智慧により 識がなくなり 名色が 消滅すれば 解脱が起こる<1037>

○少年少女のためのスッタニパータ<1037>
・・・
どんな人にも
一心同体と思えれば
争いはもちろんなくなって
仲良く暮らせる。


第5 彼岸に到る道の章 2.アジタ経(アジタ学生の問い)6.

○中村元先生訳
1037
アジタよ。そなたが質問したことを、
わたしはそなたに語ろう。
識別作用が止滅することによって、
名称と形態とが残りなく滅びた場合に、
この名称と形態とが滅びる。」


○正田大観先生訳
1044.(1037) 
〔世尊は答えた〕
「アジタさん、〔まさに〕その、〔あなたが〕尋ねた、この問いですが、
それを、あなたに説きましょう。
すなわち、名前(名)と形態(色)とが
残りなく止滅するところとは――
識知〔作用〕(識:認識作用一般・自己と他者を識別する働き)の止滅によって、
ここにおいて、この〔名前と形態〕は止滅します」〔と〕。(6)


○パーリ語原文
1043.
ヤメータン     パンハン    アプッチ
‘‘Yametaṃ     pañhaṃ     apucchi,
それを・この    問を       尋ねた(ので)

アジタ    タン    ワダーニ    テー
ajita      taṃ    vadāmi      te;
アジタよ   それを  答えます    あなたに

ヤッタ     ナーマンチャ   ルーパンチャ
Yattha     nāmañca      rūpañca,
処で      名称と       形態とが

アセーサン   ウパルッジャティ
asesaṃ      uparujjhati;
残りなく     消滅する

ウィンニャーナッサ    ニローデーナ
Viññāṇassa         nirodhena,
認識作用の        止滅によって

エッテータン     ウパルッジャティ
etthetaṃ       uparujjhati’’.
ここに・それは   消滅する


○一口メモ
昨日のアジタ学生の質問のポイントは「智慧と気をつけることとによって、名称と形態はいかなる場合に消滅するのですか?」ということです。つまり、智慧と気をつけることによって、名称と形態が消滅するのだが、そのメカニズムはどのようになっているのかを質問しているのです。

その質問に対して、ブッダは「智慧と気をつけることとによって、識別作用が滅止し、名称と形態が残りなく滅びた場合に、解脱が起こるのです。」と答えているのです。ここには書かれていませんが、ここに解脱智見が現れるのでしょう。」

「識別作用」について調べておきましょう。パーリ語のViññāṇaの訳です。正田先生は「識知〔作用〕」と訳されており、(識:認識作用一般・自己と他者を識別する働き)と解説されています。この解説に基づいて説明すると、識別作用が止滅するということは、自己と他者を識別する作用がなくなるということです。これは自我意識がなくなるということです。これが智慧と気をつけることによって為されるのです。自我意識は虚妄ものなのですから、智慧が現れればそのことがありのままに解るということです。昨日述べたように、顕在意識における自我意識はもちろん、潜在意識における自我意識(名称と形態)が消滅するのです。

昨日と同様に、SRKWブッダさんのこの偈の解釈を掲載します。参考にして下さい。
以下引用
1037
アジタよ。 そなたが質問したことを、
わたしはそなたに語ろう。
「{智慧と気をつけることとによって}識別作用が止滅し、
名称と形態とが残りなく滅びた場合に、
この名称と形態とが滅びたと知られる。」
以上引用。


智慧により 識がなくなり 名色が 消滅すれば 解脱が起こる<1037>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎9月18日(金)から9月23日(水)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年09月19日 04:05
おはようございます。
本日の偈で即座に浮かんだのは、十二因縁です。十二因縁の主役は無明ですが、十二のサイクルのどこかひとつでも消滅させることができれば、解脱に至ることができると、スマナサーラ長老がアビダンマ講義で説いておられます。「無明・行・識・名色・六処…」という係わりのなかで、今回は「識」との係わりを断つことによって、「名色」の消滅に至るとされています。すると、最終的には「老・死・憂愁・悲泣・苦しみ・悩み」が消滅することになります。その境地を目指して、励みます。
また、識に関して、「識別作用が止滅するということは、自己と他者を識別する作用がなくなるということです。これは自我意識がなくなるということです」。といった考察があることを初めて知りました。昨日18/Sepの御考察同様、これから再度精読させて頂き、自分のなかで消化できるように努めさせて頂きます。
熱海仏法学舎様でのご活動と重複するにもかかわらず、私たちのために、日々スッタニパータの解説に取り組んで下さっている、ワンギーサ長老の慈愛には、深く感謝申し上げます。本日も、御指導ありがとうございました。
SRKWブッダ
2015年09月19日 04:49
「──名称と形態とが残りなく滅びた場合に、この名称と形態とが滅びたと知られる。」:

ここで、細かい表現として最初は『この』が付かず、二回目には『この』が付いています。これは、滅びるものが名称と形態全体では無く、余計な部分だけであることを意味しています。必要な名称と形態は残り、余計な名称と形態だけが滅びる。これが解脱に他なりません。それで解脱は、たとえば蛇が脱皮するようにと譬喩されることになります。

***
こころざし
2015年09月22日 20:27
自分の視点を観察しますと、私(や身内)と他人みたいな識別分けを容易にしていると感じます。本文の「自己と他者を識別する作用がなくなる」みたいな状況とは程遠い印象を受けます。
慈悲の実践や冥想をする事で、少しでもその様な状態に近づきたいです。
エル
2015年09月24日 20:21
名称と形態の識別が全くなくなったら、外界の認識自体ができないのではないかとこれまでずっと疑問に思っていました。消滅するのは自我意識で、必要な識別作用は残ることを今回知って、勉強になりました。ワンギーサ先生、SRKWブッダさん、ありがとうございました。
こころざし
2016年12月18日 06:39
自分と他人との認識ですと、何か不幸な状況があった時、自分なら一大事ですが、他人ですと気の毒程度しか思いません。自も他もないとなるとそんな発想にならないと思います。全ての生命に対する慈しみの気持ちから識別作用→差別的な見方・思考が出ない様になりたいです。
こころざし
2016年12月18日 06:40
自分と他人との認識ですと、何か不幸な状況があった時、自分なら一大事ですが、他人ですと気の毒程度しか思いません。自も他もないとなるとそんな発想にならないと思います。全ての生命に対する慈しみの気持ちから識別作用→差別的な見方・思考が出ない様になりたいです。