それならば 如何なるものに 基づいて その欲望は 起こるのですか<866>

○少年少女のためのスッタニパータ<866>
・・・
分からないことは、
分かる人がいるならば、
質問を途中でやめないで、
分かるまで質問した方がよい。


第3 八つの詩句の章 11.争いと論争の経 5.

○毎田周一先生訳
866.
「それではその欲求は この世で何を元として起こるのでしょうか
又色々に考えて断定を下すことは 何に由るのでしょうか
怒りと嘘と疑いと そして
修道者があれこれと指摘する事柄は 何に基づくのでしょうか」


○中村元先生訳
866
「さて世の中で欲望は何にもとづいて起るのですか?
また(形而上学的な)断定は何から起るのですか? 
怒りと虚言と疑惑と
及び<道の人>(沙門)の説いた諸々のことがらは、何から起るのですか?」


○正田大観先生訳
873.(866)
〔対話者が尋ねた〕
「世における欲〔の思い〕は、いったい、因縁としてどこから〔発生したのですか〕。
さらには、また、〔世の人々が下す〕諸々の〔断定的〕判断は、〔因縁として〕どこから発生したのですか。
忿激、虚偽の言葉と、懐疑とは、〔因縁としてどこから発生したのですか〕
――あるいは、また、それらの法(性質)が、沙門によって説かれたとして」〔と〕。(5)


○パーリ語原文
872.
チャンドー    ヌ    ローカスミン    クトーニダーノー
‘‘Chando     nu    lokasmiṃ      kutonidāno,
意欲       一体   世において    何を因縁にしているか

ウィニッチャヤー   チャーピ    クトーパフーター
vinicchayā        cāpi       kutopahūtā;
断定は         そしてまた   何から起こるか

コードー    モーサワッジャンチャ   カタンカター   チャ
Kodho      mosavajjañca        kathaṃkathā   ca,
怒り       虚偽の言葉と       疑惑        と

イェー    ワーピ   ダンマー    サマネーナ   ウッター
ye       vāpi     dhammā     samaṇena    vuttā’’.
それら    或はまた  法は       沙門によって  説かれた


○一口メモ
前回の865偈で、ブッダは愛(愛するもの)や貪欲は欲望から起こると述べられました。そこで今回の偈で質問者は、その欲望は何に基づいて起こるのか質問します。質問者としては当然な自然な質問になると思います。

しかし、次に「断定」が続くのは少し分かりにくいと思います。毎田先生はいろいろ考えて結論を出すという意味で「断定」と言っているのだと思います。中村先生は、欲望が世俗的なテーマですから、それに対して、世俗を超越したという意味で、断定に「形而上学的な」という説明を付けたのだと思います。正田先生は「〔世の人々が下す〕諸々の〔断定的〕判断」としています。いずれにせよ、質問者は、欲望に続いて、断定は何に基づいて起こるのかを質問しています。

さらに、怒りと偽りの言葉と疑惑は何に基づいて起こるかと質問します。

この偈の四行目について説明しておかなければならないと思います。「修道者=<道の人>(沙門)=沙門」の意味は注釈書によってブッダを指していると考えるのがよいと思います。つまりブッダによって説かれた「怒りと偽りの言葉と疑惑」ということです。三行目を説明しているのです。

それならば 如何なるものに 基づいて その欲望は 起こるのですか<866>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎特別連絡:4月29日(水)から5月6日(水)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎ライターの森竹ひろこさんのブログ「コマメディアー史上最弱の仏弟子コマメー」で「[報告]正田正観先生の現代語訳「小部経典」が発売!記念祝賀会の報告」という記事が掲載されています。
http://blog.goo.ne.jp/komamenet/e/488d72d3512f675ea970219bdcaac28a
その中でこのブログで引用させて頂いている正田先生の御姿や私(ワンギーサ)の写真も掲載されています。是非上記ブログを訪問して下さい。


◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。


この記事へのコメント

2015年04月27日 04:31
欲望と断定との関係がしっくりきません。

そこで私見ですが、次のように考えて見るました。

昨日の「欲望」を「自己防衛本能」とすれば、自己の生存に有利と思われるものを好きになり、逆に不利と思われるものは嫌いになります。

問題なのは「守るべき自己」が確実に存在することです。そうでなければ、欲望も好き嫌いも成り立ちません。

それを形而上学的に断定するなら、「自己は永遠である」となるでしょう。しかし、永遠であるためには、「無変化」でなければなりません。 
身の丈修行者
2015年04月27日 05:50
おはようございます。
欲・断定の基になるもの・怒り・偽りの言葉・疑惑は何が元になって起きるのか、質問の深みが増したように思います。
無常で苦で無我が分かれば、出ない質問かもと感じました。
その後の詩が楽しみです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
てくてく
2015年04月27日 15:05
こんにちは。
てくてくでございます。

今日の偈をこのように思いました。

自分は今、「物惜しみ」に悩んでいます。
見たもの聞いたもの触れたもの・・・、遠慮なく何でも自分のものだと思い、持つので、思い通りにならないと癇癪を起こしては悩みます。

この「何でも自分のものにしたがる」思いは、『意欲』なのかなと思いました。

そして、この「何でも自分のものだと」決めつける思いは、『断定』なのかなと思いました。

『この生けるものたちは、怨みがなく、害意がなく、動転がなく、安楽のあるものとして自己を護るように』と。(中部経典第114従不従経より)
kempsford
2015年04月27日 19:36
こんばんは。
この経典は本当に興味深いです。私が確認したかった質問が次々に現れます。本日の「その欲望は何に基づいて起こるのか」もまさにそれです。
明日のご指導が楽しみです。先生、よろしくお願いいたします。
こころざし
2016年10月30日 23:05
欲は何から出るのだろうと、自分なりに振り返って考えました。恥ずかしい事に即答できず、生きていたいとの生存欲になるのかな、と思いました。その後の偈で学ばせて頂きたいと思います。また、質問を分るまでする、追求する姿勢、自分も持って参りたいです。