欲望は 快と不快と 言うものから 現れいでて 断定される<867>

○少年少女のためのスッタニパータ<867>
・・・
快と感じるものに対しては
欲しいという欲が現れます。
不快と感じられるものには
嫌だという怒りが現れます


第3 八つの詩句の章 11.争いと論争の経 6.

○毎田周一先生訳
867.
「この世で『快と不快』とはいわれることを元として
欲求が生じる
色や形の世界で なくなるとか生じるとかいうことのあるのを見て
世間の人は考えをめぐらし断定を下すのである


○中村元先生訳
867
「世の中で<快><不快>と称するものに依って、
欲望が起る。
諸々の物質的存在には生起と消滅とのあることを見て、
世の中には(外的な事物にとらわれた)断定を下す。


○正田大観先生訳
874.(867)
〔世尊は答えた〕
「〔まさに〕その、『快がある、不快がある』と、世において、
〔人々が〕言うところの、その〔二者〕(快と不快)に依存して、欲〔の思い〕は発生します。
諸々の形態(色:妄想によって固定され実体化した形相)のうちに、
〔表象として顕現した〕虚無(非有:無)、もしくは、実体(有:存在)を見て、
人は、世において、〔断定的〕判断を為します。(6)


○パーリ語原文
873.
サータン     アサータンティ    ヤマーフ        ローケー
‘‘Sātaṃ     asātanti         yamāhu         loke,
快         不快と         言うところのもの   世間で

タムーパニッサーヤ   パホーティ    チャンドー
tamūpanissāya       pahoti       chando;
それによって        起こる       意欲が

ルーペース   ディスワー   ウィバワン    バワンチャ
Rūpesu      disvā       vibhavaṃ     bhavañca,
形態において  見て       消滅を      生起を・また

ウィニッチャヤン    クッバティ   ジャントゥ    ローケー
vinicchayaṃ       kubbati     jantu       loke.
断定を          為す      人は       世間で


○一口メモ
欲望が発生するのは、欲望の対象である物があるからです。しかし、ただ物があるだけでは欲望が発生しないのです。そこで、この偈では、物に触ったとき、快とか不快とかを感じられる物から欲望が発生するのだと述べているのです。より具体的に言うならば、見て美しいと感じられるとか美しくないと感じられるもの(アクセサリーや洋服など)、或は美味しいとか不味いと感じられるもの(食べ物)等が欲望を発生させるのだということです。

この偈の後半は、前回の偈で「断定は何から起こるのですか」と言う質問にたいする回答になっています。すなわち「色や形の世界」=「物質的存在」=「形態」の消滅と生起が断定(判断)の因縁になっていると説かれています。

前回の偈では、「怒りと嘘と疑い」についての質問もありましたが、その回答は明日の偈で説かれます。


欲望は 快と不快と 言うものから 現れいでて 断定される<867>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎特別連絡:4月29日(水)から5月6日(水)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎ライターの森竹ひろこさんのブログ「コマメディアー史上最弱の仏弟子コマメー」で「[報告]正田正観先生の現代語訳「小部経典」が発売!記念祝賀会の報告」という記事が掲載されています。
http://blog.goo.ne.jp/komamenet/e/488d72d3512f675ea970219bdcaac28a
その中でこのブログで引用させて頂いている正田先生の御姿や私(ワンギーサ)の写真も掲載されています。是非上記ブログを訪問して下さい。


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この記事へのコメント

2015年04月28日 04:38
4月になり冬日と夏日の日が多くなり、街行く人々の服も半袖姿からコート姿まで混在するようになりました。

私も不快を避ける為に服を調整しますが、それは身体の為です。身体にとって心地良いものを求めてます。

つまりそれは「死を避ける努力」です。

ところで、暑いと想定して上着を持参しない場合、いきなり寒くなると不快になり「上着があればな~」と思います。

勿論、上着を持参してる場合は「あって良かった」と思います。

結局それは「有無」の世界での判断です。

つまり、「有か無か」と思ってる対象に依存して、((尊い、死んではならない自己が)生き延びる為の判断をしているように思います。
身の丈修行者
2015年04月28日 07:52
おはようございます。
つつじの花が満開で、通勤途中等綺麗だなと思う時があります。
そこで綺麗と思うのはその後の思考に繋がるな、と「見ている・見ている・見ている」とのように対応しています。
その時の観察で自分の中で出てくるのは「じゃあ綺麗なつつじが一杯咲いている所に行こう」という欲求です。
そんな思考・妄想の回転が気を着けてないとどんどん増大していくようで、怖く感じます。
つつじの花、綺麗だね「綺麗と思った・綺麗と思った・綺麗と思った」程度で終わらせたいと思います。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
りんご
2015年04月28日 08:08
快も不快も、感覚(受)ですね。
瞑想していても、「不快な感覚を観る」のではなく、「やめたいという気持ちを作って」やめてしまうことがあります。
2015年04月28日 13:11
目の前に一輪の薔薇が咲いている。。。

この認識は薔薇を有(実体視)としたものですが、その薔薇が無変化なら「薔薇がある」という認識も起きません。
kempsford
2015年04月28日 18:04
こんばんは。
欲望の生起について分かりやすく解説して頂きありがとうございます。今回の経典はとても興味深いです。なぜならば、私が確認したかった問いが次々と現れてくれるからです。
『前回の偈では、「怒りと嘘と疑い」についての質問もありましたが』…この問いへのブッダのお答えも、とても楽しみです。先生、明日もよろしくお願い致します。
こころざし
2016年10月30日 23:09
快と感じるものは、もっと欲しいと思います。不快に思うものは、嫌がって遠ざけようとします。日常でまさにその繰り返しの様な状態の自分がいます。それは外の環境に左右されている・・ようで、実は自分がそのようになっているのが正解なのではと感じます。そのような状態を繰り返さない様な生き方を目指したいです。