欲望と 執著超えると 解脱する 悲しみはなく 心配もない<948>

○少年少女のためのスッタニパータ<948>
・・・
人間には欲望や執着があるから、
悲しみや心配がある。
欲望や執着がなくなれば、
悲しみや心配もなくなる。


第4 八つの詩句の章 15.武器を執ること経 14.

○毎田周一先生訳
948.
この世の色々の欲望と 
渡るに難い執著とをこえた人は
流れを絶ち切って 何も束縛されず 
悲しみも 心配もない


○中村元先生訳
948
世間における諸々の欲望を超え、
また克服しがたい執著を超えた人は、
流されず、束縛されず、
悲しむことなく、思いこがれることもない。


○正田大観先生訳
955.(948)
彼が、この〔世において〕、諸々の欲望〔の対象〕を超え渡ったなら、
世において、超え難き執着〔の思い〕を〔超え渡ったなら〕、
彼は、〔もはや、何ものにも〕憂い悲しまず、悩みません
――〔渇愛の〕流れを断ち切った、結縛なき者となり。(14)


○パーリ語原文
954.
ヨーダ      カーメー   アッチャタリ
‘‘Yodha      kāme      accatari,
彼は、ここに   欲望を    超えた
                 
サンガン    ローケー   ドゥラッチャヤン
saṅgaṃ     loke       duraccayaṃ;
執着を     世において  越え難い

ナ    ソー    ソチャティ    ナッジェーティ
Na    so      socati       nājjheti,
ない  彼は    悲しま(ない)  心配しない

チンナソートー     アバンダノー
chinnasoto        abandhano.
流れを絶ち切った者   束縛がない者


○一口メモ
「この世の色々の欲望と渡るに難い執著とをこえた人」(毎田先生訳)は、「悲しみも 心配もない」人になるのです。

「欲望を乗り越える」或は「執著を乗り越える」と心解脱或は慧解脱が起きるのです。このことについてスッタニパータ第3大きな章 12、「二つの観察経」に述べられています。このブログの「一口メモ」では次のように解説しました。
http://76263383.at.webry.info/201412/article_31.html

「ここで、心の解脱(心解脱)と智慧の解脱(慧解脱)について説明します。簡単に言えば、貪欲を完全に克服することが心の解脱です。無明を完全に克服することが智慧の解脱です。

ブッダは覚りを四段階に分けて説かれています。預流果、一来果、不還果、阿羅漢果です。預流果の覚りに至ってもまだ貪欲は残っています。一来果になるとそれがかなり薄まりますが、まだ残っているのです。不還果に至って初めてすべての貪欲が克服されるのです。そのため輪廻を止めることになるのです。しかし、まだ慢、掉挙(じょうこ)、無明等の煩悩が残っているのです。これらすべての煩悩を克服した方が阿羅漢です。阿羅漢には智慧の解脱によって成るのです。

慈悲の瞑想を怠らず、つとめ励んで、専心すれば心解脱を成就して、不還果の覚りに達します。それは慈経でも説かれていることです。またヴィパッサナー瞑想を怠らず、つとめ励んで、専心すれば、智慧が開発され、慧解脱を達成して、阿羅漢の覚りに到るはずです。」(以上引用)

解脱のプロセス或はメカニズムについて、今私は断言できませんので、修行者の皆さんは、注意深くブッダの言葉を学び、注意深く修行に励み、常に功徳を積んで解脱の条件を整えて下さい。


欲望と 執著超えると 解脱する 悲しみはなく 心配もない<948>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎特別連絡:7月17日(金)から7月21日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。ランキングが上昇すると閲覧者が増えると思われるからです。御支援をお願い致します。


この記事へのコメント

kempsford
2015年07月18日 04:05
おはようございます。
心解脱と慧解脱の区別を明確に理解することができました。また慈経で説かれた解脱の意味も、はっきりと知ることができました。御指導ありがとうございました。
2015年07月18日 04:50
功徳を積むことですね。
みき
2015年07月18日 07:15
おはようございます。
心解脱と慧解脱の違いがよくわかりました。ありがとうございました。
身の丈修行者
2015年07月18日 10:07
本文の「注意深くブッダの言葉を学び、注意深く修行に励み、常に功徳を積んで解脱の条件を整えて下さい」心に響きます。
怠らずに日々の時間を大切にしながら、上記を実施していきたいです。
私事ですが、今日は中野のスマナサーラ長老講演会に参加させて頂いた後、帰宅致します。
ワンギーサ長老・皆様も素晴らしい一日となりますように。
SRKWブッダ
2015年07月18日 15:22
時間を大切にしながら修行することなど、出来はしない。

立派な修行者は、時間の無駄を気にしないで修行に勤しむ。そうして、ゆっくりと邁進し、功徳を積んで、機縁を生じ、ついにニルヴァーナへと至る。

***
こころざし
2016年11月27日 09:44
自分のエゴ的に生きると、毎日が戦いであり、苦労が絶えなくなると感じます。エゴを捨てる事が出来れば、区別する事も少なく、断然生き易くなると思います。冥想実践をし心を成長させながら、悟りの世界に近づける様に精進したいです。
満月
2016年12月13日 01:41
この偈を読んだ時「欲望と執着を乗り越えることなど、それができないから苦しいのに、凡夫の私はどうすればいいのか・・」とちょっと意気消沈した気持ちになりました。でも、ワンギーサ長老が「慈悲の瞑想を怠らず、つとめ励んで、専心すること」「ヴィパッサナー瞑想を怠らず、つとめ励んで、専心すること」と具体的にどうすればいいかを明示してくださいました。そうでした、そうやって日々精進してゆくことが大切だと、また新たな気持ちで取り組んでゆこうと思います。ありがとうございました。