非難され 称賛されても 落ち着いて 貪り静め 怒ることなし<928>

○少年少女のためのスッタニパータ<928>
・・・
お母さんの作ってくれたお弁当に、
多すぎ、少なすぎ、まずいなどと
文句を言っている子はいませんか。


第4 八つの詩句の章 14.迅速経 14.

○毎田周一先生訳
928.
修行者は非難されても悩まず
ほめられても思い上がらず
利己心と一緒に 貪りと
怒りと陰口をきくこととを払いさるがよい


○中村元先生訳
928
修行者は、非難されても、くよくよしてはならない。
称讃されても、高ぶってはならない。
貪欲と慳(ものおし)みと
怒りと悪口を除き去れ。


○正田大観先生訳
935.(928)
〔他者の〕非難に動揺しないように。
比丘は、〔他者から〕賞賛されたとして、傲慢にならないように。
物惜しみ〔の思い〕と共に、貪欲〔の思い〕を〔除き去るように〕。
忿激〔の思い〕を、さらには、中傷〔の思い〕を、除き去るように。(14)


○パーリ語原文
934. (928)
ニンダーヤ    ナッパウェーデッヤ
‘‘Nindāya     nappavedheyya,
非難によって 動揺しないように

ナ     ウンナメッヤ      パサンスィトー    ビック
na     uṇṇameyya       pasaṃsito       bhikkhu;
ない   上昇し(ない)ように  褒められても    比丘は


ローバン    サハ   マッチャリイェーナ
Lobhaṃ     saha    macchariyena,
貪欲を     共に    物惜しみを

コーダン    ペースニヤンチャ   パヌデッヤ
kodhaṃ     pesuṇiyañca       panudeyya.
怒りを     離間語を・と       排除するように


○一口メモ
一行目「非難されても悩まず。」について。平安の境地を求める者は他人の非難に動揺してはいけないのです。他人の非難はある意味、他人の自由です。他人の非難に動揺しているものは心の平安は得られないのです。

ダンマパダ227番に次の偈があります。よく味わってみましょう。
「アトゥラよ。これは昔にも言うことであり、今に始まることでもない。
沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。
世に非難されない者はいない。」(中村先生訳)

二行目「ほめられても思い上がらず」について。人々はほめられると嬉しくなって、舞い上がるものですが、それ自体が心の落ち着き、平安でありません。これでは平安の境地に至ることはできません。舞い上がる人は何に舞い上がるのでしょうか。良い事を行ったり、良い事を言ったりしたとしても、それはあなたのみの手柄でしょうか。多くの場合、多くの人の支えによってなし得たことなのです。そこを謙虚に認識する必要があると思います。

三行目「貪欲と物惜しみ」について。「貪欲」は欲望に執着すること、「もの惜しみ」は自分の持っているものを人に使わせたくない、あげたくないという感情です。貪欲があるとき、心は欲しい、欲しいと燃え上がっているのです。この人には人に対する思いやりなど眼中にないのです。物惜しみのある人の心は固く固まって、平安などありません。

四行目「怒りと陰口=悪口=中傷」について。「怒り」については説明する必要はないでしょう。「陰口=悪口=中傷」と訳されていますが、正確には離間語とも言われます。二人を仲たがいさせる言葉です。これは単なる「陰口=悪口=中傷」より悪質です。人々はお互いに慈悲の心を持ち、仲良くすべきなのです。それなのに反対に人々を対立させ仲たがいをさせようとするのですから、その罪は大きいと思います。

この最大の者が戦争屋の影の言葉です。彼等は国と国あるいは民族と民族を対立させて戦争を起こし、多くの場合その対立する両者に武器を売り、利益を上げています。戦争によって多くの人々が殺されているのです。表面的な意見の対立や利益の対立に眼を奪われてはいけません。戦争屋の離間語に騙されていることを知るべきです。


非難され 称賛されても 落ち着いて 貪り静め 怒ることなし<928>



○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

2015年06月28日 04:22
離間語とは何かについてシックリきました。

それが何なのか知らなければ、やめることも困難です。

今までノーマークだったので、離間語に注意してみます。
kempsford
2015年06月28日 04:49
おはようございます。
①「心の平安」・②「慈悲の心」。
この二点を芯とされた先生の教えを理解致しました。
御指導ありがとうございました。
SRKWブッダ
2015年06月28日 05:47
平静さが損なわれると修行にならない。しかしながら、それだけでなく、平静さを保つことによって世に稀有なる善知識(化身)との遭遇が期待される。また、平静であればこそ遭遇した善知識(化身)が発する法の句(善知識)を理解することができると期待され得る。これが平静さを保つことの真の利益(りやく)である。

世に存するどの悪行も、とどめることは極めて難しい。考えるほどに、まるで不可能だと思えるほどである。ところで、どの悪でもよい。すべての悪ではなくたった一つでよい。大きな悪ではなくごく小さな悪でよい。この悪を”完全に”とどめたならば解脱が起こると説かれる。これは仏教の不可思議の一つである。

衆生は、人生の中において、この小さな悪をたった一つでさえ完全にとどめないので、覚れないでいるのである。敢えて言えば、衆生は悪を好み、その悪に自分自身が翻弄されている。そをやめ、とどめよ。覚りはただちに起こる。

***
身の丈修行者
2015年06月28日 06:12
おはようございます。
私事ですが、職場で筋の通らない事でクレームを頂いた事があり、心が動揺する機会でした。幸い(筋が通らない事で)上司に特に問題にされる事はありませんでした。
どんな状況でも「落ち着いて 貪り静め 怒ることなし」で生きたいと思います。それを試される機会は日常で珍しくなく遭遇すると思います。
出来るだけ心が動揺せず安定したままで対処出来るように努めたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
みき
2015年06月28日 07:30
職場でも他者の悪口を言う人はいます。できるだけ聞かないよう言わないようにしています。悪口だけではなく噂もいわないほうが良いですね。
「離間語」はそういう意図はないものの、結果離間語になることがあります。言葉は慎重に選び発する必要があろと思いました。
こころざし
2016年11月20日 20:11
誰かに何か言われて、それで容易に一喜一憂してしまう自分がいます。また自分が怒るのは、怒る様な事を言ってくるからだ、と修行がなってない事を容易に家族に対して思ってしまい、反省致します。どのような状況でも心が影響されない事、感情的にならない事を少しでも培って・実践して参りたいです。