人からの 叱責・非難は 有り難い 敵意を持たず 感謝の言葉を<973>

○少年少女のためのスッタニパータ<973>
・・・
叱られるのは嫌いでしょうが、
それは有り難いことです。
大人になるために
必要な言葉なのです。


第4 八つの詩句の章 16.サーリプッタ経 19.

○毎田周一先生訳
973.
人から非難されたら その言葉を深く考えて(よくこそいってくれたと)喜びを感ぜねばならぬ
共に道に勤(いそ)しむ者に対しては 心を明るく開いて接し
その時にふさわしいよい言葉を用い
無駄話に過ぎないことは思うことすらないようにするがよい


○中村元先生訳
973
他人からことばで警告されたときには、心を落ちつけて感謝せよ。
ともに修行する人々に対する荒んだ心を断て。善いことばを発せよ。
その時にふさわしくないことばを発してはならない。
人々をそしることを思ってはならぬ。


○正田大観先生訳
980.(973)
諸々の言葉で叱責された者は、気づきある者となり、〔その言葉を〕喜ぶように。
梵行(禁欲清浄行)を共にする者たちにたいする鬱積〔の思い〕(嫉妬心)を壊し去るように。
限度を超えず、善の言葉を〔適時に〕放つように。
〔世の〕人の論を法(事象)として、〔あれこれと〕思い考えないように。(19)


○パーリ語原文
979.
チュディトー    ワチービ    サティマービナンデー
‘‘Cudito       vacībhi      satimābhinande,
叱られた時は   言葉で     念をもって・喜ぶように

サブラフマチャーリース   キラン    パビンデー
sabrahmacārīsu        khilaṃ     pabhinde;
修行仲間に対しては    意固地を   破るように

ワーチャン  パムンチェー   クサラン    ナーティウェーラン
Vācaṃ     pamuñce      kusalaṃ     nātivelaṃ,
言葉を     発せよ      善い       過度でない

ジャナワーダダンマーヤ  ナ     チェータイェッヤ
janavādadhammāya      na     cetayeyya.
人の論法として        ない   思わ(ない)ように


○一口メモ
前回の972偈は瞑想修行について説かれたものですが、今回の973偈は日常生活における修行について説かれたものだと思います。私の経験ではここで述べられたアドバイス以上に心を成長させるものはないと思われます。(これは少し言い過ぎかもしれませんが、私にはそのように感じています。)

一行目「人から非難されたら その言葉を深く考えて(よくこそいってくれたと)喜びを感ぜねばならぬ」(毎田先生訳)。これはなかなか出来ないことなのです。他人から非難されれば、それを受け入れて、反省するのではなく、非難に反発する心が現れる場合が多いのですが、自分の欠点を指摘してくれる宝のような言葉と受け入れられるならば、自分の欠点を自覚でき、それを自分を修正できます。ですから非難する人に対しては、自分の先生のように思い、感謝すべきなのです。

ダンマパダ76番は同様な趣旨の偈です。
http://76263383.at.webry.info/200912/article_26.html
宝のありかを教えてくれる人のように
過ちを指摘してくれる
智慧ある人に会ったならば、
そのような人に親しみなさい。
そのような人に親しむならば
善いことはあるが、悪いことはない。

もう一つは二行目です。「ともに修行する人々に対する荒んだ心を断て。善いことばを発せよ」(中村先生訳)。「ともに修行する人々」とは修行仲間です。これを少し広く解釈して、日常生活で関わりのある人々と理解してください。それらの人々の中には、自分の苦手な人、嫌いな人もいると思います。それらの人々は自分を非難しなくとも、側にいるだけで嫌なのです。彼等も自分の先生なのです。彼等は自分の側にいるだけで、先生になってくれるので有り難い存在なのです。いつも「生きとし生けるものが幸せでありますように」に唱えているので、嫌だという気持ちになるとは、自分は何をしているのかと思わずにはいられません。なんとか嫌だという気持ちをなくすことが出来ても、彼等に親しみを持つことが出来ません。

しかしそこでよく考えると、私が嫌っているのは彼等の自我だし、嫌っている私は私の自我なのです。自我と自我の対立なのです。妄想のかたまりである自我の対立に惑わされてはいけないということも分かってきます。

そして、何とか頑張って、「善いことばを発す」努力を続ければ、少しずつ心が変わっていきます。彼等も私に優しい言葉をかけてくれます。このようにして、自分の心が変わるのが分かります。そんな訳で私はこの偈は「サーリプッタ経」の中でも一番印象に残るものです。


人からの 叱責・非難は 有り難い 敵意を持たず 感謝の言葉を<973>



○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年08月11日 06:07
おはようございます。
最近とみに、「言葉」のもつ力を実感しています。なぜかというと、私の口から発せられる言葉は、四六時中私が考えていることだと気が付いたからです。そのことを発見すると、自分の脳裏に浮かぶ言葉(まだ発音する前)に、ぞっとすることがたびたびあります。「生きとし生けるものが幸せでありますように」から、遠くかけ離れたところにさまよっていることを知り、愕然とします。
と同時に、たとえ無理にでも頑張って「愛語」を発するようにと心掛けていると、いつのまにか本当に慈しみの気持ちになっている自分に驚くこともあります。
お釈迦様が、語行が十悪の四つも占めるとされた理由に納得致します。
〇「何とか頑張って、『善いことばを発す』努力を続ければ、少しずつ心が変わっていきます」。ワンギーサ先生のこの教えは、本当にその通りだと実感しています。そのことを改めて確認することができました。御指導ありがとうございました。
こころざし
2015年08月11日 07:42
おはようございます。
職場で、相手の欠点等を指摘するとそれが元で発火し、双方が相手を排除しようとする状況に接する事があります。双方に意見や・反省点があるように見えますし、謙虚にならなければと再認識する機会です。
人に指摘して頂けた事を大切にして、自分を律して参りたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
こころざし
2016年12月05日 19:56
私事ですが、以前は何か気に入らない事を言われると、特に家族に対し容易に発火する自分がいました。そのような状態で苦しむのを卒業したいと心から思い、今は務めて冷静に聞くように心がけています。気に入らない言葉を頂いた時、自分に当てはまる事なら反省し、そうでなければ流す様にしています。相手がひどい言葉を投げてくる程、その人の心の安寧を願えるような姿勢、培って参りたいです。