無思想で 慧解脱した人 迷いなし 頑固な人は 右往左往する<847>

○少年少女のためのスッタニパータ<847>
・・・
頑固な人は周りの人々と対立します。
智慧ある人は対立しません。
頑固な人は智慧がないと言うことです。


第3 八つの詩句の章 9.マーガンディヤ経 13.

○毎田周一先生訳
847.
思想を持たないものは自由を束縛されない
智慧によって自在を得たものには迷いはない
思想や見解を掴んでいる人達は
ひとにぶつかりながら 世の中を右往左往する


○中村元先生訳
847
想いを離れた人には、結ぶ縛めが存在しない。
智慧によって解脱した人には、迷いが存在しない。
想いと偏見とに固執した人々は、
互いに衝突しながら、世の中をうろつく。」


○正田大観先生訳
854.(847) 
〔誤った〕表象が離貪した者には、〔人を縛る〕諸々の拘束は存在しないのです。
知慧によって解脱した者には、〔人を惑わす〕諸々の迷妄は存在しないのです。
彼ら、〔特定の〕表象やら見解やらを収め取った者たち
――彼らは、〔互いに〕対立しながら、世を渡り歩くのです」〔と〕。ということで――(13)


○パーリ語原文
853.
サンニャーウィラッタッサ    ナ    サンティ    ガンタ
‘‘Saññāvirattassa        na     santi      ganthā,
想を離れた人には       ない   存在し     束縛が

パンニャーウィムッタッサ   ナ    サンティ    モーハー
paññāvimuttassa         na    santi      mohā;
智慧で解脱した人には     ない  存在し     迷妄は

サンニャンチャ   ディッティンチャ    イェー   アッガヘースン
Saññañca       diṭṭhiñca         ye      aggahesuṃ,
想と          見解           人々は   捉えた

テー    ガッタヤンター    ウィチャランティ   ローケーティ
te      ghaṭṭayantā      vicaranti        loke’’ti.
彼らは   衝突しつつ      うろつく        この世を・と


○一口メモ
今回の偈はパーリ語もその訳も分かりやすいので、三人の先生方の訳の趣旨は同じです。ブッダのマーガンディヤさんへの説法は、想を離れて、慧で解脱した人は自由で迷いがなく、想いと偏見を固執している頑固の人は人々と衝突しながら生きているとまとめられたのです。この偈で「マーガンディヤ経」は終わります。

以上の説明で終わらせれば簡単だったのですが、この偈の一行目の「想を離れた人」と「智慧で解脱した人」を別の人と考えると前者は心解脱した人、後者は慧解脱した人になります。そうすると心解脱と慧解脱について語らなければなりません。テーラーワーダ仏教では心解脱の人は不還果で慧解脱の人は阿羅漢です。両者もう輪廻することはありませんが、不還果の人はまだ完全には無明が除かれていないのです。心解脱及び慧解脱については「二種観察経」の727偈で述べられています。本ブログの次のブログ記事で解説してありますから参照して下さい。ただし、727偈の解説では貪欲を滅したとき心解脱と説明しましたが、ここでは想を離れたとき心解脱したということになります。慧解脱は想受滅ということになります。
心解脱 さらに慧解脱 具わって 輪廻転生 消滅させる<727>
http://76263383.at.webry.info/201412/article_31.html

尚、この経の注釈書ではマーガンディヤさんとその妻はこのブッダの説法を聞いて、出家し、阿羅漢になったということです。皆さんも解脱すべきだなと思ったでしょう。

明日からは「死前経」(死ぬよりも前に)が始まります。


無思想で 慧解脱した人 迷いなし 頑固な人は 右往左往する<847>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。


この記事へのコメント

2015年04月08日 04:49
人はそれぞれですから「違い」があって当然です。

その違いに感情が結びつくと、例えば嫉妬心を起こしてしまいます。

また、見解の相違からは論争が起きたりします。

このような状態では、人々と衝突するのは避けられませんね。

アートスピールゲルマンは漫画「マウス」で、ドイツ人を猫、ユダヤ人を鼠に表現しましたが、偏見が衝突すると戦争までなります。

衝突の人生は幸福とは言えません。
身の丈修行者
2015年04月08日 07:19
おはようございます。
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「想を離れて、慧で解脱した人は自由で迷いがなく、想いと偏見を固執している頑固の人は人々と衝突しながら生きている」心に響きます。
是非、後者でない前者の方で生きる事を目指したいです。
私事ですが本日出発し大分に行って参ります、精進してきます。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
noritarou
2015年04月08日 10:23
思考する前の状態を維持することでありのままを感じ、その結果、自分が持つあらゆる見解、想、固執から離れられれば、自由だと思います。
それは、「何かをすれば何かを得る」という、世間の常識、束縛とは正反対のものです。
私たち人間は、思考の刺激による中毒に陥っていることにすら気付かずにいるので、輪廻の世界をうろつくことになっていると感じます。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
kempsford
2015年04月08日 17:22
こんばんは。
今日の偈は、とても楽しかったです。なぜならば、次の一文に己の姿をみたからです。
「ひとにぶつかりながら」・「互いに衝突しながら」・「〔互いに〕対立しながら」…ああ、まさに「俺のことだな」と思わず笑ってしまいました。
マーガンディヤ経は大変に勉強になりました。ワンギーサ先生、ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年10月22日 07:38
人とぶつかりながら生きる人や上手く共生する人等色々なタイプの方がいると思います。共生出来る方は賢いと思いますが、ブッダの教えはそれも超えているように思います。自らの固定概念に溺れず、人とぶつからず、そしてそのようなもの自体を超えれるようにしたいです。