王族や バラモン達は 祭祀にて 生と老いとを 乗り超えたのか<1045>

○少年少女のためのスッタニパータ<1045>
・・・
神社やお寺に行って
神様や仏さまに
いろいろお願いしたら、
願いごとがかなうのかな。


第5 彼岸に到る道の章 3.プンナカ経(プンナカ学生の問い)3.

○中村元先生訳
1045
プンナカさんがいった、
「先生! およそこの世で仙人や常の人々や
王族やバラモンが盛んに神々に犠牲を捧げましたが、
祭祀の道において怠らなかったかれらは、
生と老衰をのり超えたのでしょうか? 
わが親愛なる友よ。あなたにおたずねします。
それをわたしに説いてください。」


○正田大観先生訳
1052.(1045) 
かくのごとく、尊者プンナカが〔尋ねた〕
「彼らが誰であれ、これらの、聖賢たち、人間たち、
士族たち、婆羅門たちは、天神たちへの祭祀を、
ここに、〔この〕世において、多く営んできたのですが、
世尊よ、はたして、いったい、祭祀の道に怠りなき彼らは、
敬愛なる方よ、生と老とを超えたのですか。
世尊よ、〔わたしは〕あなたに尋ねます。それを、わたしに説いてください」〔と〕。(3)


○パーリ語原文
1051.
イェー    ケーチメー     イサヨー    マヌジャー
‘‘Ye      kecime       isayo      manujā,
およそ     誰でも       仙人達     人々

イッチャーヤスマー   プンナコー
(iccāyasmā         puṇṇako)
と・尊者          ピンナカは(言った)

カッティヤー    ブラーフマナー  デーワターナン
Khattiyā       brāhmaṇā      devatānaṃ;
王族達       バラモン達     神々に

ヤンニャマカッパインス    プトゥーダ    ローケー
Yaññamakappayiṃsu      puthūdha     loke,
供犠を行った          多く        この世で

カッチッス    テー    バガワー    ヤンニャパテー     アッパマッター    
kaccissu      te      bhagavā     yaññapathe       appamattā;
はたして     彼らは   世尊よ     供犠の道において   不放逸にして

アタールン   ジャーティンチャ    ジャランチャ    マーリサ
Atāruṃ      jātiñca          jarañca       mārisa,
超えたのか   生と           老いを・と     尊師よ

プッチャーミ    タン    バガワー    ブルーヒ     メー    タン
pucchāmi      taṃ     bhagavā     brūhi       me     taṃ’’.
私は尋ねます   それを   世尊よ     言って下さい  私に    それを


○一口メモ
この偈は、既に出た言葉の繰り返しが多く、いつもの偈より長いように見えますが、繰り返しを除くと、「祭祀の道において怠らなかったかれらは、生と老衰をのり超えたのでしょうか?」と言う質問だけになります。

別の表現では、「祭祀によって、かれらは生と老衰をのり超えたのでしょうか?」ということです。
それに対して、ブッダは明日の偈で答えます。


王族や バラモン達は 祭祀にて 生と老いとを 乗り超えたのか<1045>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年09月27日 06:48
おはようございます。
プンナカさんが質問されたのは「いくら祭祀をやっても、苦しみを乗り越えることはできないのではないか」というお気持ちからだと思います。当時の求道者の方々の視点は鋭いですね。でもこれは「当時」か「現代」かといった差ではないのでしょう。道を求める「真摯さ」によるのだと思います。「真摯さ」を常に保ち続けられるよう、励みます。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2015年09月27日 07:48
おはようございます。
神社巡りを趣味にしている同僚が次に行く神社を楽しみにして、大変な時もある仕事を乗り切ろうとされます←それはそれで宜しいのではと思います。
御朱印をこんなにもらっているから大丈夫(ご利益がある?)と言われると、やや無明を感じます。
御朱印帳等他力にすがる(?)のではなく、心を成長させるような生き方を実践する事が、真の意味での幸福に繋がるのではと思います。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
こころざし
2016年12月20日 06:10
何か俗世間で言う悪いことが続くと「御祓いにいかないと」と言われるシーンがあるように思います。そんな時、心のありようを他力で色づける様な、そんな依存?的な頂けなさを感じる事があります。人それぞれですので自分の価値観で評価するような高慢は戒めますが、もっと気づけた方が生き易くなる印象は持ちます。祭祀の道等に影響されない生き方をして参りたいです。