敵と見る その思いから 武器をとり 武器をとるから 恐怖が生まれる<935>

○少年少女のためのスッタニパータ<935>
・・・
暗いところは
怖いと思っているでしょう。
なぜですか?
お化けがいるかもしれないから。


第4 八つの詩句の章 15.武器を執ること経 1.

○毎田周一先生訳
935.
「争う人々を見るがよい 
杖をとりあげるから 恐怖が生じたのである――
私は世間の悲惨を見て 強く心を動かされたが 
そのとき感じたままを これから話してみよう


○中村元先生訳
935
殺そうと争闘する人々を見よ。
武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。
わたくしがぞっとして
それを厭い離れたその衝撃を宣べよう。


○正田大観先生訳
942.(935)
〔対話者に、世尊は答えた〕
「自己の棒(暴力)から、恐怖が生じたのです。
見なさい――確執ある人々を。
〔まさに、その〕畏怖〔の思い〕を、〔あなたたちに〕述べ伝えましょう
――わたしが、〔世の苦しみを〕畏怖した、そのとおりに。(1)


○パーリ語原文
941.
アッタダンダー      バヤン     ジャータン
‘‘Attadaṇḍā        bhayaṃ     jātaṃ,
取る・棒(武器)から   恐怖が     生じた

ジャナン    パッサタ    メダガン
janaṃ      passatha    medhagaṃ;
人々を     見よ      戦う

サンウェーガン    キッタイッサーミ
Saṃvegaṃ       kittayissāmi,
衝撃を         私は語ろう

ヤター    サンウィジタン    マヤー
yathā     saṃvijitaṃ       mayā.
ように    衝撃          私の


○一口メモ
この経の由来は、サーキャ族(釈迦族)とコーリヤ族の間に水争いが起こった時、世尊はその争いを止めようとして、両軍の中に立ってこの経を説いたと言われています。

またこの経名は、この偈の最初の言葉 Attadaṇḍāから来ています。この語はAttaとdaṇḍāからできていますが、Attaには、「取る(執る)」という意味と「自己の」という意味があります。daṇḍāは、「杖、棒(武器、暴力)」です。毎田先生と中村先生の訳は「杖をとりあげる=武器を執って」としていますが、正田先生は「自己の棒(暴力)」と訳しています。そのため、厳密には題名の訳は二通りになりますが、ここでは中村先生の訳を取りました。

さて、この偈のポイントは二つあると思います。第一は、恐怖は武器を執るから生じるということです。逆ではないのです。恐怖があるから武器を執るのではないのだとブッダは説かれているのです。そこまで詳しく丁寧に心の機微を観察する必要があるのです。この点についてはよくよく自分の心を観察して確かめて下さい。恐怖は人間の根本な感情の一つです。これに対する理解により人間の理解が出来るのです。

第二は、ブッダが「私は世間の悲惨を見て、強く心を動かされたが、そのとき感じたままを、これから話してみよう。」と述べられた意図を知る必要があります。「世間の悲惨」とは「苦」の実状です。四聖諦の第一の苦諦を理解するためには、世間の悲惨を観察しなければなりません。またブッダは「そのとき感じたままを、これから話してみよう。」と仰られていますので、それに学んで、観察することです。苦の観察の見事な見本が示されることになるのです。


敵と見る その思いから 武器をとり 武器をとるから 恐怖が生まれる<935>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎特別連絡:7月17日(金)から7月21日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年07月05日 04:10
おはようございます。
ゴサナンダ長老が、内戦中にもかかわらず、人々の希望ために、カンボジアで平和の行進をなさったきっかけが、「水争いにおけるお釈迦様の姿」だったとのことです。今日から学ぶこの経典が、それだったのですね。心して学びます。よろしくお願い致します。
2015年07月05日 04:10
そうですね。

その相手と「仲良くなろう」と思ってる時は恐怖心は生まれません。

相手を「倒してやろう」などと思う時、恐怖心が生まれます。
みき
2015年07月05日 09:31
「武器をもつと恐怖心がわく」と「恐怖心があるから武器を持つ」では違いますね。
どちらにしろ、武器は持たないことが一番よいことかなと思いました。
身の丈修行者
2015年07月05日 14:36
職場で、慈しみの気持ち・言葉を優しく・・と実践しているつもりでしたが、新人職員より「注意をされる時の(ダメだよとの威圧が)怖いのでもう辞めたい」とクレームが出たと上司に怒られました。武器を持っていた状態になっていたかなと反省致します。
心の余裕を持ち、武器を持たずに必要時の指導をして参りたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
エル
2015年07月15日 19:46
 「武器→恐怖心」と「恐怖心→武器」の両方が観察されました。前者の例ですが、「あいつ、イヤだ」となぜ思うのか、その瞬間を観察しようと努力すると、自分が相手に報復するという設定が隠れていることに気づきました。「え、報復しないよ」と思った瞬間に相手への嫌悪感も消えました。私にはまだ「不思議」の域をでませんが、「武器」がない方が束縛がないように感じました。
こころざし
2016年11月22日 19:49
私事ですが、今日お年寄りのクリニック受診に付き添いました。待合室にいたら、髭を生やし・ややルーズな派手めな服を着た・若い男性がやってきました。それを見て、怪しいとか怖そうとか・戦いになったらどうしよう・・等の変な思考が回転する自分がいました。そんな頂けない自分の変な見解?は捨て、同じ生きとし生けるものとして慈しみの気持ちを持とうと思ったら、その不安?らがさっと消えました。誤った見解の流れを捨てれるように・持たない様にしたいです。