世の中は どこを見ても 不確実 どこもかしこも 苦のみがあった<937>

○少年少女のためのスッタニパータ<937>
・・・
お腹いっぱい食べたとしても
安心ではありません。
また、必ずお腹がすいて
食べなければなりません。


第4 八つの詩句の章 15.武器を執ること経 3.

○毎田周一先生訳
937.
この世のどこを見ても 確かなことがなく 
どの方向もみな揺れ動いていた
私は自分の住み処(か)を求めていたが 
すでに何かが住み込んでいない処を見なかった


○中村元先生訳
937
世界はどこでも堅実ではない。
どの方角でもすべて動揺している。
わたくしは自分のよるべき住所を求めたのであるが、
すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。


○正田大観先生訳
944.(937)
世は、遍きにわたり、真髄なく〔常住ならざるもの〕。
一切の方角は、動揺し〔常住ならざるもの〕。
自己の居所を求めつつ、
〔苦しみに〕取り憑かれていないところを、〔ついに〕見ませんでした。(3)


○パーリ語原文
943.
サマンタマサーロー    ローケー
‘‘Samantamasāro      loko,
あまねく真実でないもの  世間は

ディサー   サッバー    サメーリター
disā       sabbā      sameritā;
方向は     一切の    動揺している

イッチャン    バワナマッタノー
Icchaṃ      bhavanamattano,
求めつつ    自己の居所を

ナーッダサースィマーノースィタン
nāddasāsiṃ       anositaṃ.
見つけられなかった 住んでない居所を


○一口メモ
前回の偈も今回の偈も、ブッダがお悟りになる前の菩薩であったとき、世間の人々のあり様を語られているのです。

前回の偈で水の少ない水の中で苦しんでいる魚のように怖れ苦しんで人々に対して戦りつが起こったので、菩薩はそこから眼を転じて、あまねく世間を見渡したのです。しかし、世間には何一つ確実なものがなく、やはり恐れや苦しみのために揺れ動いていたのです。

菩薩はそれでも何とか自分の安らげる場所を探し求めました。しかし、そのような場所はなく、何処も、生老病死などの苦しみが住み着いていたのです。


世の中は どこを見ても 不確実 どこもかしこも 苦のみがあった<937>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎特別連絡:7月17日(金)から7月21日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年07月07日 04:06
おはようございます。
この偈を読むと、菩薩様が、私のような凡夫と同じ視点から観て下さっているようで、ほっとした気持ちになります。
『世間には何一つ確実なものがなく、やはり恐れや苦しみのために揺れ動いていたのです。』。この苦しみを、菩薩様が共有して下さっています。二千五百年以上の間、ずっとこうやってあわれんで下さっていることを実感できます。
本日も御指導ありがとうございました。
2015年07月07日 04:24
現代日本における健康ブーム、アンチエイジングブーム等々を見ると、そのような事情に関しては同様なことが言えるように思います。
身の丈修行者
2015年07月07日 07:36
おはようございます。
この偈を拝見し、世間で聞く事のある「毎日同じ事の繰り返しで辛い、何か良い事ないかな」の言葉は、ある意味で全ては苦というニュアンスを捉えているかも、と勝手な想像を致しました。何か良い事があっても一時で、根本的解決にはならないですよね。
心を成長させる大切さを知り、そして解脱・涅槃を目指せる域まで達する事が出来たら、道が開けるのではと思います。
それには導いて下さる師匠の存在が不可欠ですね。
その方を得られている幸せを感謝しながら、身の丈でも精進したいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
こころざし
2016年11月23日 08:25
同居の家族の言動に嫌になり戦いになり、そしてもし家を飛び出して一人暮らしを始めたとしてもそれはそれで苦しい状況になり・・と要するに苦しかない、と実感する機会が日常であります。それを超えれるのは、自分の心を成長させるしかないと思います。心の成長をさせその超えた状態になれるように努力したいです。