瞑想者 悔いることなく 落ち着いて 気づき絶やさず 静かに暮らせ<925>

○少年少女のためのスッタニパータ<925>
・・・
授業中は
うろうろせずに
落ち着いて
先生の話をよく聞いて
静かに勉強しなさい。


第4 八つの詩句の章 14.迅速経 11.

○毎田周一先生訳
925.
修行者はどこ迄も深くものを考えて さまよい歩かず
悔いることを止め 時を無駄に過ごさず
騒音を離れたところに
坐る場所 臥せる場所を求めて そこに住むがよい


○中村元先生訳
925
こころを安定させよう。うろついてはならない。
あとで後悔するようなことをやめよ。怠けてはならぬ。
そうして修行者は閑静な
座所・臥所に住むべきである。


○正田大観先生訳
932.(925)
瞑想者は、足の動転ある者(欲望の対象を求めて歩き回る者)として存さないように。
悔い〔の思い〕を離れるように。〔常に気づきを〕怠らないように。
しかして、比丘は、音声少なき
諸々の坐所と諸々の臥所に住むように。(11)


○パーリ語原文
931. (925)
ジャーイー    ナ    パーダローラッサ
‘‘Jhāyī       na    pādalolassa,
冥想者は     ない   うろつきまわる者として

ウィラメー    クックッチャー    ナッパマッジェッヤ
virame       kukkuccā      nappamajjeyya;
止めるように   後悔を       放逸でないように 

アターサネース   サヤネース
Athāsanesu      sayanesu,
そして・座所に    臥所に

アッパサッデース    ビック     ウィハレッヤ
appasaddesu       bhikkhu    vihareyya.
音のすくない      比丘は    住むように


○一口メモ
今回の偈の始めの言葉Jhāyīを、毎田先生は「修行者はどこ迄も深くものを考えて」、中村先生は「こころを安定させよう」、そして正田先生は「瞑想者は」と訳しました。どの訳も可能だと思います。ここでは中村先生の訳を中心にして、解説します。そうすると、この偈は次の五項目について述べています。

①こころを安定させよう。
これは瞑想することです。毎田先生は、瞑想することを「どこまでも深く考えていること」と考えておられるようです。

②うろついてはならない。
パーリ語を分析して意味をとると、正田先生の捕捉的訳にあるように、「欲望の対象を求めて歩き回ること」です。

③あとで後悔するようなことをやめよ。
この訳からは、悪行為をしないことという意味にもとれますが、パーリ語の意味は「後悔することを止めるように」です。後悔はなぜいけないか? 後悔している時は気づきを怠っているのです。時間を無駄に使っているのです。また心が落ち込み、暗くなるからです。さらに、後悔すると、二重に悪行為をすることになります。すなわち、悪行為したという悪行為と、そのために、後悔するという悪行為を重ねるということです。

④怠けてはならぬ。
これは単に、仕事や勉強を怠けるなという意味ではなく、正田先生の訳のように「〔常に気づきを〕怠らないように」ということです。仏教用語としては不放逸という言葉を使います。この言葉を毎田先生は「時を無駄に過ごさず」としています。気づきを怠らないということは、今の瞬間に気づいていることで、今を生きているという意味なのです。不放逸の訳として「時を無駄に過ごさず」を憶えておいてください。

⑤そうして修行者は閑静な座所・臥所に住むべきである。
修行者はあくまでも、心の静けさを求めて修行すべきですが、環境も大切で、静かな場所の方が修行は実践しやすいでしょう。


瞑想者 悔いることなく 落ち着いて 気づき絶やさず 静かに暮らせ<925>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎緊急連絡:6月26日(金)18:30~21:00 東京・なかのZERO小ホールにて、「スマナサーラ長老 初期仏教月例講演会が開催されるために、ゴータミー精舎によける夜の自主瞑想会は中止します。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年06月25日 04:06
おはようございます。
スマナサーラ長老からも「後悔」について学んでいます。「後悔すると、心が暗くなるのです。後悔ではなく、懺悔するのです。そして、また明るい心で頑張るのです。」。ただ、なぜ後悔がよくないのかについて、はっきりと認識できていませんでした。
その点について、今回、先生に明確に教えて頂きました。
「後悔している時は気づきを怠っているのです。時間を無駄に使っているのです。」。はっとしました。腑に落ちました。明確に認識することができました。そうですよね、後悔しているときは「過去の妄想」にとらわれ、「今」へも「気付き」を怠っています。そのことに思い及びませんでした。
毎日貴重な教えを頂戴いたしております。ありがとうございます。
2015年06月25日 05:01
「不放逸」がキーワードのように思いました。
身の丈修行者
2015年06月25日 07:22
おはようございます。
本文の「今の瞬間に気づいていることで、今を生きているという意味・・不放逸の訳として「時を無駄に過ごさず」」心に響きます。
これを実践すると、日常で暇とか退屈は成り立たないと思います。
また限られた時間を大切にしこちらで学ばせて頂いたり、長老の本を読んだり法話を聞いたりする機会も設けて参りたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
kuro
2015年06月25日 18:01
後悔している時は気づきを怠っているのです。時間を無駄に使っているのです。
勉強になりました。
ありがとうございました。
kuro
2015年06月25日 21:12
後悔はなぜいけないか? 後悔している時は気づきを怠っているのです。時間を無駄に使っているのです。
常に気づきを絶やさなくては思いました。
ありがとうございました。
こころざし
2016年11月19日 07:23
私事ですが、家庭内の色々で昨日、とても仏教を学んでいる者とは思えない言動をしてしまい、反省しています。色々なこうなって欲しいというエゴがある自分をまざまざと実感しました。冥想修行をしてそのような状況を少しでも捨てれるように、仏道実践者の言葉が当てはまらない状態にならない様に戒めたいです。