どのように 修行する者 形態を 消滅させるか 教えて下さい<873>

○少年少女のためのスッタニパータ<873>
・・・
名称と形態とは
心と身体のことです。
心と身体とは
私個人のことです。


第3 八つの詩句の章 11.争いと論争の経 12.

○毎田周一先生訳
873.
「どのように知った者にとって形がなくなるのでしょうか
楽と苦も亦どうしたらなくなるのでしょうか
そのなくなるということを ありのままにお教え下さい
『そのことを知りたい』と 私は熱望しております」


○中村元先生訳
873
「どのように修行した者にとって、形態が消滅するのですか?
楽と苦とはいかにして消滅するのですか? 
どのように消滅するのか、その消滅するありさまを、わたくしに説いてください。
わたくしはそれを知りたいものです。──わたくしはこのように考えました。」


○正田大観先生訳
880.(873)
〔対話者が尋ねた〕
「どのように行知した者の形態は、実体を離れるのですか。
楽は、さらには、また、苦は、どのようにして、実体を離れるのですか。
このことを、〔それが〕実体を離れる、そのとおりに、わたしに説いてください。
それを、〔わたしたちは〕知りたいのです。かくのごとく、わたしの意は成りました」〔と〕。(12)


○パーリ語原文
879.(873)
カタンサメータッサ         ウィボーティ    ルーパン
‘‘Kathaṃsametassa        vibhoti        rūpaṃ,
どのように行じた者にとって   滅する(か)     形態が

スカン     ドゥカンチャーピ   カタン      ウィボーティ
sukhaṃ    dukhañcāpi       kathaṃ     vibhoti;
楽       苦が・或はまた    どのように   滅する(か)

エータン   メー    パブルーヒ   ヤター      ウィボーティ
Etaṃ      me     pabrūhi      yathā       vibhoti,
それが    私に    説いて下さい  どのように   滅する(か)

タン     ジャーニヤーマーティ   メー    マノー    アフー
taṃ     jāniyāmāti           me     mano     ahū’’.
それを   知りたいと          私の    心は     成った


○一口メモ
昨日述べたように、「形態から接触、接触から快・不快、快・不快から欲望(欲求)、欲望(欲求)から所有欲(我執)」ということになりますから、形態の消滅は一切の苦と楽の消滅につながるのです。

そこで質問者は「どのように修行した者に、形態が消滅するのですか?」と仏教の核心になる質問をするのです。仏教の目標は一切の苦からの解脱だからです。

また、質問者は解答を予想していると思いますが、確認のために「楽と苦とはいかにして消滅するのですか?」と質問します。

しかし、形態の消滅に関しては詳しく知りません。そこで「どのように消滅するのか、その消滅するありさまを、わたくしに説いてください。」そして「それを知りたいという心になった。」と質問者は述べます。これは発心です。ここから仏教の修行が始まります。これは誓願であり、これにより解脱することが出来るのです。

ブッダはこの誓願に答えて、仏教の真髄を明日の偈で述べることになります。


どのように 修行する者 形態を 消滅させるか 教えて下さい<873>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎本日(2015年5月4日)の午前中は、原因は不明ですが、このブログにアクセスできませんでした。そのため午前中の更新はできませんでした。皆様にご心配とご迷惑をかけましたことをお詫び申し上げます。


◎特別連絡:4月29日(水)から5月6日(水)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年05月04日 12:31
こんにちは。
「これは発心です。ここから仏教の修行が始まります。」
ワンギーサ先生のこの御言葉に、どきりとしました。
明日も、心して学びます。ご指導、よろしくお願い致します。
2015年05月04日 12:54
かつての同級生から「親の遺産相続を巡って兄弟で訴訟沙汰になった」と聞いたことがあります。

よくある話ですが、このような争い事が起こる「根本原因」を「何故?」という手法で示してるのだと思います。

そして、その「根本原因」を越える道を示しつつあるように思います。

身の丈修行者
2015年05月04日 13:12
気づきがあって確信になり、発心になる印象を感じました。
私はこちらで学ばせて頂く内容が、人生で最優先で学ぶ必要のある事と確信しています。
明日の偈、後日(5/6夜)心して拝見させて頂きます。
私事で恐縮です、本日夜より兵庫の精舎に修業に伺います。真剣に実況中継実践をさせて頂きます。
ワンギーサ長老・皆様も素晴らしいGWとなりますように。
noritarou
2015年05月04日 19:11
この詩から、「臨在録」での、仏法の真髄を三度質問し、三度打たれたというやりとりを思い出しました。
神髄、奥義、極意など、何かを探し求める心も、渇愛の働きのように感じられます。
法を求めることも、魔を求めることも、心の働きとしては、似たようなものだと思います。
しかし、真っ赤に焼けた鉄の火の玉のようになって、真理への道を突き進むことも必要でしょう。
インディアンの教えには、不意に、水に沈められたときに欲する空気ほど、真理を欲する心が必要だとも、言われます。
得ることも、失うこともないと言われるように、論理を超えた所にある法は、言葉では説明できないと言われます。
無常である事。
私たち人間は、そこまでしか知る事が出来ないし、それ以上のことは必要がないように思います。
このように、言葉でとらえてしまうこと自体、私が真理を体得していないと言う証ですね。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
SRKWブッダ
2015年05月04日 21:49
臨済は、仏では無いし、菩薩でも無く、修行者でさえ無く、まともでは無く、ただのキチガイであり、極わずかさえも仏教に通じていない。

その臨済を覚者だと見なす者は、彼自身、真理を会得しておらず、仏教を知らず、真理を求めず、道を逸れており、その行き着く先もまた語るにも恐ろしい処であると知られる。

ニルヴァーナに近づくのも、地獄に堕ちるのも、苦の輪廻を繰り返すのも、各自のことがらである。愚者は、あまりにも愚かなので、自分の愚かさを極わずかさえ理解することが出来ない。そのくせ、自分では良い線を行っていると思っている。あたかも、病識のない重病人が自分は健康体だと主張するようなものである。

***
こころざし
2016年11月02日 07:11
発心を持つ事から仏教の修行が始まる事、興味深く思いました。昨今はやりのマインドフルネスでは、心の安定とか短期目標?のようなものしかない印象を受けています。悟りを得て解脱したいとの気持ちがあって、修行になる様に感じました。精進して、そしてそちらに行ける様に努めたいです。