たない生き易い状態でいれるように、修行をして参りたいです。