怒りも 嘘も疑いも 二つがあるとき 発生します<868>

○少年少女のためのスッタニパータ<868>
・・・
嘘をつくのは、
損を避け得するためだが、
長い目で見ると
結果は逆になる。


第3 八つの詩句の章 11.争いと論争の経 7.

○毎田周一先生訳
868.
怒りと嘘と疑いと
これらも亦(快と不快との)二つに過ぎない
そして思い惑う人は 修道者があれこれと指摘していることを知って
智慧の道を進むようにするがよい」


○中村元先生訳
868
怒りと虚言と疑惑、
──これらのことがらも、(快と不快との)二つがあるときに現れる。
疑惑ある人は知識の道に学べ。
<道の人>は、知って、諸々のことがらを説いたのである。」


○正田大観先生訳
875.(868)
忿激、虚偽の言葉と、懐疑と、
これらの法(性質)もまた、まさしく、〔快と不快の〕二者(概念的二項対立図式)に〔依存して〕、存在します。
懐疑ある者は、知恵の道に学ぶのです。
〔このように〕知って、〔これらの〕諸法(性質)は、沙門によって説かれました」〔と〕。(7)


○パーリ語原文
874.(868)
コードー    モーサワッジャンチャ   カタンカター   チャ
‘‘Kodho     mosavajjañca        kathaṃkathā   ca,
怒り       虚偽の言葉         疑惑        と

エーテーピ    ダンマー     ドゥワヤメーワ   サンテー
etepi        dhammā     dvayameva      sante;
これらも      法        まさに二つの    あるときにある

カタンカティー    ニャーナパターヤ   スィッケー
Kathaṃkathī     ñāṇapathāya       sikkhe,
疑惑のある者は  智慧の道によって    学ぶがよい

ニャートゥワー    パウッター   サマネーナ    ダンマー
ñatvā          pavuttā      samaṇena     dhammā’’.
知って         説かれた     沙門によって   法は


○一口メモ
今回の偈は、前々回の866偈の質問「怒りと嘘と疑惑は何から起こるのですか?」に対するブッダの解答です。ブッダはこれらも「快と不快」の二つがあるとき現れると説かれました。

怒りについては、分かりやすいと思います。不快なものに対してはそれを避けようとするエネルギーが現れます。それが怒りです。そのため怒りは「快と不快」があるとき現れると説かれたのです。

ここで「不快」と表現せずに。「快と不快」と表現されていることについて説明します。快と不快は個人によって受け止め方が異なるからです。例えば大福が好きな人には大福は快として受け止めますが、大福が嫌いな人には大福は不快なものなのです。そのように、人間に好き嫌いという感情を引き起こすものが怒りの元になるからです。

それでは、なぜ嘘は快と不快から起こるのでしょうか? その前に考えるべきことは、「人は何故嘘をつくのでしょうか?」ということです。 それは浅はかな自己防衛のためです。浅はかなという言葉を使ったのは、真の意味で自己防衛は真実にあることを知らない者の自己防衛だからです。(この問題についてはここでは議論しません。) 自己防衛とは、不快を避けて、快を求めることです。これが死から免れることだと思っているのです。この目的のためは事実か虚偽かは問題になりません。ある場合には事実に反することでも言うのです。これが嘘の真相です。

では、疑惑はどのようにして「快と不快」から起こるのでしょうか?疑惑も自己防衛の結果ですが、その「快と不快」が避けるべきものか受け入れるべきものか分からないとき現れます。そのような者に対しては、沙門(ブッダ)が説かれた「智慧に関する知識」を学ぶとよいと教えています。


怒りも 嘘も疑いも 二つがあるとき 発生します<868>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎特別連絡:4月29日(水)から5月6日(水)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎ライターの森竹ひろこさんのブログ「コマメディアー史上最弱の仏弟子コマメー」で「[報告]正田正観先生の現代語訳「小部経典」が発売!記念祝賀会の報告」という記事が掲載されています。
http://blog.goo.ne.jp/komamenet/e/488d72d3512f675ea970219bdcaac28a
その中でこのブログで引用させて頂いている正田先生の御姿や私(ワンギーサ)の写真も掲載されています。是非上記ブログを訪問して下さい。


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この記事へのコメント

りんご
2015年04月29日 03:52
嘘は「浅はかな自己防衛」。
その通りだと感じました。
kempsford
2015年04月29日 04:02
おはようございます。
ブッダのお答え「快と不快」には、はっとしました。聖者の知る真理は、私のような凡夫の想定できるものではありませんでした。とても恥ずかしく感じました。
また先生から「なぜ嘘は快と不快から起こるのでしょうか?」・「では、疑惑はどのようにして「快と不快」から起こるのでしょうか?」という点につき説明して頂いたおかげで、さらに理解を深めることができました。
ご指導ありがとうございました。
2015年04月29日 04:32
嘘については「嘘も方便ならいい」等の意見もあるようですが、「嘘はつかないことにチャレンジする」ことのほうが断然面白いですね。

相手を傷つけるような事柄は言わなければいいだけの話です。

「嘘も方便」というのが妥当なケースは実際問題全くありません。嘘をつかないことで困ることは全くありません。

相手の嘘をつく、ということの大いなる偽善に気づくことが重要だと思います。
2015年04月29日 04:51
コメントの最後の方、「相手の為に嘘をつく」です。
noritarou
2015年04月29日 16:50
生命は、不快を避けて快を求めることで生き延びようとするため、食事をし、排泄をし、嘘をつき、他を傷つけたり、真実を探したり、法に生きようとするのでしょう。
快・不快という感覚を乗り越えるには、無常であることを識るべきだと言われます。
あらゆる感情も快・不快で成り立っていますが、無常なので変わります。
移り変わってゆく感覚や感情を味わう私はいないとすれば、誰が味わっているのでしょうか?

因縁により生じる現象の他、何も起きていません。
思考も、認識も現象であり、無常であって、何も起きていないとすれば、そのような快・不快のない状態であるとすれば、「法」とは、何でしょうか?

生きとし生けるものが幸せでありますように。
身の丈修行者
2015年04月29日 19:28
快や不快を持ってしまうと嘘や疑いも持つ事、興味深く感じました。
浅はかな自己防衛・・の長老の分かり易い本文・解説、心に響きました。
確かに安易に嘘をつく人は自分を守る為になりふり構わない状態になっている様子を感じる事があります。
「真の意味で自己防衛は真実にあること」を知る者になりたいです。
こころざし
2016年10月31日 19:35
私事ですが今日ある状況になり、そこで自分が不快になる事を避けようと、嘘的なものをついてしまいました。それを取り繕うのに墓穴を掘って、今も憂鬱になる様な気分でいます。五戒を破り、更にと悪業を溜めかねない、そんな状態に二度とならない様に戒めたいです。