修行者は 商売せずに 罵らず 交際もせず 利益も求めぬ<929>

○少年少女のためのスッタニパータ<929>
・・・
仕事をしないのは
世間では非常識ですが、
出家修行者の世界では、
それが常識です。


第4 八つの詩句の章 14.迅速経 15.

○毎田周一先生訳
929.
修行者は売買には従わず
決して人を罵らず
又村里にいても不機嫌な様子をせず
(それかといって)利益を得ようとして人と余計なはなしをせぬがよい


○中村元先生訳
929
修行者は、売買に従事してはならない。
決して誹謗をしてはならない。
また村の人々と親しく交わってはならない。
利益を求めて人々に話しかけてはならない。


○正田大観先生訳
936.(929)
〔生活を〕売買に立脚しないように。
比丘は、どこにおいても、批判を為さないように。
しかして、村において、〔在家者たちと〕交際しないように。
利得(行乞の施物)を欲して、人と談じないように。(15)


○パーリ語原文
935. (929)
カヤウィッカイェー   ナ    ティッテッヤ
‘‘Kayavikkaye      na     tiṭṭheyya,
売買において     ならぬ   立っては

ウパワーダン   ビック    ナ    カレッヤ    クヒンチ
upavādaṃ      bhikkhu    na    kareyya     kuhiñci;
非難を       比丘は    ならぬ 為しては    誰にでも

ガーメー    チャ    ナービサッジェッヤ
Gāme      ca      nābhisajjeyya,
村において  又     付き合ってはならぬ

ラーバカンヤー   ジャナン   ナ    ラパイェッヤ
lābhakamyā      janaṃ     na    lapayeyya.
利得を求めて    人に     ならぬ 語っては


○一口メモ
この偈における修行者とは、比丘あるいは乞食修行を意味しています。彼等は生きる糧を稼ぐ仕事を止めて、ただ真理を求める修行だけに専心し、生きる糧は乞食に頼ることを決意した人々です。ですから、売買などの商いに従事してはいけないのです。

二行目「比丘は、どこにおいても、批判を為さないように。」
修行者は、真理を求めることに専念するとはどのようなことでしょうか? 人格を完成する、無量心「慈悲喜捨」の心を完成し、即ち真のやさしさを知り、それを実践できるようになることでしょう。それならば、他人を罵る、誹謗する、批判するということがあってよいでしょうか。それはすべて真のやさしさに反する行為なのです。すべきでないことは明らかです。

三行目、毎田先生は「不機嫌な様子をせず」、中村先生と正田先生は「親しく交わってはならない=〔在家者たちと〕交際しないように」と訳されています。パーリ語辞書に両方の意味が掲載されているからこの違いがあります。どちらにしても、修行に差しさわりのある人間関係を持ってはいけないということだと思います。

四行目は、利益を求めて話をすることは、欲に基づく行為です。無意識にもそのような行為をしないように注意すべきなのです。


修行者は 商売せずに 罵らず 交際もせず 利益も求めぬ<929>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

2015年06月29日 04:02
「与えるのみ」というのが、ポイントのように思います。

その観点に立てば、在家の場合「仕事に際して、なにを社会に与えることができるか」を考えることが重要になります。

「与えるのみ」の人が悪口を言うとは考えられません。何かを得ようと思うから悪口も起きます。

人々と親しく交わるのは、所謂「ギブアンドテイク」の関係になりやすいでしょう。

利益を求めない。はまさしく「与えるのみ」そのものだと思います。
身の丈修行者
2015年06月29日 08:28
おはようございます。
本文の「この偈における修行者とは・・生きる糧を稼ぐ仕事を止めて、ただ真理を求める修行だけに専心し、生きる糧は乞食に頼ることを決意した人」とても厳しい覚悟を感じます。
変な例ですが、仕事をせずに何処まで生きられるか・・みたいな甘い考えとは全く違う印象を感じます。
在家で仕事をしながら諸々の意味で適量の加減を持ち渇愛を抑え、心の成長を怠らないように精進したいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
kempsford
2015年06月29日 18:36
こんばんは。
先生の解説から、先生の、並々ならぬ御決意が伝わってきます。
「修行者とは、比丘あるいは乞食修行を意味しています。彼等は生きる糧を稼ぐ仕事を止めて、ただ真理を求める修行だけに専心し、生きる糧は乞食に頼ることを決意した人々です。」
身が引き締まります。精進致します。御指導ありがとうございました。
みき
2015年06月29日 20:40
今日、職場で誹謗中傷するつもりはないが、第3者の至らない点や欠点を話してしまいました。後によくよく考えてみると、これはやはり誹謗中傷だなと思います。

あと私はよくAさんは「なになにと言った。」と言ってしまいます。これも事実ですが言わないほうがいいのでしょう。よく先輩から「私がこんなことを言っていたなんて、言わないでね」と言われてしまいます。これは離間語を話されると恐れられているのでしょう。言葉は難しいですね。
エル
2015年07月02日 12:57
ブログを読むにしたがって、時代や場所を隔てた遊行する修行僧達を身近に感じるようになりました。東京を離れ、お坊様方のお姿を直接拝見することの難しい環境にいますので、有難いことだと思います。
こころざし
2016年11月20日 20:16
お坊様が真摯に修行をされる状況にいらっしゃる姿勢を感じました。日本のお坊様はお仕事をしている、の意味になるのかもと想像しますが、心身共に修行に打ち込まれるお姿から学ばせて頂きたいと思います。また、一在家として、仏教徒ですと自信を持って言える様な言動が出来るようにしたいです。