修行者は 病気や飢えと 寒さ暑さ これらに堪えて 精進すべき<966>

○少年少女のためのスッタニパータ<966>
・・・
病気は嫌だ。空腹も嫌だ。
寒いのは嫌だ。暑いのも嫌だ。
しかし、嫌なものに堪えなければ、
修行はできない。


第4 八つの詩句の章 16.サーリプッタ経 12.

○毎田周一先生訳
966.
病気に罹(かか)り飢えに襲(おそ)われても
又寒さやひどい暑さにあっても それを堪え忍ばねばならない
――ことに家を離れて修行するものにそういうことが多いのではあるが
自らを励まし 勇気をもって しっかりと自分の道を行かなければならない


○中村元先生訳
966
病いにかかり、餓えに襲われても、
また寒冷や酷暑をも耐え忍ぶべきである。
かの<家なき人>は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、
勇気をたもって、堅固に努力をなすべきである。


○正田大観先生訳
973.(966)
病いに罹り、飢えに襲われたとして、
寒さを、しかして、暑さを、耐え忍ぶように。
家なき者たる彼は、それら〔の危難〕に、多種に襲われたとして、
精進に勤しんで、断固として為すように。(12)


○パーリ語原文
972.
アータンカパッセーナ   クダーヤ    プットー
‘‘Ātaṅkaphassena     khudāya     phuṭṭho,
病気にかかって       飢えに   襲われても

スィータン  アトゥンハン   アディワーサイェッヤ
sītaṃ     accuṇhaṃ     adhivāsayeyya;
寒さを    厳しい暑さをも  堪え忍ぶように

ソー   テーヒ   プットー    バフダー    アノーコー
So     tehi     phuṭṭho     bahudhā     anoko,
彼は   それらに 襲われても  多様に     家なき者

ウィーリヤン  パラッカンマダルハン     カレッヤ
viriyaṃ   parakkammadaḷhaṃ      kareyya.
精進に     精進努力すること・堅固に  為すように 


○一口メモ
昨日の偈の四行目に「その他の危難にも打克ってゆかねばならない」と説かれていました。その他の危難とは、具体的には今回に述べられている「病気と飢えと寒さと暑さ」です。

病気になると、身体の何処かが痛くなる、或は苦しくなる、身体の自由が効かなくなる、またそれらのことから、死ぬのではないかという恐怖が現れます。そのため、身体の支配者であるべき心は身体の奴隷になり、いつも身体の心配をして、考えることは病気のことばかりで、自分にとって一番大切なことは、病気が治ることになります。善を求め、心の汚れを取ることがおろそかになってしまうのです。その意味で修行者にとって病気は大きな危難なのです。

「飢えは最大の病である。」(ダンマパダ203番)と言われますから、病気が修行者の大きな危難であれば、「飢え」は修行を妨げる最大の危難です。飢えた人には、修行などはどうでもよいものになってしまいます。瞑想していても食べ物に関する妄想が頭に去来するのです。しかし、固い決心をした修行者はこれらを克服するのです。

病気や飢えの危難がなければ、寒さと暑さは修行者にとって大きな危難になります。ブッダの活動されていたインド東北部の乾季は非常に寒く、夏の暑さは非常に厳しいものです。現代の日本の状態からは考えられないものです。ですから、寒さ暑さというものも大きな危難なのです。

しかし、怠け者の修行者にとっては、寒さ暑さは怠けの言い訳になりますから、寒さ暑さも危難と言えるのです。修行中、寒い暑いという心が現れたら、心に怠けが現れたと注意しなければならないということです。修行に集中していれば、寒さ暑さはあまり気にならないものです。修行者は怠け心に負けてはならないのです。


修行者は 病気や飢えと 寒さ暑さ これらに堪えて 精進すべき<966>



○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年08月04日 04:07
おはようございます。
ワンギーサ先生の教えは、いつも具体的で平易です。誤解の余地がありません。「よくわからないなあ」などといった言い訳はできません。従って、逃げることができません。
〇「考えることは病気のことばかりで、自分にとって一番大切なことは、病気が治ることになります。善を求め、心の汚れを取ることがおろそかになってしまうのです」。
〇 飢えた人には、修行などはどうでもよいものになってしまいます。瞑想していても食べ物に関する妄想が頭に去来するのです」。
〇「怠け者の修行者にとっては、寒さ暑さは怠けの言い訳になりますから、寒さ暑さも危難と言えるのです」。
本日の以上の教えから、決して逃げることなく励みます。
御指導ありがとうございました。
みき
2015年08月04日 06:45
おはようございます。『修行中、寒い暑いという心が現れたら、心に怠けが現れたと注意しなければならないということです。修行に集中していれば、寒さ暑さはあまり気にならないものです。』という言葉が本当だと思いました。私は今日は暑いからやめておこうという思考に陥ることが多いからです。あと『「飢えた人」には修行はどうでもよいものなる』ですが食事だけではなく、異性関係やその他もろもろの欲や怒りに関する事柄も入りますね。気をつけていきます。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2015年08月04日 07:34
おはようございます。
冥想をする時に暑いと、扇風機をつけます。その時「本来はこの暑さに耐える方が本筋なのかも?」と思う事があります。ですが安易に扇風機に走る自分がいます。
本文の「寒い暑いという心が現れたら、心に怠けが現れたと注意しなければならないということです」を意識して、実践して参りたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
noritarou
2015年08月04日 10:32
エアコンで暑さ寒さから離れ、投薬で痛みから離れ、美食で飢えから、とりあえず離れているはずなのに、
人間の苦しみは終わりません。
身体の刺激に耐え忍び、解脱する事が目的であるなら、苦しみがあるから、解脱出来る事になりましょう。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
SRKWブッダ
2015年08月04日 14:45
苦があるから解脱できるとは説かれない。苦(の感受)が無いから解脱できるとも説かれない。苦の真相を見極めたとき、因縁があるならば解脱が起こると説かれる。

苦があるから解脱できると考える者は、苦しんでいることが一つの修行であるかのように思いなしている。実際には、そうではない。また、苦が無い者が解脱に至ると考える者は、能天気で無邪気であれば覚りに近いと思っている。実際には、それは覚りには通じていない。

修行者は苦に喘いではならず、しかし苦の真相を見極めなければならない。この機微が難しいが、立派な修行者はそれを為し遂げるのである。

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こころざし
2016年12月02日 08:01
私事ですが、自宅で冥想していると、家族の声が気になる事があります。当初は「音」としてサティしていましたが、耳栓をした方がやり易いと分かり実施しています。それは怠け・・なのかもしれませんが、工夫して冥想が出来易くなるのであれば、実行するような姿勢でいたいとも思います。