形態も 捏造物と 知る者は 己のそれも 消滅するなり<874>

○少年少女のためのスッタニパータ<874>
・・・
私という思いがあるから
私の悩み苦しみがあります。
私という思いがなくなれば
私の悩み苦しみはなくなります。


第3 八つの詩句の章 11.争いと論争の経 13.

○毎田周一先生訳
874.
自然に思うように思うのでもなく 間違って思うでもなく
それかといって思わないのでもなく 思いをなくそうとするのでもない――
と丁度このように知るもの知るものにとって 形はなくなる
何故なら 思いによって ありとあらゆる妄想が起こるからである


○中村元先生訳
874
「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、
想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。
──このように理解した者の形態は消滅する。
けだしひろがりの意識は、思うに基づいて起こるからである。」


○正田大観先生訳
881.(874)
〔世尊は答えた〕
「表象としての表象ある者(既存の表象に随従する者)ではなく、表象を離れる表象ある者(異常な表象を妄想する者)ではなく、
また、表象なき者(表象を有さない者)ではなく、実体を離れた表象ある者(表象を超越した者)ではなく、
このように行知した者の形態は、実体を離れます。
なぜなら、諸々の虚構の名称(世界認識の道具として虚構された概念)は、因縁として表象〔作用〕(想:認識対象を表象し概念化する働き)から〔発生する〕からです」〔と〕。(13)


○パーリ語原文
880.(874)
ナ     サンニャサンニィー     ナ     ウィサンニャサンニィー
‘‘Na    saññasaññī          na     visaññasaññī,
ない    思いを思う者で        ない   違った思いを思う者で

ノーピ   アサンニィー    ナ    ウィブータサンニィー
nopi     asaññī        na    vibhūtasaññī;
またない  思わない者で   ない  思いを消滅した者で

エーワンサメータッサ    ウィボーティ    ルーパン
Evaṃsametassa       vibhoti        rūpaṃ,
このように行う者には   滅する        形態は

サンニャーニダーナー   ヒ        パパンチャサンカー
saññānidānā          hi        papañcasaṅkhā’’.
思いを因縁として      何故ならば  捏造と呼ばれるものは


○一口メモ
いよいよ仏教の核心です。しかし難しいです。

「形態の消滅のためには、どのように修行すればよいのか?」と問われたブッダはいきなり、「自然に思うように思うのでもなく、間違って思うでもなく、それかといって思わないのでもなく 思いをなくそうとするのでもない。」と答えられます。なぜ、思い方について答えられたのでしょうか。

その理由は四行目にあります。「何故なら、思いによって、ありとあらゆる妄想が起こるからである。」と。これで解った方は理解能力のある方です。

「自然に思うように思うのでもなく、間違って思うでもなく、それかといって思わないのでもなく 思いをなくそうとするのでもない。」と言われると、ではどうするのかと質問したくなります。せっかくブッダが形態の消滅方法を教えてくれましが、どうしていいか分からないのが実情です。それならば思わなければいいのだなというわけには行けません。「思わないのでもなく、思いをなくそうとするのでもない」とも言われているからです。これは一種の公案です。

この言葉を理解するためには、「真理の言葉」が必要です。その言葉がこの偈の中に述べられているのです。それは「思いによって ありとあらゆる妄想が起こるからである。」です。すなわち、形態も、ありとあらゆる妄想の一つであり、思いによって起こったものであると知った者には形態は消滅するということです。これこそが「真理の言葉」だと知った者は解脱するのです。

毎田先生は、「思いによって ありとあらゆる妄想が起こると言われる、一句こそは、仏法の真理の一句である。怖そるべき、まことの一句である。その意味でこの874偈は第四章の最頂点に位するというべきである。」と述べています。これは形態が滅すれば、接触がなくなり、接触がなくなれば、快・不快がなくなり、欲望がなくなり、我執がなくなり、一切の苦と楽がなくなるという仏教の根本に関わる一句だからです。

正田先生の訳「諸々の虚構の名称(世界認識の道具として虚構された概念)は、因縁として表象〔作用〕(想:認識対象を表象し概念化する働き)から〔発生する〕」を言葉は難しいけれど丁寧に訳されています。繰り返し読んで理解してください。ここで使っている「虚構」とはスマナサーラ長老が「捏造」と訳されているパパンチャです。パパンチャについてはブログ内検索で調べられます。


形態も 捏造物と 知る者は 己のそれも 消滅するなり<874>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎特別連絡:4月29日(水)から5月6日(水)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

2015年05月05日 04:48
どういう時に妄想するのでしょうか。

それは、自分の生存のためにとにかく「知りたい」時です。知りたい、しかしそれがわからない場合に妄想します。

しかし「知りたい」と思わないことは現実的ではありません。

眼を開けば、何かを認識し、何かを知りますから。その場合例えば、失明すれば良いという発想は極論です。まともに生きていけなくなります。

脳細胞を破壊すれば「思い」もかなり破壊されると思いますが、そのような極論的なやり方ではなく、ごく普通に生活しながら「誤知」を「正知」にする道が正しい道だと思います。
kempsford
2015年05月05日 12:20
こんにちは。
今日の偈は難しいです。私にはとても理解できそうもないな、と諦めかけてしまいます(すみません)。
でもその中で、「思いによって ありとあらゆる妄想が起こると言われる、一句こそは、仏法の真理の一句である。」という毎田先生のご見解を紹介してくださったおかげで、なんとか糸口をつかめました。
また「形態も、ありとあらゆる妄想の一つであり、思いによって起こったものである」という、ワンギーサ先生の解説を示してくださったおかげで、さらに理解を深めることができました。
ご指導ありがとうございました。
身の丈修行者
2015年05月07日 07:33
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「思いによって ありとあらゆる妄想が起こるからである。」心に響きます。
感じた→思考→妄想の思考と思いは同じ意味かなと想像しました。
感じた、で止めれるように、今ここのみに徹する事が出来るように精進したいです。
marumaru
2015年05月13日 20:16
自己の内外に「像」らしきものを、結ばせるのは、自己の持つ「執着」であるっていう理解でしょうか・・・。
こころざし
2016年11月02日 07:20
私事ですが、先日行きました河口湖オムツ外し学会という所で「私というものを持って、その上で私が嫌に思う事はしない介護をしようとする姿勢が持てたら、もう新人ではありません」との話があって、印象的に思いました。私という錯覚を常に持って日常を送っていますが、そのようにも捉えられている面があるのだと思う機会でした。私の錯覚に気が付く事で、悩み苦しみを減らせるような生き方をして参りたいです。